小説:秘密の花は夜香る


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秘密の花は夜香る
SECRET:01


 05:00起床。
 05:30フランス語・イタリア語・スペイン語・ドイツ語と、それぞれ30分ずつネイティブとオンラインで会話。
 07:00朝食。
 08:00インディペンデントスクールへ。
 16:00月水金はヴァイオリン、火曜と土曜はピアノと声楽、木曜はフェンシングで日曜が空手。
 19:00夕食。
 20:00中国語・日本語をそれぞれ30分ずつネイティブとオンラインで会話。
 21:00自由時間
 22:00就寝。

 土日は基本、09:00から16:00までWebセミナーを渡り歩く。
 語学から世界情勢、経済理論、各国の企業情報から人材育成、経営者としてどう動くか、どう判断するか、用意されたコンテンツは尽きる事はない。


 『――――――君は確か12歳だよね。ちゃんと自由時間は取れているのかい?』

 オレの一週間のスケジュールを聞いた日本語担当のサネハルが、画面の向こうで苦笑いを浮かべている。
 素朴なワントーンのポロシャツが似合う、温和な表情が印象的な面長の日本人。

 「…取りたいと思う分は、取れていると思います」
 『――――――それなりに、自由時間は取得出来ている、という事だね』
 「はい。それなりに自由時間は取得できています」

 初めての言い回しや表現方法はメモしながら、新しい単語は辞書を引きながら、とにかく口に出してプラクティス。
 毎日30分、6言語。
 切り替えて会話する事を脳は実践で学んでいく。

 人の上に立つための、人の生を負うための、責任ある立場の人間が最初に持つべき武器は"言語である"という先祖からの持論は、母からオレにこうして継承されていた。

 『――――――もう30分だ。あっという間だったね』

 サネハルに言われてPCのシステム時計を見れば、残り2分という時間で、思わずため息が零れてしまう。

 「…オレ…サネハルとの日本語の時間が一番好き」

 こちらの要望通りカリキュラムを進めつつ、他の言語担当の人達とは違っていつも親愛を感じさせてくれたサネハルは、日本人である父さんの学生時代からの親友。
 ほぼ毎日顔を合わせて会話をしていればどの教師も多少気安くはなるけれど、サネハルとは、それとは明らかに違う関係性を築けていた。

 『――――――それは嬉しいね。君に時間があるなら、もう少しプライベートで話すかい?』
 「いいの?」

 嬉しくて即反応すれば、サネハルは頷いた。

 『――――――ああ。そういえば今日は娘が遠足でね』
 「えんそく?」
 『――――――学校の行事だよ。みんなでお弁当やお菓子を持って、動物園に行ったり、ダムを観たりして楽しむんだ。学習も含めてね。今年はどこなのか訊きそびれてしまったな。朝早くからお弁当を作って楽しそうに登校したよ』
 「とうこう…」
 『――――――遠く、と、足、で、"えんそく"と読むんだよ。あと、こう書いて、登校。学校に行くという意味だ』


 共有されたアプリの画面に漢字が描かれていく。
 それをしっかりとメモをしたタイミングで、イヤホンからサネハルの小さな笑い声が聞こえた。


 「…何?」

 笑われた意味が理解出来ずに問いかければ、サネハルは優しく目を細める。

 『――――――娘が小さい頃はフラミンゴの大ファンでね。動物園で配布されているガイドブックから始まって、サンタクロースにリクエストした動物図鑑もフラミンゴが目当てだったんだ。魅入られたように、片時も手から離さなかったよ』
 「…フラミンゴ」

 確か動物園のフラミンゴは――――――、

 『――――――姿かたち、その色彩だけを楽しんでいた娘はやがて難しい漢字も読めるようになって、ある時、あの優雅で美しい鮮やかな桃色の鳥達が、実は逃げないように羽を切られていると知って大泣きしてね。慰めるのに何時間もかかった事をふと思い出した』

 幸せそうに笑うサネハルに、疑問が口を突く。

 「娘が悲しんだSCENEなのに、サネハルは思い出して楽しいの?」
 『――――――自分以外の立場を思いやって泣いた娘の事が、とても誇らしくて、愛おしくて、嬉しいんだよ、サクヤ。きっと君もいつか、僕のこの気持ちを体感する時がくる』
 「ふうん…」


 大人になれば。
 子供だから。

 ――――――そんな定義は、オレが身を置いている世界では意味を持たない。
 その場で理解出来なければ同年代から足元を掬われるし、大人達からは他の令息と比べられて序列をつけられる。

 だからオレは、どの場面でも全てに打ち勝っていかなければならない。
 一族の――――――世界に名を馳せる富豪ロランディの名を継ぐ者として――――――。



 自分に言い聞かせようと目を伏せた時、部屋のドアがノックされた。


 「ごめん、誰か来たみたいだ。サネハル、少しいいかな」
 『もちろん』
 「――――――come in…――――――Dad?」

 きっとベッドメイクの最終確認をしにきたメイドだろうと想定して許可を出したのに、扉を開けて顔を出したのは父さんだった。


 【やあ、咲夜さくや、オンライン中なのか?】
 【うん、サネハルだよ】

 生粋の日本人である父親との会話は英語。
 日本語を理解しないロランディ本家以外の一族に対しての配慮であり、余計な詮索を生まないため、そして付け入る隙を与えないためだ。
 屋敷内の使用人は徹底的に侍従長が教育しているけれど、この時代、金が必要な理由は溢れていて、それから完璧に目を逸らせるほどの忠誠心を全員に叩き込むことは難しいらしい。


 【やあ、ハル】
 【――――――久しぶりだね、一暁《かずあき》。元気そうだ】

 カメラの前に父さんが手をあげると、サネハルも同じように返してきた。

 【おかげさまでね。君達も変わりはないかい?】
 【――――――ああ。家族共々問題ないよ。そちらはどうだい? エヴァも元気かな?】
 【元気だよ。また近い内に彼女と日本に行く予定だ。時間作って連絡する】
 【――――――楽しみにしているよ】
 【…ところで、授業はもう終わりかな?】

 会話を区切ってそれぞれに目配せをした父さんに、オレは頷いた。

 【終わったよ。今はサネハルの娘さんの話をしてたとこ】
 【そうか。サーヤは元気かい? 去年日本に行った時は会えなかったからね。大きくなったんだろう?】
 【――――――五年生だ】
 【咲夜さくやより一つ下だったか】
 【――――――ああ。次に来た時はぜひうちに寄ってくれよ? 美乃梨も前回は会えなくて残念がっていたから】
 【そうするよ。――――――ところでハル、実はこれから咲夜さくやに予定が急に入ってね】
 【え?】

 驚いたオレを他所に、

 【――――――わかった】

 サネハルはあっさりと承諾した。

 『――――――それじゃあサクヤ、また明日』
 「…はい、ありがとうございました」

 未練もなく切れるのがオンラインのいいところでもあり、寂しいところでもある。

 【で? こんな時間に何の予定? 父さん】

 PCにロックをかけて椅子から立てば、父さんが困ったように笑った。

 【母さんが待ってる】
 【え?】
 【お前に話があるそうだ。――――――ロランディの当主としてではなく…】

 濁されたその前置きだけで、あまりいい予感はしない。

 【もしかして、また例の…?】
 【そういう事だ】

 やっぱりか。

 【…すっ、げぇ、嫌なんだけど】
 【そう言うな】

 ロランディの女傑と呼ばれていた母さんを、ドロドロに溶かすまで撃ち抜いたという父さんの美貌が笑みに象られる。
 そして、オレの肩をポンポンと叩いてギュっと抱きしめてきた。

 【エヴァは四六時中、一族を守って矢面に立っているんだ。たまの愚痴くらい聞いてやれ】


 愚痴――――――ね。











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