小説:食べられる花


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Episode:雪


 あたしの両親は小さい頃からほとんど家に居なくて、叔父さんはそれを気にしてか、奥さんである莢子《さやこ》おばさまと一緒に定期的に食事や買い物に誘い出しては構ってくれて、そして時々、息子である克彦君もそれに加わって、あたしの話し相手になってくれた。
 この堂元一家がいなければ、あたしはもっと捻くれた人間になっていたと思う。

 最初は、克彦君の彼女である梢ちゃんの事も疑っていた。
 家族でもないのに自分の彼氏と一緒にいる従妹《あたし》の事を、本当は疎ましく思ってるんじゃないかって。
 邪魔に、思ってるんじゃないかって…。

 でも、あたしが友達との事で傷ついた時、克彦君と二人で必死に慰めてくれた梢ちゃんのもらい泣きの涙は素直に受け止める事が出来て、

 "別に疑ってもいいんだよ? 馬鹿馬鹿しいって、いつか雪ちゃんが笑えるまで"

 そう言った梢ちゃんは、普段はふわふわして可愛い系なのに、何だか凛として凄く綺麗だったから。
 どっちかって言うと梢ちゃんの方に胸がきゅんきゅんして、強く強く抱き着いて、克彦君にちょっと拗ねられたくらいだ。

 だからこうして、男の人と二人きりで食事なんて他の人とは出来ない事を克彦君とは出来たりする。
 そういう意味で、克彦君は特別。
 梢ちゃんは更に特別。
 あたしがあたしのままでいられる、唯一の女の人だから。


 あたしの見た目が可憐さと女らしを増すたびに、比例して増える女友達とのトラブル。
 高校三年に上がる頃には、あたしは真面目に親友を求める事を諦めた。

 何をしても、悪い方にしか回らない。
 友人の彼を奪う女というレッテルは、あたしから普通の女の子達を遠ざけたし、あたしももう、誰かを信じたいと願う気持ちの維持に疲れ果てていた。

 究極まで行くと、結構どうでもよくなって、
 それならもう、頑張らなくてもいいんじゃない?

 突き抜けたら思考が軽くなって。

 高校卒業後の進路は、名前だけは有名な女子短大。
 意識的に語尾を伸ばして、いかにも男好きって振る舞っておけば、同じようなタイプの打算が利く女の子達は見た目だけのあたしを目の敵になんてしない。
 藤代雪って女はそういう女だから、適当に相手しておけばいいのって、合コンの良い餌だからって、女同士でそんな暗黙でコミュニティが出来上がる。
 親友は探せないけれど、女子学生として楽しく過ごすだけの仲間は確保できた。

 直ぐに空しくて煩わしくなったから、結局合コン遊びは一年ももたずに卒業したけれど、運よく克彦君と同じ会社に就職して(コネじゃない)、総務に配属されたらまさかの受付担当(コネじゃない!)。
 熱心しつこく食事に誘ってきていた広報の人と一度だけ、これが最初で最後という約束の元で駅前のファミレスに行ったら、取引先の会社の、同じく受付のお姉様が出てきて、会社の外で叩かれる事件《ハプニング》に遭った。
 それを人伝に知った克彦君が、あたしに真相を確認するや否や(何も言わずに誤魔化したけれど、バレちゃったらしい)、二度と雪に近づくなと、その広報の人に啖呵を切った事は、今は懐かしい思い出だ。
 人事部の威光なのか、それとも将来を有望視されているらしい克彦君の力なのか。
 その人は二度と声をかけてこなかったけれど、その分、良く解らない噂が独り歩き。

 はいはい。
 どうせ雪ちゃんが悪者ですよ。

 開き直った時には、あたしが総務から出て行くって異動発令が確定していて、それから半年が経過した。


 「――――――雪、カスタマー部は、…どう?」

 メインの一つ、子羊のピカタを食べ終えたところで克彦君から気遣うように声がかかる。

 「うん。嫌いじゃないみたい。CSR電話の仕事」
 「そう」

 ホッとしたように息を吐くところを見ると、

 「やっぱり克彦君が手を回したんだ?」
 「…勝手にごめん。けど、あそこの皆藤さん、面倒見もいいし、男が少ない部署の方が雪には良いと思ったんだ。雪はある程度の仕事をこなせるキャパはちゃんとあるし、自分でスキルを培う素養もあるからね」
 「それって身内の贔屓目。――――――でも、そうだね。うん。今の部署で良かったと思う。藤代雪、おかげさまで楽しくやってまぁす」

 敬礼真似て片手を額の上でピンと伸ばせば、克彦君が心底安心したように頷いてくれる。
 それを見たあたしもまた安心して、

 ちょっと酔っ払ったかも。

 軽い口当たりのスパークリングワインだけど、度数は普通のカクテルよりちょっとだけ高い。
 ふわふわ良い気分になっていたあたしは、何気に動かした視界の先で、フロントのあるロビーからこのレストランへと続くエントランスを颯爽と歩いて来るイケメンに、ガラス越しに気が付いた。

 わぁ、華やかですねぇ。

 心の中で、思わず擬態口調発動。
 キラキラしてるのは、その人の背景にあるシャンデリアのお陰じゃない。

 分けた前髪の片方だけスッキリと固め上げた綺麗な黒髪。
 服好きなら誰でも知っている、イタリアのブランドロゴが入った上品なシャツ。
 長身に似合うジャケットと、それに見合った優雅な仕草が、タブレットを操作する事すら色っぽく目に映る男の人――――――…、

 こういう人は、セックスも上手そう。


 って、


 「…ん?」


 ――――――あれ?

 ふと、何かが記憶の触りで引っかかる。


 「んんん?」

 このイケメン、どこかで見た事がある…?

 「雪?」

 眉間に皺を寄せたあたしの唸り声を聞いて、克彦君も釣られるようにして背後を振り返った、――――――途端。

 ピクリ。
 克彦君の、ナイフを持つ手の指先が、一本だけ撥ねて反応する。

 けれど、まるで何も見なかったかのような表情で、克彦君はあたしに向き直った。

 「――――――冷めないうちに食べようか」

 ポーカーフェイスを気取ったけれど、ずっと昔から克彦君を知っているあたしの目は誤魔化せません。

 「もう冷めてるし、あたしは食べ終わったし」
 「…」
 「克彦君、あの人、うちの会社の人だよね?」
 「そう? でもあんなに綺麗な人なら、印象に残りそうだけど」
 「…」

 克彦君。
 そこは人事部の職員らしく、"僕が知る限り、あんな見た目の職員はいない"ってきっぱり言い切って良かったんだよ。
 相手があたしだからって、ちょっと気を抜きすぎ。

 「やっぱり――――――あれってシスサポの室瀬さんだよねぇ?」
 「…雪」
 「いつも"王子様"の後ろにいて、バッサーって前髪垂らしてる人、眼鏡してる人、顔隠してる人!」
 「…」
 「ね?」

 引き下がらないつもり満々のあたしに、それを良く知る克彦君は一度深く息を吐いてから両手のカトラリーをお皿に置き、自分の失敗を流し込むように、スパークリングワインを一口飲んだ。

 「…彼は、事情があって素顔を晒さないようにしてるんだよ。内緒ね?」
 「確かに、あれで社内歩かれたら、女子は仕事にならないかも」

 王子様こと、宮池たくみはどの会社にも存在するだろう象徴的なイケメンの範疇だけど、あの室瀬さんはその上を軽くいっちゃう。

 「みんな色々擬態して大変だぁねぇ」

 自分を含めて、笑いながら揶揄してあたしが告げれば、

 「――――――そう言えば、西脇さんは元気?」
 「え?」

 話題を変えるでもなく、ただ本当にふと思い出したような感じで、克彦君があたしと同じ部署にいる先輩の名前を口にした。

 「西脇さん? …うん、元気だと思うけど…?」

 その人は、いつも基本業務であるはずのコール対応とは別の仕事をしている事が多い、皆藤さんの補佐的な存在の人。
 眼鏡をかけて、前髪が長くて、私服とかのセンスはわりと良い感じなんだけど、いつも俯き加減だから――――――、


 …あ、


 「もしかして西脇さんも擬態の人?」

 そんなあたしの確認に、克彦君は苦笑を浮かべた。

 「僕が振った話題だし、雪なら悪いように扱わないって知ってるから言うけど、――――――彼女、僕の大学の後輩で、学祭の時、準ミスにも選ばれた事がある人だよ」
 「えッ!?」
 「知る人ぞ知るって感じかな。人事部はもちろん、彼女が四年生の時にインターンシップで関わった職員とか…。ああ、そっちの越智さん。あの人なんか、二年連続で大学に訪ねたって聞いてる」
 「うっそ」


 意外な事実に驚いた。



 ――――――
 ―――――

 「藤代さん、お疲れ様です。今いいですか?」

 ちょうど対応した記録の入力を終えて、コーヒーでも飲んで一息吐こうかとヘッドセットを置いた時、そう言いながら傍にやってきたのは、今あたしの中で一番好奇心をそそる人だった。

 「あ、お疲れ様ですぅ、西脇さん。どうしたんですかぁ?」
 「申請してたマウス、到着したので…」
 「わざわざ持ってきてくれたんですかぁ? ありがとうございますぅ」
 「いえ。受領ファイルの更新方法はわかりますか?」
 「はぁい、大丈夫でぇす」
 「それじゃあ、二営業日以内までにお願いしますね」
 「了解しましたぁ」

 やり取りの合間にも、何気なくさり気なく、じっくりねっとり眺めてしまう。

 西脇咲夜さやさん。
 克彦君から準ミスだったって聞かされるまでは、ただの普通の、地味な雰囲気の職員さんという印象だった。
 もちろん、どんな仕事も丁寧で、研修資料のまとめ方が他のどのスーパーバイザーよりも上手く、カスタマー部の中心を支えている存在だって事はもちろん認識していたけれど、それはあくまで経験の差であって、きっと同じ仕事を将来的にこなせる職員は、探せば部署内にも何人かいる筈だ。
 まあ、人柄の良さとかいうのも大事だとは思うけど。

 でも確かに、横から見るとその顔立ちの良さはちゃんと分かる。
 眼鏡《レンズ》につきそうな睫毛は、あたしのエクステとは違ってきっと天然。
 時々、考え事に夢中になると、唇の間に少し指の節を中てるところなんか、伏し目がちになって色っぽい。
 美人ってタイプじゃないのに、凄く綺麗に目に映る。

 そう言えば、センスが良いって印象のあった私服姿は、スタイルの良さがあるからそう見えるのかもしれない。
 既製の制服だと判らなかった、ウエストの細さとか、女性らしい背中から臀部にかけてのカーブ…。

 がーん。
 結構なレベルの人だわ。

 真実を知るまで、彼女の擬態に全く気づかなかったなんて、一生の不覚。
 あたしもまだまだだ。


 西脇さんは、ソツなく日常をこなしているように見えるけれど、彼女と周囲との間には何やら薄い壁みたいなのがある気がする。
 もちろん、仕事上必要な人達とはちゃんとコミュニケーションをとっているけれど、チラチラ観察を続けている内に、もしかしたら彼女はイケイケ女子が苦手かもしれないと思えた。
 そして、やっぱり人の目を気にしてるというか、他人から出来るだけ隠れようとしている意志が仕草の端々に感じ取れる。

 準ミスかぁ…。

 あたしが通っていた女子短大は、ミスコンなんていう色物イベントはなかったけれど、それなりにカースト制度みたいな図式はあって、水面下でのやり取りは結構凄かった。
 克彦君と同じ大学って事は、四大で共学。
 嫉妬も利用も熾烈そう。

 きっと、西脇さんにしか分からない相当な苦労があったんだろうと想像が容易かった。


 「あれ? 藤代さん、今日は遅いね?」

 げ、この声…。

 ピークの時間からずれた社員食堂の隅っこで、黙々とハンバーグを食べている西脇さんを観察しながらラーメンをすすっていたあたしの視界を塞いだのは、

 「あ、宮池さん。お疲れ様ですぅ」

 やっぱり。
 我が社の王子様こと、宮池たくみだった。
 薄茶のサラサラの髪と、爽やかそうに見える微笑み。
 その頭の中で何を考えているのかは知らないけれど、なぜか最近、あたしの周囲に出没する頻度が高い。

 「ここいい?」

 嘘、座るの?
 超メンドクサイんですけど。

 「もちろんですよぉ」

 遅番シフトの何が貴重かって、この静かなお昼時間。
 何よりも尊いんだから邪魔しないでよねって、叫びたいとこだけど、ここは口にはせずに、"察しなさいよね"攻撃。

 「でもあたし、もう直ぐ終わっちゃうんですぅ」
 「ああ、大丈夫だよ」

 何が?

 「ほら、サクヤ、こっち」

 宮池さんの視線を追いかけて顔をあげると、そこには存在感を消しまくった室瀬さんがいて、


 ――――――…西脇さん?


 真剣な表情で彼が視線を向けていたのは、どう見ても西脇さんのいる辺り。

 「あいつも一緒だから」

 なら最初っから二人で食べなさいよ、と。
 突っ込みを入れたかったけれど、

 「…たくみ、オレは向こうでいい」
 「え? 何だよ、せっかく藤代さん口説こうと思ったのにさ〜」

 Goodjob!

 どうやら、室瀬さんの方から避けられたようだ。
 眼鏡の奥にある瞳が、明らかにあたしの存在を無視している。

 悪意があるわけじゃなくて、きっと身に着けてきた防衛手段の一つなんだろうと考えてしまうのは、あたしが彼の素顔《マスク》を知っているからで、


 ――――――っていうか、室瀬さんって西脇さん狙いなんだぁ。


 でも、シスサポとカスタマーって接点ってなくない?
 カスタマー部にはテクニカルサポートも専門チームいるし、余程じゃない限り直接は関わらないし…ただ、部署内での関係しか見えないからなぁ、あたしには。

 皆藤さんのアシスタントとして出掛けている先で顔を合わせてる可能性はあるか…。


 西脇さんの方は――――――と。
 視線を向けたあたしと、一秒くらい偶然に目が合ったけど、特に王子にも室瀬さんにも反応は示さない。


 っていうか、室瀬さん…顔、前髪で半分隠れてるけど、
 口元をしっかり手で押さえて隠してるけど、

 顔は丸ごと見えないけど!

 絶対に赤くなってるよね?

 こんな日本人離れした綺麗な顔を持っていながら、その仕草。
 ギャップあり過ぎだけど、やっぱりそう言う事なんだ。


 ふうん。


 ずるずる。

 「…」

 味噌ラーメンより刺激のある麻辣担々麺の気分だったかな、今日は。
 社食《ここ》にはないけど。


 「…アピールしたのに、反応無いなぁ」
 「え?」


 王子が大きな溜息を吐いたのに気が付いて、あたしはラーメンをくわえたまま顔を上げる。
 そう言えば、王子がまだいた。

 「…」

 ちゅるちゅる、ゴクン。

 「…やだぁ、恥ずかしいんで、見ないでくださいぃ」

 危ない危ない。
 考え事に集中してて、完璧に素だった、今。


 「参ったな。俺、君を口説きたいな〜って宣言してるんだけど」

 え、そんな事言ってた?

 「やだぁ、宮池さんったら、また調子良い事言ってぇ」

 冗談じゃないわよ。
 こんな会話が誰かに聞かれたら、秘書課のあのお姉様と企画室のあのお姉様と営業支援部のあのお姉様を確実に敵に回しちゃうじゃない。
 思わず周囲に目線を配ったあたしに、

 「残念ながら、結構本気。――――――はい」

 はい?

 示されて、とんと音を立ててテーブルに置かれたのは、丸まった王子の繊細そうな手。
 「なあに?」という効果音が出そうなくらいに首を傾げてクエスチョンマークを送りながら王子を見上げれば、視界の下の方でその手がゆっくりと開かれた。

 半球型の透明なケースに閉じ込められているのは綺麗なパンジー。
 周囲にある黄色は、色からするとパイナップルゼリーか、それともグレープフルーツ?

 「エディブルフラワーだよ」

 ええ、知ってます。
 知ってますけど――――――、

 「綺麗ですねぇ? コレ、どうしたんですかぁ?」

 応えたあたしに、宮池さんが僅かに目を細めた。
 多分、あまり良くない意味合いで。

 「…なんだ。もっと可愛く喜んでくれると思ったのに。特別好きってわけでもないんだね」


 ――――――え?


 「…ぁ、のぉ…?」

 すみません、何言ってるのか、さっぱり解らないんですけど、王子様。
 ちゃんと解るようにお話いただけます?

 「まあいいか。少しずつ…れば」

 …最後の方は小さくてよく聞こえなかったけれど、

 「…ぅッ?」

 何、今の。

 悪寒に似た震えが、あたしの背筋から二の腕へとぞわぞわ走り抜けた。
 チラリと王子を見れば、相変わらず目を細めてあたしを見ている。

 あ、これ、嫌な感じだ。
 絶対危ない。

 あたしの勘が何かを告げている。

 「食べて、それ」
 「…あ、ぁりがとうございますぅ…」

 出来るだけニッコリと作って笑ったあたしに、王子はいつもの爽やかな笑顔で返して室瀬さんを追って離れていく。

 「…危ない危ない。しばらくは社食《ここ》に近づかないようにしよ」

 両腕をそれぞれの反対の手で摩りながら呟いた後、目に入った、置いてけぼりになっている寂しそうなゼリーを思わず手に取った。


 「あ、結構重い」


 …そして、大きい。

 ふと、これが王子の手に隠れていた事を思い出す。
 絶対に本人の方は見ないけれど、あの手は印象に残ってる。


 「細くて綺麗な指だと思ったけど、やっぱりちゃんと男の人なんだねぇ」


 エディブルフラワー。
 食べられるお花。

 前に克彦君と食べたばかりなのに、縁がある。


 「今晩のデザートゲ〜ット」



 歓びを小さく呟いて、



 食堂を避けさえすればどうにかなると、王子について楽観的に考えていたあたしは、世界一の甘ちゃんだった。








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