小説:クロムの蕾


<クロムの蕾 目次へ>


PINKISH
SWAY


 ――――――
 ―――――


 「――――――ごめん」


 クリスマスの後、
 "Aroma"のトラブルの為にロスに身を置いていたケリが事件に巻き込まれて、千愛理に連絡をする余裕もなく日本を発っていた僕は、正直、

 『もしもし!?』

 嬉しさを滲ませて応答した、ほとんど五日振りの千愛理の声に、じわりと幸せを感じたと同時に、開口一番、その言葉しか紡ぐ事が出来なかった。

 『・・・え? なに、・・・が?』

 反応に困ったらしい千愛理の様子は当然で、

 「――――――今、僕ロスにいて』


 ロスに着いた途端、故郷を懐かしむ間も無く駆け付けた病院でケリの状態を見て、憎悪と怒りに任せて握りしめていたスマホは、ふと気が付けば割れていて使えなくなり、直ぐに新しいスマホを用意はしたけれど、受信したバックアップデータには最終アップロードに含まれていなかったらしい千愛理の連絡先は無く、職権乱用を覚悟で桝井さんに連絡を入れたら、タイミング悪くネパールに移動中だと留守番電話になり、その出張に照井さんも同行している事実が、社員の出張スケジュールの管理ソフトで確認出来た。

 フラワーコーディネーターとしての契約書に記されている連絡先は未成年保護者の修氏のもので、こうなったら時差を縫った時間を見つけて、叔母さんの経営する花屋の方に直接連絡をしようかと考えたはいいけれど、事件を引き起こした加害者に対して民事的に制裁の準備を段取りする中、気が付けば二日やり過ごしてしまっていた。

 そうこうしている内に、桝井さんから折り返しが入って、番号を確認出来たわけだけど――――――、


 つまり。


 初めて一緒に朝を迎えたクリスマスの翌日から、仕事と、天城アキラとの事で動きを封じられていた僕は、それからロスに発った事も含めて、千愛理にとって、前触れも無く五日余りも音信不通になっていた、"薄情な恋人"という事(ワケ)だ。


 『・・・え? ――――――ロス?』

 案の定、驚きを含んだ千愛理の声が聞こえて、


 「うん」


 まるで免罪符だと言わんばかりに、平然とした態度で僕がそれを肯定したと同時に、



 『え? 何、ルビの奴、今ロスにいんの?』



 ――――――え?

 遠くから聞こえたその声に、今度は僕が驚く番だった。


 「健斗? 今の、健斗の声だよね?」

 『あ、うん』


 慌てて時差を計算し直す。

 見計らって通話ボタンを押した時点で、日本は22時頃だと計って、千愛理はきっと自室にいると想定した上での連絡だった。
 何度計算しても、やっぱり間違いはない。

 今は、夜中に近い22時。


 どうして、


 「・・・こんな、時間に」


 ――――――健斗と?


 そんな、自分でも戸惑う程に刻むように口にした言葉は、よほど千愛理を動揺させたのか、


 『バイト! お店の! 手伝ってもらったの。毎年、年末の30日はかなり忙しくて、いつもはパパがいるんだけど、まだアメリカから戻ってなくて、だから・・・』

 早口で捲し立てていたその声が、不意に遠ざかる。

 『よ。俺、健斗』

 相変わらず、悪びれもしない口調。

 「・・・健斗。お店のヘルプに入ってたって事?」

 『そ。何、お前今ロス?』

 「家の用事でね」

 『ふうん?』


 何か、意味を含んだような健斗の言葉に、僕は敢えて口を噤む。
 すると、やはり健斗の方が直ぐに会話を再開した。

 『で? ・・・いつ帰んの? ってか、そっちって今、朝の5時くらいだよな?』

 「・・・そっちは、22時くらいでしょ」

 『そ』

 意味深な笑いが、スマホの向こうから聞こえてくる。

 そして、僕の中を探ろうとする健斗の問いかけ。

 『――――――何?』

 すっかりと、コミュニケーション能力を持った健斗に攻略されて、表面の皮一枚は剥かれていると自覚のある僕は、取り繕ったりはしない。

 大輝やルネと同じ"友人"のカテゴリに入る筈なのに、直接仕事が関わらないからか、一度心を許してしまうと、スルスルとその関係を受け入れてしまい、千愛理と連絡を取っていないクリスマスまでの間も、健斗からよく連絡を貰い、近況を知らせ合うやり取りをしていた。


 「・・・別に、時間が遅くて心配してるだけだから」


 千愛理に向かって行く想いに反して、どんな言葉を贈る事が"好きな人"を幸せに出来るのか、分からないから自信が無いと――――――。

 そんな情けない心の内を晒した事がある分、健斗には、拗ねた口調も出しやすい。



 『・・・ふうん?』


 僕の心情を読んだとでも言いたげな、健斗の笑いを含む相槌に、


 「今、お店なんだよね?」

 『ああ』

 「・・・健斗が・・・――――――いい、何でもない」


 千愛理と初めて朝を迎えたあのクリスマスの日、マンションまで送って行った僕は、保護者(ちちおや)よりも先に近所の人に見られるのは困ると言い張る千愛理を立てて、車内のガラス越しにその後姿を見送った。

 幼馴染の健斗は、きっとその近所にも顔は知られていて、父親にも信頼があると想定すると、


 部屋の前までエスコートする役目を、きっと千愛理も拒絶する事無く受け入れるのだろう、――――――と。
 そこまで考えて、弾かれたように自分の狭量に気づく。


 これは、嫉妬(ジェラス)だ――――――。



 「・・・僕が日本に戻るまで、千愛理を、頼んでいいかな? 君にとっても大切な幼馴染(・・・)なんだし、頼んでもいいよね?」


 何かあっても直ぐ駆けつける事の出来ない今の僕が、どうにか紡ぎだせた、精一杯の虚勢と譲歩の言葉に、


 プ、と。

 電話の向こうで吹き出した健斗に、一瞬で自分の行動を顧みて、らしくないと顔が火照る。
 鏡に映る自分の白い顔が、じわりと真っ赤に染まっていくのを目の当たりにして、なおさら恥ずかしさが僕を襲った。


 けれど、言葉による牽制はプライドにかけて入れておく。

 「必要以上に近づく事は許さないけど」

 『はいはい』

 「予定では、31日の11時にロスを発つよ」

 『31日の11時発? って事は・・・日本(こっち)の正月(ついたち)の夕方くらいか。なら、明日の大晦日は千愛理かりるから。おじさん居なくて千愛理も暇だろうし、年越ししながら俺の誕生日祝ってもらう」

 大晦日?

 誕生日に年越しなんて、そんな恋人同士のようなイベントを、


 「――――――千愛理と二人で? 冗談だよね、健斗」


 好きだという感情があるとか無いとか、それ以前の問題だ。

 僕以外の男と、千愛理の中にそんな思い出が刻まれるなんて、考えただけで体が冷える。


 『お前ねぇ、俺の存在でムッとしてたらこの先』

 「冗談だよね?」

 念押しを繰り返すと、短いため息が僕の鼓膜を響かせた。


 『あ〜、解ったよ。はいはい』


 そんな投げやりな返事の後にしばらく間があって、


 『――――――えと、・・・ルビ君?』

 「・・・千愛理。日本に着いたら、空港から直接会いに行くから」


 僕の言葉に、千愛理からホッとしたような笑いが零れた。


 「・・・それから、・・・幼馴染の誕生日を祝うのを止めるほど、――――――僕の心は狭くない。・・・多分ね」


 これは、そうありたいという願いがほとんどで、

 本音は――――――、


 「ただ、――――――千愛理が、僕以外の誰かと"二人きり"になるのは、・・・つまり、二人だけの思い出を作る事になるから、・・・あまり気分は良くないって事、それだけは覚えておいて』


 この言葉を聞いて、千愛理がどんな判断をするのか、僕は信じたかった。
 千愛理はきっと、僕が望むように二人きりにはならない事に心を砕いてくれる。


 きっと――――――、


 『あの、ルビ君――――――』


 切り出してきた千愛理に、ドキリと体が揺れた。
 何かを決断する事が出来る彼女の言葉は、こういう時、とてつもない威力があるのだと、身を以て初めて知った。


 「・・・ん?」

 身構えて、次の言葉を待つ。


 健斗は幼馴染なんだから、そんな事を言われる筋合いは無い、とか。

 そこまで束縛されるのは違う気がする、とか――――――。



 "無かった事にしたいの"


 そう言えば、水族館に行ったあの日、なぜ千愛理があんな事を言い出したのか、明確には訊いていなかった。


 "今日で、終わりにしましょう"


 僕を去っていた彼女達の意志有る眼差しが頭を過る。

 そして思考は、悪い方へと流されていく。


 千愛理は、――――――支えられる事で意志を出せるケリとは違って、一人で立つ事の出来る女性(ひと)。
 どんなに弱っていても、最後は自分の持っている"強さ"で立ち上がる事が出来た、彼女(イライザ)達と多分同じだ。


 だとすると、愛人(セフレ)だった彼女達の言葉でさえ僕をアンニュイな気分にさせたのだから、
 こうして話をしている間も、イヴの夜、腕に抱いた千愛理の、優しさと柔らかさを思い出して、どうしようもなくその温もりが恋しくなっている僕は、


 "あたしの友達の事だから、ルビ君には関係ない"


 ・・・もし、そんな言葉を恋人(ちえり)から聞かされてしまったら、涙すらも溢れるかも知れない――――――。



 けれど、身構えていた僕に千愛理が伝えてきた言葉は、勝手に繰り広げていた想像を根底から覆すもので、


 『あたし、空港まで迎えに行ってもいい・・・かな?』



 「――――――え?」



 『そしたら、ルビ君が家(マンション)に来るよりも、もう少しだけ早く会えるから』


 「・・・」



 ――――――千愛理。


 何もかもが、時間を止めてしまっていた。

 思考も、視界も、――――――僕の心も。


 「・・・」


 言葉を紡げずに無言を反応として返した僕に何を思ったのか、


 『あ、ごめんなさい、あたし、やっぱり家で待っ』


 慌てて謝罪と訂正を口にしようとした千愛理に、


 「千愛理、凄く嬉しい。嬉しすぎて日本語でどう応えたらいいのか、考えちゃった」


 僕も同じくらい早口でそれを告げる。


 『・・・ルビ君・・・?』




 会いたい――――――。

 千愛理。


 僕の――――――、

 僕だけの――――――、



 「ほんとに空港まで来てくれる? 千愛理』

 『うん・・・! 行く。行きたい!』

 「うん」


 僕は、PCバッグのポケットに挟んであった航空券(チケット)を取り出してみた。


 「――――――到着は、健斗の言う通り、日本時間の1月1日、夕方の4時過ぎかな。便名は後でメールするから。――――――それから」


 一緒に日本に帰る事になっていたケリの事を思い出す。


 "あなたに、本当に大切にしたい恋人(ひと)が出来たのなら、嬉しい――――――"

 そう言って、微笑んでくれた母親(かのじょ)を、


 「千愛理に紹介したい人も、一緒なんだ」


 『・・・え?』

 「僕の、母親」


 思い切ってそう告げた少し後、千愛理が、反芻するように事実を呑み込み、それを呼吸にする音がした。

 アレンジの注文をした事を切っ掛けに既に出会っている二人だけど、お互いが、僕を繋いでの関係あるなんて事実をまだ知らない。


 「――――――会ってくれる?」

 願いに近い、言葉を紡ぐ。


 『もちろん、です』


 少し答えが遅れたような気はするけれど、それは悪い反応じゃないと思った。


 「なんで敬語?」

 僕の気持ちも少し楽になって、嫁姑について幾つか軽口を交わしていると、


 コンコン


 不意に、強めにドアがノックされた。

 「ルビ、起きたのなら続きを始めてもいいかい――――――?」

 その後に続いて届いた大輝の声。

 "Aroma"の経営権に関しての変更手続きとケリの段階的な退陣についてのプランの構築について、どうしても僕がロスに居る間に形にする必要があり、この二日間、大輝と二人でケリを襲った事件処理の隙間を活用し、寝る間を惜しみながら進めてきていた。

 さっき千愛理と話をしたスケジュールで確実に日本に帰る為には、この事案を"今"、絶対にこなす必要がある。


 「直ぐに降りるよ」

 スマホの送話口を押さえて返答し、

 「――――――千愛理、ごめん、時間タイムリミットだ。メールする」


 名残惜しかったけれど、電話で声を聴くよりも、なるべく早くこの腕の中に千愛理を閉じ込めてしまいたい。

 それには、"Aroma"の現状さえ上手く整理出来れば、新年の休暇はずっと千愛理と過ごす事が出来るのだと――――――。

 それだけを目の前にぶら下げて、僕は断ち切るように通話を終えた。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。