小説:クロムの蕾


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PINKISH
SWAY


 ルビ君と連絡が取れたその翌朝。
 1年最後の大晦日の日。

 予想もしなかったお客様がエントランスからチャイムを鳴らしたのは、

 朝一番に健ちゃんにおめでとうを伝えるメールを送って、大掃除が終わったら、パパも居ないし、一人でTVでも見ながらのんびりと年越ししようかなと、取り外したカーテンを洗濯機の中に放り込んだ時だった。



 「千愛理様。本日は、こちらをお持ちいたしました」

 「――――――え?」


 梅の花の象りの中に、雪の結晶と鶴の舞いが閉じ込められた吉祥文様。
 素地の色は淡い桃色で、文様の中に入る濃い朱や紫のアクセントが、飽きずにあたしの目を奪っている。

 袋帯は、雪輪と松がコラボする古典柄。
 渋い金地に、あしらわれた金箔が雪の白に映えてとっても――――――・・・、

 「綺麗・・・」

 玄関で座り込んで、まるで操られるように床に広げた畳紙(たとうがみ)から覗くその美しい着物と帯をしばらく茫然と眺めていたあたしは、

 「あ」

 ハッと我に返って、立ったまま、ずっと無言で待っていてくれた田辺さんを見上げた。

 「すみません。えっと、これ・・・」

 全ての疑問を込めた問いかけに、白髪の似合う、花菱の専属運転手を長年勤めているお祖父ちゃん信頼の厚い田辺さんが、優しい眼差しでコクリと頷いた。

 「はい。旦那様が千愛理様にお渡しするようにと」

 「・・・あたしに・・・?」

 「亡くなった香澄様(おかあさま)が、16歳のお誕生日に合わせて、ご自身で反物からお選びになった振袖だそうでございます」

 「――――――え?」

 「洋装なら流行りもございましょうが、着物(こちら)なら、と旦那様が」

 「・・・ママの・・・」


 畳紙をめくり、指先で織をなぞる。

 その優しいピンク色の手触りに、


 『千愛理』


 ――――――ママ・・・。


 この着物に袖を通していた16歳のママの温もりがどこかに探せそうな気がして、何だかいつもまでも指を離す事が出来なかった。


 「――――――千愛理様」


 田辺さんに呼ばれ、再びハッと顔を上げる。

 「・・・はい」

 「来(きた)る華月の初生けの会にお使いいただけるのではないかと、旦那様はご期待されているようですが」

 「――――――あ」


 お祖父ちゃん、知ってたんだ・・・。


 お正月三箇日に催される、華月流の"初生けの会"。
 大きな会館を借り切って毎年行われる本部主催のその会は、全国から推薦された初心者から中級クラスまでの生徒達の初生けに始まって、お免状をいただいて教室を持っている師範クラスまでが饗宴する、かなり大規模なイベント。

 次期お家元である出雲緋雨様の挿しを見る事が出来る、華月流を嗜む生徒にとっては憧れの会でもある。

 そしてあたしは、お免状をいただく前から、高校を卒業と同時に華月流を離れる事を決めていたから、その初生け会と合わせて行われる新年展覧会への出品だけで、どうにか居場所を作らないように躱してきた。


 それなのに、


 『今年は、ぜひ千愛理さんにも生けて欲しいわ』

 そう言って直接お電話を下さったのは、緋雨様のご婚約者、倉池真由様で、

 『一人が嫌なら、私とどう?』

 『え・・・?』

 『同じ主材(シン)を使って並んで生けるの。凄く見応えあると思う』


 伝統を重んじながらも、自身の感性を取り入れる事を恐れない、初めてその実演を見た時から憧れの先輩(ひと)でもある真由様の言葉に、あたしは思わず頷いてしまっていた。


 振袖は一着持っていて、柄も季節的に問題ないからそれを着ようと思ってけれど、



 「嬉しい・・・」


 ママの着物が着れるなんて――――――。



 「千愛理様。そうおっしゃっていただけて、ようございました」

 ホッとしたような田辺さんの顔に、あたしは透かさず尋ねた。

 「お祖父ちゃん、電話に出られますか?」

 「夕方であれば、千愛理様がご存知の携帯番号にお出になれると思います。私からもお伝えしておきましょう」

 「お願いします――――――」


 田辺さんの暖かく細められた目に、気が付けばあたしも負けない笑みを返していて、

 「それでは、私はこれで」

 「はい。ありがとうございました。あの・・・」


 玄関のドアを開けて反転しかけていた田辺さんを呼び止める。
 あたしみたいな、まだ子供に言われてもどうかなって緊張しちゃったけれど、

 「良い、お年を」

 勇気を出して紡いだその言葉に、

 「――――――ありがとうございます。千愛理様も、良いお年をお迎えください」

 少し驚いたように目を見開いた田辺さんだったけれど、相変わらず丁寧な一礼を向けてくれた。


 「――――――はい!」


 不思議と、お店で縁起物を作っていた時よりも、年の瀬だという実感が沸々と湧いてくる。
 そして、田辺さんをドアの向こうに見送った後には、気が付けば胸の中に、大きくて暖かいお花が一輪咲いていた。


 「ママ――――――」


 パパが居なくて、初めての一人での年越し。
 本当は、ちょっと心細かったのか、――――――寂しかったのか。


 でも今は、


 『千愛理』


 小さい頃の、もうすっかり薄れてしまった記憶の中から、ママの声と気配が久しぶりに感じられて、心も、身体も、凄く優しい気持ちでいっぱいかも――――――。


 ママが、今のあたしと同じ年で選んだ着物。


 「・・・綺麗だね、ママ」


 あたしは暫く、お祖父ちゃんから託されたママの着物と帯を膝の上に置いたまま、次第に溜まってくる温もりを理由に、ソファから動く事が出来なかった。








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