ドアの前に立って、何分くらい経っただろう? 開けられない。 この向こうに、いったいどんな世界があるのか。 あたしの頭の中では、この向こうでリョウって人に獲物だって言われて、10人くらいの男の人に囲まれて怖い思いをして、そこから、カズイに抱かれることになったのは、ほんの二日前くらいの事。 でも、あれから三か月近く経っているという。 失くしてしまった記憶。 その中で、あたしはどんな日々を送っていたんだろう・・・。 ドアノブを握りしめ、けれど回せないまま。 「・・・」 ふう、と息を吐く。 ずっと出ないわけにはいかない。 家はどんな状態なのか、マンションにも帰りたい。 またカズイが来る前に、自分から――――― あたしは、思い切ってドアを開けた。 「あ、結奈っち、やっと出て来た」 「結奈姫、今日はどうする? 白か黒か」 「結奈ちゃん、パイちゃんと残してるよ。でもデザートの前にピザ食べてね」 窓もなく、閉鎖された感が否めない狭い室内には似合わないほど、やさしくあたしを出迎える言葉が次々と向けられてくる。 『何も知らずに、"姫"だって大事に扱ってる』 カズイの言葉を思い出した。 確か・・・最初のダークブラウンの髪の人がミサオさん。 黒髪の人がミコトさん。 茶髪の彼がカイ君。 「結奈ちゃん、和以が待ってるよ。ここにおいで」 みんなが座っている数人掛けソファじゃなくて、一人用のゆったりとしたソファに足を組んで座っているカズイ。 おいで、と呼んだのは、そんなカズイの背後に立つ銀髪の人。 ヒジリさんだ。 「来い、結奈」 低い、カズイの声。 「・・・」 あたしが動けずにいると、 「結奈ちゃん」 またしても、可否を思考することも認めないかのような、さっきもカイ君を従わせた、ヒジリさんのあの命令口調。 ヒジリさんの黒の眼が、無表情であたしを刺してくる。 あたしは、足を組んだカズイの傍に少しだけ空いたスペースに腰を下ろした。 密着度が半端なくて、呼吸がうまくできない。 「結奈っち、ピザ食べて。階段から落ちてから20時間くらい寝っぱなしなんだからさ、お腹すいてるでしょ?」 ミサオさんが優しく笑って、紙皿に取り分けたピザをくれた。 ペコッと頭を下げて、それを受け取ってから・・・はたと気づく。 「え・・・? あたし、階段から落ちたの?」 またしても新しい事実。 もうどう受け止めていいのかもわからない。 この状況を、まともな感覚では消化できなくて、 ノートに書いて年表的にまとめたい―――――。 なんて、そんな事を考えたあたしを、大丈夫? と他人事に考えて笑えてしまうほど、ちょっと精神状態がおかしくなってきた。 「な〜んだ、覚えてないんだ?」 目を丸くするミサオさんに、カイ君が笑う。 「まあいいじゃん。ちゃんとお医者さんにも診てもらったしさ。打ち身くらいで大丈夫だったんでしょ?」 話を振られ、カズイが「ああ」と頷く。 「で? 結奈姫、どうするの? 黒? 白?」 ミコトさんが示しているのは飲み物で、テーブルの上にはコーラとソーダ水。 「・・・白」 「ん」 ミコトさんがにっこり笑ってグラスに注いでくれる。 渡されたソーダ水を見て、本当に、あたしはここで過ごしていたんだ。 そう、実感した。 あたしは基本、飲み物はコーラかソーダ水で、白か黒か、それは小さいころからの符丁。 3か月、ここにいた。 それを否定できない証拠を、さっそく見つけてしまった。 「ピザ食べないと、パイはだめだからね」 カイ君に軽く睨み付けられて、「はい・・・」と頷き、あたしはピザを口にする。 こんな状況なのに、確かにお腹は空いてて・・・。 大好きなチーズがたっぷりトッピングされた、パン生地タイプのオーソドックスなピザ。 「はい、食べて食べて」 楽しそうに言うカイ君に後押しされて、 「・・・」 残すところは端の部分だけ。 どうしよう・・・。 ここは、いつもなら"もったいないお化け"に襲われようとも、捨てちゃってるトコ。 紙皿の上に残るその端を、どうしたものかと見つめていると、ひょい、と誰かの手がそれを攫った。 カズイだった。 「ど、・・・して?」 声にならないくらいの、あたしの疑問。 案の定、聞こえていなかったらしいカズイは、無言のまま、パン生地だけのその端の部分を食べている。 そのことについて、誰も、何も言わなくて、 「パイ切るね〜」 カイ君の明るい声が室内に響いた。 「・・・なんだよ」 あたしに見られている事に気づいたカズイが、少し不機嫌そうに言う。 「・・・ううん」 チ、と小さな舌打ちが聞こえて、あたしはそれを振り払うように、ソーダ水を口に含んだ。 |