小説:食べられる花


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Episode:雪


 『信じられない、友達の彼氏に色目使うなんて!』

 昨日まで、普通に遊んでいた友達三人に、教室のドアの前で朝一番に取り囲まれ、一方的に怒鳴られたのが一番古い記憶。

 『え? そんな、あたしは――――――』
 『知ってるもん! バレンタインに告白したんでしょ? 一カ月以上も友達面して騙して…ほんと最低! もう二度と、雪とはしゃべらないから!』

 確か、中学二年の終わり頃の事だった。


 あたしにとって、その"コト"の始まりは、前日のホワイトデーに、何故かその子の彼氏が家までやってきて、

 『お前の事が気になって仕方ない』

 寝耳に水のセリフと共に、マシュマロの入った手のひらサイズの小瓶を渡された事で。
 それは、あの子がホワイトデーに彼氏にリクエストしたって言ってたお菓子だったから、

 『結構、ウェブでも手に入れられなくて大変だったんだ』

 どや顔でそれを言うこいつの態度が、凄く違和感だらけで、一秒ごとに気持ち悪く目に映ってくる。

 『…信じられない。いくら別れたとしても、元カノの友達にその日の内に普通あげる?』

 これを"告白だ"と捉えて、苦虫を噛んだ思いでそう切り出したあたしに、

 『いや…まだ、別れてはいないんだけど…』
 『は?』

 少しだけ困ったような顔でそう告げた馬鹿に、呆れが勝つ。

 『この行動ですらビックリなのに、あんた何言ってるの?』

 素で返したら、

 『え…藤代?』

 何故か、一瞬だけ目を見開いた馬鹿は、それでも何かを主張するように拳を握りながら言葉を綴る。

 『あ…その、お前とうまくいったら、別れようかなって…。元々向こうから言われて、ちょっと自慢したくてOKしただけだし…』
 『…信じられない。あんたなんかにあの子は勿体ない。今日の事、あたしにばらされたくないなら、今すぐにあの子と別れて。理由は、あの子を傷つけないように、ちゃんと考えてよね!』

 あたしとしては、大事な友達を馬鹿な男から守ったつもりだった。

 まさか、バレンタインにあたしから告白されて、気持ちが揺れた自分に罰を与える為に別れたいなんて、そんな大嘘ばかりの言い訳を垂れ流すなんて、考えても居なかった。
 そしてそれを、二年近く付き合ってきた友達が、あたしに何を確認する事もなく真に受けて、当然のように牙を剥いてきた事が、更に痛烈にあたしの心を切りつけてきた。


 それから、何度も繰り返す。

 仲良くなっても、お揃いのアクセサリーを買うまでになっても、その子に彼氏が出来たら状況は一変。

 あたしは見た目がふわふわの女の子系で、Eカップと胸が大きい。
 確実に男にウケル自覚はあったから、出来るだけテキパキさばさばと振る舞っても、

 『雪ちゃんの、そのギャップがなんかいいんだよね…』

 玉砕。

 それならと、見た目を裏切らないように、女子らしく甘えた感じで努めれば、

 『雪みたいな可愛い子に全身で甘えられるのは、男として格が上がったような、そんな気にさせられるんだ』

 見事玉砕。

 ならばと、まるでそこに友達の彼氏なんかいないかのように存在を無視し続けても、

 『あの可愛い子が、俺達の事を見て言葉を失くすくらい傷ついていると思うと、俺も好きだよって言ってやりたいっていうか…俺が傍にいて守ってあげなきゃって…』

 何かしらが見えないところで勃発。
 どうやっても上手く行かない。

 そして、決まって彼女達はあたしを責める。

 『最初から狙ってたんでしょ! そんな駆け引きしなくても、どうせその顔と体で落とせるんだから、あたしを馬鹿にするような真似しないでよ!』
 『何よ、強かに演技して誘惑するなんて、ホント最低! ほんとはそんな清純でもないくせに! 今までだって友達の彼氏を奪ってきてたんだってね! 同中の子から聞いたよ! ほんと、見た目と一緒で股がふわふわ緩いって、みんなそう言ってたんだから!』
 『好きなら最初からアプローチすれば良かったじゃない。私を当て馬にしたかったってワケ? 人の彼氏をドラマチックに奪いたかった? もう二度と話しかけないでよね!』


 ――――――馬鹿みたい。

 どうして全部、あたしが悪いの?

 彼女がいるのに他の女に目を向ける(しかも彼女の友達!)、あたしから見たら誠意の欠片も無いような男共の心や行動には、一切の責任は無いってわけ?




 「――――――統計的に見ても、恋人が浮気をした場合、女性は相手の女が悪いと考える傾向が強いんだ。自分の男を誘惑して寝取った"この泥棒猫!" ってね」

 春の真昼の陽光がガラスで和らいで差し込んでくる、明るいシティホテルのレストラン、その窓際の席。
 ついさっき運ばれてきたばかりの、色とりどりに盛り付けられたサラダにフォークを入れながら、お人好しな性格が滲み出ているその顔を苦笑に歪めて語っているのは、母方の従兄の克彦君だ。
 休日のラフな格好でも、春物のジャケットを着こなす爽やかな清潔《きちんと》感が、相変わらず好印象で素敵な人。

 「逆に男は、浮気をした恋人の貞操を批判する。自分という男《もの》がありながら、裏切って、他の男の種を受け入れる事を良しとした女なんだと、どんなに愛していた恋人であっても、そんな解釈を本能的に脳に格納してしまう方が強いらしいよ」
 「ん〜、何となくわかるかも」

 一度浮気をした女が結婚して妊娠した時、よほどの信頼関係が作られていない限り、それが自分の子供だなんて無条件に信じる気にはなれないと思う。
 女短《たんだい》でもチラチラ見かけたもんね。
 浮気が癖みたいな子。
 特に、それをイコール"もてる"って勘違いしてる子は愚の骨頂。
 バレた事は「しまった!」って感じで、彼氏に対して悪い事したって反省する姿はあまり見られなかった。
 そういうのでマウントとってる子は、まるで武勇伝みたいに浮気しては別れて(捨てられて)を繰り返してたしね…。

 でもやっぱり、同じ穴の狢か、余程のバカか、相当なMか、もしくは愛が深すぎて浮気彼女に対しても寛大な懐を持った彼氏じゃない限り、浮気した彼女と将来を見据えて真面目にお付き合いなんて、そんなゴールには向かわない。
 気軽にセックスできる"名ばかり彼女"扱いにして、実は裏では合コンで恋人募集中って男、何人も会った事あるし。
 って言うか、彼氏がいてもいいなんて浮気を誘って来る男は、つまりは体だけ目当てにされてんじゃないのって思うのは、やっぱりあたしだけ?

 「浮気された彼氏の方は、浮気相手の男が、一体"自分より何が優れていたのか"は気になるけれど、浮気の原因として男を責める事は少ないみたい。このデータを元に考えれば、浮気に対する男女の考えの差異はかなりのものだと思うよ」
 「統計の大多数を占めるセオリーに当てはまればね」
 「そうだね」

 優しく微笑んだ克彦君は、改めて向き合ったサラダから、紫色のお花をフォークを使って器用にお皿の端に避け始めた。

 「克彦君? それ、食べられるお花だよ?」
 「ん〜、…解ってはいるんだけどね、お花は観るものって固定概念が強すぎて、どうも口に入れる事は躊躇うなぁ」

 眉尻を下げる克彦君に、あたしは思わず噴き出した。

 「克彦君、昔から出来過ぎた美人は苦手だもんね」
 「…雪、それは少し、っていうか、なんか違う」
 「そう?」

 聞き返しながら、自分のお皿からパクリと黄色のお花を口に入れれば、何の事はないやっぱりサラダで、微かに苦みが残るくらい。
 でも不快な強さじゃないから、生ハムと一緒に別のお花ももう一口食べた。

 「ん、美味し」

 そんなあたしを笑って見つめて、

 「久しぶりだし、ワインでも飲もうか?」

 克彦君がテーブル端のスタンドに立っていたメニュー群から、ワインリストを選んで手に取った。

 「わ、ほんと? ラッキー。休日の優雅なひと時って感じ。――――――あれ? でも克彦君、車じゃなかった?」
 「車。でも後で梢と落ち合う予定だから問題ないよ」
 「梢ちゃん、運転するんだ?」
 「新居は郊外に決めたんだ。車通勤になるから慣れておきたいって、最近から運転してる」
 「そっかぁ。秋の予定だっけ? 結婚式」
 「うん。招待状はもうちょっと先かな」
 「いいですねぇ、幸せいっぱいって感じで」

 あたしがそれを口にしたと同時に、克彦君が視線で捕まえたウェイターへと軽く手をあげて合図を出した。

 「僕が決めていい?」
 「うん」
 「色は?」
 「ん〜、白かな。あ、スパークリングがいいかも」
 「それなら――――――ブルゴーニュものにしようか」
 「どれ? ――――――あ、これ好き」
 「じゃあ決まりだ」

 ワインリストを間にやり取りを終えたタイミングで姿を現したウェイターへと、透かさずボトルを頼んだ克彦君はさすが慣れた大人って感じ。
 そんなに飛びぬけたイケメンじゃないけれど、でも、

 「やっぱり克彦君が一番だなぁ」

 これまで出会ってきたどの男の人と比べても、雰囲気とか、穏やかな話し方、話の拾い方、相槌の打ち方。
 年を重ねる毎にこうして素敵になっていける克彦君は、間違いなく極上の男だと思う。

 「ん?」
 「ちぇ〜、梢ちゃんより先に会いたかったぁ」

 口を尖らせて見せれば、克彦君は困った顔で小さく笑った。

 「僕が梢と出会ったのは四つか五つの時だから――――――雪は幾つだった? って、まだ生まれてないか」
 「じゃあ付き合い始めたのは?」
 「僕が高二の時だから…十七か。その時雪は、…十歳?」
 「十歳かぁ。さすがに厳しいねぇ」
 「厳しいなぁ。――――――でも」

 ふと、あたし達を囲む時間が止まった。

 「親愛の情ならこれからだって沢山注いであげられるよ。梢と一緒に」


 包み込むような笑顔を見せた克彦君に、寂しがり屋のあたしの胸のどこかがギュッと掴まれて泣きそうになる。

 「――――――うん」

 ちょっと俯いてしまったあたしの頭に、克彦君の手が伸びてきて、昔からちっとも変わらないやり方で"良い子良い子"って撫でてくれた。








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