小説:月光は降り積もる


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始まりの日01

 4月の春の風が、ふと意識を攫っていこうとする朝の教室。

 「・・・な、・・・ゆな」


 あ、あたしの名前が呼ばれてる。

 思考の片隅でそれに気づきながらも、ぼんやりと校庭を眺めていたあたしの目の前には、ひらひらと動く誰かの掌があって、


 「ちょっと結奈、意識ある?」

 「えッ!?」

 ほんの少し強さを増した声音にハッとした直後、その誰かの手は、そのままあたしの頬に充てられて、グイッと横を向かされた。

 目の前には、ショートカットがよく似合う小柄な美少女にはイメージじゃない、エスッ気たっぷりの笑顔を浮かべた真由ちゃんの顔。

 「い・・・、痛いよ、真由ちゃん」

 半泣きの振りをしてそう返すと、真由ちゃんはなおさらニコリと目を細めた。
 誰もが思わず見とれてしまうその綺麗な笑顔は、あたしにとっては昔から見慣れた危険信号。

 「あ〜、可愛い。あんたのその清らかな可愛さが痛みに耐える表情とか、ほんと萌えるわ」

 小学校4年の時に初めて出会ってからというもの、真由ちゃんは、あたしを"そういう対象"と位置付けながら、揶揄して語る。

 「マジでさ〜、その気になったらいつでも来てよね。あんたならいつでもOKだから」

 "きて"っていうのは、"あたしの腕の中"。

 大部分が冗談だと解っているのに、それを言う真由ちゃんの眼差しはなんだかとっても色っぽくて。

 「はあ〜、あんたの処女を貫く運命にある男がほんと羨ましい・・・」

 ――――――え?

 「まっ、まっ、真由ちゃ」

 処女って、

 処女って――――――!!


 「ッ、ふがっ、ふがふんふフッ」

 ほとんど反射的に真由ちゃんの鼻と口を押えたけれど、後の祭り。
 恐々と辺りを見回すと、クラスの大半があたしの方をじっと見てる。

 ダメ。

 聞かれた単語が恥ずかしすぎる!

 自分の顔が一気に火照るのが判ったけれど、どうしようも無い羞恥心の行き場が、思いっきり両手に込められてしまった。

 途端――――――、


 バンバン、と激しく机を叩かれて、

 「え?」

 それをした真由ちゃんの方をハッと見ると、あたしの手に半分隠されたその綺麗な顔が、真っ赤になってしまっている。

 「あッ、ごめん、真由ちゃん」

 慌てて手を離すと、真由ちゃんが何度か短く呼吸を繰り返した後に声を上げた。

 「も〜、結奈! 鼻と口いかれたらどこで息しろって?? あたし危うく死ぬトコじゃない!」

 「ほんとにごめんね。凄く恥ずかしかったからつい・・・」

 「別に聞かれてもいいじゃない。ここは天下の女子高。女しかいないんだから」

 「そ・・・そうなんだけど」

 さらりと事実だけを紡いだ主張に負けて思わず口ごもりそうになったけれど、やっぱりそれでも、あたし達が通うこの白邦学園は結構有名なお嬢様学校でもある。

 「駄目。真由ちゃんが平然とそれを口にする事自体が信じられません。お嬢様方には刺激が強すぎます」

 あたしが精一杯の反論で拳を握りながらそれを告げると、

 「・・・ふうん?」

 真由ちゃんは、まるであたしの反応を試すかのように猫眼を上目で構え、

 「どうせクラスの大半は処女じゃないのに?」

 ――――――と、悪戯っぽい笑みでそれを告げた。



 ・・・――――え・・・?



 時間を止めてしまったような思考あたまで、ちょっと考え中・・・。



 「―――――ええッ!?」



 自分から出ている筈の大きな声が、背中を擽る興奮で抑えられない。

 「だ、だ、だ、だって、まだ、高校入学して1週間だよ? せ、せ、先月まで中学生だよ??」

 どもって慌てふためくあたしをよそに、真由ちゃんは一気に捲し立てた。

 「あのねぇ、この学園の生徒の約3割は婚約者がいるのよ? 大抵は子供のころからの親公認。結奈、うちの学園の退学率知ってる? 6.7%よ? 全国平均の2%をどんだけ上回ってるのよ。――――――ま、嫁ぐ側からすれば、跡取り産めば一生暮らせるんだもん。やっちゃって当たれば最高よね。しかも金がある男は愛人も余裕で作れちゃうから、早く仕込まないとそっちに先を越されちゃうかもしれないし。ちなみにあたしも、春休み中に別荘に軟禁されて食べられちゃったわよ」


 ―――――――え、


 「・・・まッ、」


 ダメ。

 もう完全に思考停止。


 「おっと、予鈴鳴った。じゃね」


 茫然としたあたしに背中を向けて、真由ちゃんは颯爽と自席に戻っていく。


 言い逃げ。

 完全に、絶対に狙ってた。


 きゃあああ、と心の中で悲鳴をあげる。

 入学早々、クジ運が最強だった、窓際の一番後ろに座るあたしから、隣の列の3人の前の位置に座る真由ちゃん。
 後ろ姿がぴんとしてて、ショートカットの下の襟足から背中へのラインがとても綺麗。

 高名な、華月流家元の親戚筋にあたるらしい真由ちゃんは、物心ついた時から婚約者がいて、その婚約者というのは、華月流の次期お家元である7つ年上の出雲緋雨ひさめさん。

 何度か会ったことがあるけれど、すごく綺麗な大人の男性。
 ああいう人に、眉目秀麗って言葉を使うんだと思う。

 美少女の真由ちゃんと、すっごくお似合い――――――なんだけど・・・、


 ・・・あの二人が・・・


 「・・・」

 二人の顔を知ってるだけに、すごく胸がドキドキして、妄想が勝手に膨らもうとする。
 どうにかそれを抑え込む努力しているうちに、先生が入ってきて、1限目の授業が始まった。


 ふう・・・と、落ち着けるように深呼吸をして、改めて頬杖をついて窓の外へと目を向けた。

 その窓枠の中に見えるのは、

 右側はここから逆L字に伸びた校舎。
 左側には縮小されたグラウンド。
 その向こうには校門があって、校門へと続くブロック塀のこちら側には桜の木が並んで植えられている。

 入学式の日に、まるで見計らったように満開だった桜は、ちょっとずつ盛りを減らしていて、来週になればほとんど落ちて、きっと月が替わるころには新緑が出るんだろうな・・・と未来を思う。


 こんな風に、変わらないフィルターから見る景色があたしは大好き。

 昨日、先週、その前と、
 明日、来週、その先へ――――――。

 明らかに変わっていく景色や色や、音や匂い。

 まるでこの窓枠が1枚のフレームみたいで、日々変わるその積み重ねが、突然輝いて、あたしの目の中に知らされる瞬間が好き。


 いつの間に・・・、

 いつの間に――――――・・・。


 そんな風に変わっていく景色は、あたしの中に確かに降り積もっていく時間の地層で、そこにたくさんの思い出を埋め込めればいいなって、いつもいつも、憧れるように外を見てる。


 あたしの名前は鈴木結奈ゆな
 七夕生まれの15歳。
 彼氏いない歴15年。


 初恋は、――――――それらしいものもないなぁ・・・。

 だって、幼稚園からずっとこの白邦学園なんだもん。
 あたしのパパは外交官をしていて、ほとんど海外。
 ママは小さいころに亡くなっているから、セキュリティ完備のマンションに、ずっと一人で住んでいる。

 もちろん、パパが頼んでくれたお手伝いさんが週の始めにきてくれて、1週間分の食事を作って冷凍保存してくれているから、全然困ったことはない。


 ・・・"さみしい"は、言っても仕方ないしね・・・。


 緩いウェーブは天然パーマ。
 髪は黒に近いチョコレートブラウン。
 肩をすぎちゃったから、そろそろ肩上で揃えようかなって思ってるところ。

 スタイルは発展途上。
 食欲は、好きなもの以外にはあまり強くないから、細身は保ててる感じだけど、お胸もそれにつられてる感じ。

 ちょっと悲しいくらいに自虐的な自己評価をしていると、


 「・・・あ」


 ふわり。


 窓の外から、春の風が入ってきた。

 この窓枠は、まだ見慣れていない、あたしの"新しいフレーム"。


 付属の中学校と小学校は2駅離れたところに一貫校として門を構えていて、高等部だけは離れたこの土地にある白邦学園。

 変わった通学路。
 変わった環境。

 それだけでも、高校生活に期待するものは、凄く大きい。



 どんな未来が、あたしを待っているんだろう――――――?



 期待を込めて目を伏せて、


 (素敵な高校生活になるように、ちゃんとがんばろう)


 心の中で小さな決意を固めて姿勢を正し、教壇に立つ先生へと真っすぐに視線を上げた。








著作権について、下部に明記しておりマス。



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