小説:その赤い実を食べたなら


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その柊の、実の色は

 ――――――
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 『柏田篤は、絶対に知紗の手に負える人じゃないよ!』

 篤先輩との交際が始まったその夜、麻花ちゃんからの電話は開口一番から反対モード。

 『絶対に知紗が泣かされて終わりよ。そんなの見たくないからね!』

 携帯の向こうからの厳しい声に勇気がかなり竦んだけれど、

 「でも・・・篤先輩、優しい、し・・・」

 「どうしてわかるのよ? 話したの、今日が初めてなんでしょ?」

 「・・・ぅん」

 もう次の援護が出てこない。
 それでも、付き合いを止めると言い出さないあたしに呆れたのか、大きく息を吐いて、麻花ちゃんは諭すように声を潜めた。

 『知紗、はっきり言うけど、あの人、長くても三か月くらいだよ?』

 「え?」

 『そりゃあ噂でしか知らないけどさ、一人の人と、だいたい長くて三か月。早くて1週間とか』

 「・・・」

 『意味、わかるよね?』

 何となく、想像はついたけれど、

 「でも・・・」

 『知紗!』

 麻花ちゃんの声を聴きながら、震える手で、自分の唇に触れる。
 目を閉じると、じんわりと胸の奥から蘇ってくるのは、ほんの数時間前に、家まで送ってくれた先輩からされた、初めてのキスの感触。



 『知紗は何年? 俺は まどか の3年』

 『あの、2年です』

 『あ、俺の名前ね、柏田篤。竹冠に、馬』

 『・・・篤、先輩・・・』

 (・・・漢字、こう書くんだ・・・)

 些細な事に、ほんのり嬉しさを感じてぼーっとしていたあたしの唇を、

 『・・・知紗、ごめん』

 『え・・・?』

 ちゅ。

 驚くべき速さと自然な動きで一瞬だけ触れた唇は、凄く、凄く、――――――あたしを幸せにしてくれた。
 こうして思い出すだけで、先輩を想うだけで、胸がギュッと苦しくて、泣きそうになって、そして嬉しくなる。
 『ねぇ知紗、あたしが言ってる意味、わかってるんでしょ?』

 携帯の向こうからの厳しい声に、あたしは現実に帰って来る。

 『つまりあの人の言う恋愛って、エッチしちゃうと終わりって事なんじゃない?』

 「・・・」

 "可愛いね、俺も知紗って呼んでいい?"

 『そんな悲しい恋、あたしは知紗にして欲しくないよ!』

 「でも・・・」

 "知紗。あの日から、俺の事、好きでしょ?"

 『知紗!』

 あの雨の日、あたしの心を一瞬で奪っていった、篤先輩の焦げ茶色の瞳。

 「・・・ごめん、麻花ちゃん・・・」

 脳内にこびりついた篤先輩の甘さと、現実を知らせて来る麻花ちゃんの声。

 頭の中で、幸せの鐘と、警鐘が、ガランガランと混ざって響く。



 「ごめん、ごめんね、麻花ちゃん」

 『知紗・・・』

 「あたし――――――」

 それでも、してみたい。

 短くてもいい、エッチ・・・するまでの短い間でもいい。

 篤先輩と、

 「恋、してみたいの」

 直ぐに、思い出になってしまうんだとしても、実ってしまった初めての恋。
 きっと、後悔はない気がする――――――。





 ――――――
 ―――――

 「ねぇねぇ、君、高校生? これからおネェさんと遊びに行かない?」

 「行かな〜い」

 「ええぇ? 君の好きなトコ、どこでもいいんだよ? 奢ってあげるし。――――――ほら、あそこのホテルでも、さ」

 「ん〜、ごめんね、おネェさん。俺さぁ、今、"彼女"と待ち合わせ中なんだよね」

 「いいじゃない」

 「よくないよね〜」

 「じゃあ今度、彼女には内緒にして、ね?」

 「ダーメ。俺ねぇ、"彼女"以外とは遊ばないの。約束もしない。今度見かけたらまた声かけてくれる? もしその時に俺がフリーだったら、その時はおネェさんが"彼女"になってね」

 「ええぇぇ? それっていつ? 予約出来るぅ?」

 「あはは、予約は受け付けないでしょ、普通」

 「じゃあ別れたらソッコーで連絡ちょうだい?」

 「あ、それもダメ。マイルールに反するんだよねぇ」

 「マイルール? なにそれ、ワケわかんない」

 「だよね〜。――――――あ、知紗」

 土曜日の繁華街。
 待ち合わせをしたこの場所で、あたしが篤先輩を見つけてから既に数分経過。

 「遅く、なりました・・・」

 「全然」

 やっと、二人の会話に圧倒されて声を掛けられずにいたあたしの存在に気づいてもらって、

 「――――――この子が、"彼女"?」

 「そ。"彼女"」

 あたしの大好きな焦げ茶の目を細めた篤先輩は、一瞬の躊躇いもなくあたしの前にきて、いつものように手をとって、指先を一本ず つ丁寧に絡めてくる。
 あたしより体温が高い篤先輩の温もりが、すっかり冷えてしまっていた指先にじんわりと沁みてきた。

 「――――――知紗、手ぇ冷たい。手袋してこなかったの?」

 「・・・あの、家を出る時、慌てて、忘れてきちゃって・・・」

 と言うのは嘘。

 「また? 慌てる事ないのに」

 言いながら、自分のコートのポケットにあたしの手を一緒に入れてくれる篤先輩の優しい笑顔に、息がほうっと熱くなる。
 時々こうして、わざと手袋を忘れてくるあたしの幼稚な作戦に気づいている筈の篤先輩もこうして茶番に付き合ってくれて、他人が聞けば苦笑しそうなこういう事を繰り返すのが、恋愛の醍醐味なのかなって勉強中。

 「――――――ふうん?」

 篤先輩をナンパしていた、明らかに大学生以上に見えるその女の人が、あたしの全身をねっとりと観察した後、意味あり気にニッコリと笑った。

 「クリスマスが終わって、・・・そうね。新年あたりにまたここで会えるといいわね」

 ネイルに綺麗なグラデーションを施した、女性らしい手をひらひらと振って、ヒールを鳴らしながら遠ざかっていく彼女の、それは予言。

 つまりあと二か月もしない内に、あたしに飽きた篤先輩がフリーになるという事。

 「知紗、おいで」

 耳元で囁くようにあたしを促して、建物の影に隠れると、篤先輩はあたしをギュッと抱き寄せた。

 「そんな表情してたら、俺に食べてくれって言ってるようなもんだよ?」

 「篤先輩・・・」

 「映画までまだ時間あるし、ここで少し、キスしてこっか」

「・・・」

 「拗ねたのもいいけど、やっぱり知紗は、キスで蕩けてる顔の方が、一番可愛いよ?」

 篤先輩は、キスが好き。
 隙があればキスをしたがる。

 最初は、あたしの意志を確かめるような、啄むようにして音を鳴らすキス。

 それを何度も繰り返して、あたしの力が抜けて唇が開いたタイミングで、舌の先が、ゆっくりと口内に入ってくる。

 「知紗・・・」

 初めて唇の裏を舐められた時はびっくりして固まっちゃったけど、あたしが先輩の"彼女"になって一か月と少し。

 「・・・ん」

 「キス、上手になったね」

 「せんぱ、・・・ッ」

 もうすっかり、慣らされてしまった篤先輩との濃厚なキス。

 篤先輩のちょっとした動きで、今、何をして欲しいのかが、あたしには判る。

 舌の動きで、顔の角度で、顎に添えられる指で、そしてその指が、耳たぶに移動する事で、

 吸って欲しいのか、吸いたいのか、
 舌を入れて欲しいのか、先輩の方が入れてきたいのか、

 優しい方がいい?

 それとも強い方がいい?

 そんな要望が、あたしは判る――――――。

 そして篤先輩も、

 あたしが、ギュってして欲しいってタイミングでギュってしてくれる。
 名前を呼んで欲しいってタイミングで、必ず、名前を呼んでくれる。

 「可愛い、知紗」

 「篤先輩――――――」

 舌を絡め合う二人の息は、どんどんどんどん温度を上げて、

 でもね、先輩。



 キスがどんなに熱くなっても、心のどこかに、凍えたままのあたしがいる――――――・・・。



 ――――――
 ―――――

 「――――――あら、あなた、アツシの今の彼女だよね?」

 すれ違い様に言われて振り返ると、大人の女の人が立っていて、

 「そうだよね〜。あなたと出会った場所、お互いの生活圏だもんね〜。ここで会う可能性は高かったか〜」

 「・・・」

 想像もしなかった偶然に、どう返せばいいのか判断出来ない。

 「それ、安いよね。今期最安とかチラシ入ってたし」

 この付近では唯一の大手スーパー。
 あたしがお母さんに頼まれて買いに来たトイレットペーパーと同じものを抱えているこの美人さんは、篤先輩を初めて見たあの雨の中、紺色の傘の下でイチャイチャしてた女の人だ。

 「それにしてもさ、――――――あなたみたいな 初心 うぶ な子に、ホントにあいつの相手なんて出来てるの?」

 「え?」

 無遠慮に吐き出されたその言葉に、思わずビクッと体を固まらせてしまった。
 そんなあたしに驚いたのか、元カノさんは「あ」と困った顔で笑いながら手を振る。

 「言葉を間違えたわ、ごめん」

 「――――――え?」

 「あいつみたいな奴に、あんたは勿体ないって話」

 おいでおいで、と。
 濃いブラウンのネイルが目立つ手で招いて、あたしを店頭横のベンチに座らせる。

 「あいつさぁ、あたしに、なんて言って別れ話を切り出したと思う?」

 何て言うか、あまりにも直球過ぎる質問に、あたしは僅かに首を振るだけで返すしかなかった。

 「もう驚きよ。いつもと同じようにセックスして、いい気分で微睡んでる時にさ、"う〜ん、やっぱり俺さ、この前の子、気になってるみたい。だから、別れてくれない?" って」

 セッ・・・クス・・・。

 この人と、篤先輩がキスをしているのは目撃していたから何となく心構えは出来ていたけれど、具体的な単語で聞くと、二人が、裸で抱き合っていたとか、何をどうするのか、良くわからないけれど、あたしをギュッと抱きしめてくれる先輩の腕が、この人の身体を抱き締めていたんだと思うと、モヤモヤした感覚が呼び覚まされる。

 「ちなみによ? あたしの前の彼女には、君よりセックスしてみたい人に出会っちゃったって切り出したらしいわ」

 フン、と鼻を鳴らして笑ったその人が、なぜこんな話を始めたのは、その真意がじわりと理解出来る。

 「・・・あたしが言いたい事、わかった?」

 「はい・・・」

 「そういう事なんだよね。篤は嘘が無くて優しいけれど、ある意味、思いっきり タチ が悪いの」

 「・・・はい・・・」

 篤先輩は、心変わりの判断を下す時に、天秤に乗せるものが同じじゃないんだ。

 前の前の彼女さんの、篤先輩の気に入ってた"何か"より、今ここにいる元カノさんとのエッチにその心の天秤が傾いたから別れて、今度はそのエッチよりも、雨の中で目についた、きっと篤先輩が今まで相手にした事の無かったタイプのあたしへの好奇心が勝っただけ。

 「ま、あたしはそれなりに経験があって、社会人1年生でストレス溜める中、年下から齎される癒しってのを楽しめたから、縋るような執着はそんなに無くてさ、でも、あいつを"初めての男"にするには、――――――あなたが、自分の価値を知らなさすぎるんじゃないかって、ちょっと心配・・・――――――だったんだけど」

 スッと、元カノさんは立ち上がった。

 「どうやら無用な心配だったみたいね」

 「――――――え?」

 首を傾げたあたしに、元カノさんは今までの印象を覆すような可愛いウィンクを見せた。

 「あなた、ちゃんと"女の目"をしてる」

 「え?」

 「覚悟決めた、女の目をしてるわ」

 そう言って微笑んだ彼女の眼差しは、何故かあたしに勇気をくれて、

 「"良い思い出"に、なるといいわね」

 あたしの胸の内にある、"何もかも"を救い上げてくれるようなその言葉に、あたしはただ、コクリと頷くだけで答えを返した。



 ――――――
 ――――

 年末に向けて、少しずつ街の景色が変わっていく。

 女の子なら、――――――・・・ううん、きっと男の子でも。
 大好きな人とのキラキラした夢を見たくなるクリスマス・イヴへと、気分がグングン盛り上がっていく季節。

 それは、どうやら篤先輩も例外じゃなかったみたいで、

 「知紗、もうすぐクリスマスだね。とりあえずデートプランは立ててあるけど」

 あたしを覗き込むように告げられた優しい言葉に、

 「ほんとですか? 嬉しいです」

 頷いて応えると、更に優しい笑顔が返ってくる。

 「良かった。知紗から何かリクエストはある?」

 「リクエスト・・・ですか?」

 「そ」

 篤先輩は、ほとんど毎日、あたしの学校まで迎えに来てくれて、
 いつだってあたしの手を握り、隙を見つけてはあたしにキスをして、この恋を、凄く楽しんでいるように見えて・・・、

 でも、

 それでも先輩は、いつも前を向いて世界を見てる。

 今、あたしが答えを探すこの合間にも、

 次の"何か"を、――――――次の"誰か"を見逃さないように、いつも周りを眺めている。

 その目に、未来の"彼女"が映るのはいつなのか。

 胸を痛めながらも、あたしはその視線をこちらに向けられるように、何度だって、名前を呼んだ。

 次が、先輩が振り返ってくれる最後かもしれないって、痛く痛く、そう思いながら・・・。



 篤先輩、知ってますか?

 柊の赤い実は、キリストが、自分を信じてくれた人々の為に流した"血"の象徴なんだって。

 『知紗は俺の"彼女"だよ』

 なら、そう言って"彼女"という目印として、篤先輩があたしに被せてくれた目には見えない冠の実は、一体何色なのかな?



 「篤先輩」

 「ん? 何か思いついた?」

 たった一目で、あたしの心を全部全部奪っていった篤先輩の綺麗な眼差しが、今は、今だけは、あたしの事だけを映しこんでくれている。

 ごめんね、麻花ちゃん。

 あたし、篤先輩が好きだから――――――、

 どうしても、どうしても好きだから――――――・・・。

 だから今、この優しい目が、あたしに向けられている内に、精一杯の幸せを掴んでみたいと、贅沢になってしまった。



 『あたし、イヴは、――――――イヴは、先輩とずっと一緒にいたいです」

 ああ、そう言えばあたし、自分で流す涙の色は見た事ないから、知らなかった――――――。








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