小説:秘密の花は夜香る


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秘密の花は夜香る
SECRET:15

 【――――――マリー、一体何があった?】


 オレの胸に顔を埋めてひとしきり泣き、漸《ようや》く一呼吸つけたような様子が窺えたタイミングで透かさず声をかける。
 するとマリーは、改めて深く息を吸って、か細く語りだした。

 友人の婚約披露パーティに出席した際、正装のジェズが招待客の一人のパートナーとしてそこにいた事。
 その招待客が、ジェズの事を婚約者だと周りに告げていた事。
 泣きたくなる気持ちを堪えてお祝いを伝えに近づいたら、彼女に誤解されると困るから、二度と自分には親しく話しかけないで欲しいと言われた事。


 【…ジェズが?】

 到底信じられなくて思わず口を挟めば、マリーも吐く様に笑う。

 【私も、最初は何を言われたのかよくわからなくて、…立ち尽くしちゃって…、だって、あのジェズが、あんなに、優しかったジェズが……でも、好きな人の為なら、そういう事も言えちゃうんだって、――――――そうやって頭の中をどうにか整理している内に、迷惑だって、とどめ、刺されちゃって、…ジェズの声で、…今まで、聞いたこともないくらい低い声で、そう言われたら、…足元…、崩れて…、わた、私、…もう、その場に、居られなくて…】
 【…マリー】

 また大粒の涙をこぼし始めた目の縁に、思わず指を添えて拭ってやる。

 【わかった。わかったから】
 【サクヤ…】

 幸い、談話室には他に人の気配はなく、管理人の先生も距離があるから会話の詳細は聞こえていない筈だ。

 【もうやめるの、やめたいの】
 【マリー】
 【サクヤなら、素敵だもの、みんな言うの、羨ましいって、サクヤが相手なら、きっと幸せになれるって】
 【…マリー】
 【いいでしょ? ――――――全部、忘れさせてよ…ッ】

 駄々を捏ねるように首を振るから、そのたびにセットが崩れてサラサラとプラチナブロンドが落ちてくる。
 オレの胸倉を強くつかむ両手の指が、微かに震えているのが伝わってくる。

 【――――――マリー】

 指の背で、掌で、止めどなく頬に流れる涙を拭った。


 【綺麗なマリー】
 【サクヤ…】
 【可愛いマリー】

 望みが叶う事を期待するマリーの目が、縋るようにオレを見つめてくる。

 【本当はじゃじゃ馬で、敵には口が悪くて、それでも、――――――マリアン・ファディーニほど、気高くて強い淑女《レディー》は他にはいない。他では探せない。どこにもいない。特別な、ファディーニ家のお姫様】
 【…サクヤ…どうして…?】

 讃える言葉とは裏腹に、どんどん身体の距離を空けていくオレに、マリーは裏切られたと言わんばかりの表情を向けてきた。

 【オレには、マリーは抱けない】

 出来るだけ真摯な思いを込めてそう告げれば、マリーはゆっくりと首を振った。

 【どうしてよ…、嫌、嫌よ。ねぇ、一度だけでいいの。それだけで、きっと前に進めるから】
 【そんな抱き方なら猶更、したくない】
 【……どうして…? やっぱり、私に、魅力がないから…?】

 途方に暮れたように視線を迷わせるマリーの頭を、そっと撫でた。

 【言っただろ? お前は綺麗だし、可愛い】
 【でも、セックスは出来ないの…?】
 【ああ。お前には出来ない。まったく別の次元で、とても、とても大切な存在だからだ】
 【…】
 【ずっと見てきた。お前のジェズに対する気持ちも、どうやって今まで頑張って来たのかも。…とても、誇らしく思ってるんだ、お前の事。――――――これは、…この気持ちは、家族に対する尊敬や、愛――――――そういうのと、同等だと、そう思う】
 【…ぅ…】
 【いつか――――――オレにパートナーが出来たとしたら、その人にも、マリーの事を家族のように思って欲しいから、こういう流れで体を繋げるのは避けたいし、――――――マリー】


 両頬を包んで顔を上げさせれば、どうやら何を言われるのか察せたらしい。

 【前に進みたいなら、ちゃんと砕けてこい】
 【…ッ】
 【まだ一度だって、告白した事ないだろう?】
 【…】
 【同じ矜持を崩すなら、そっちの方がお前らしい】
 【…によ】

 マリーの拳がオレの胸を打つ。

 【何よ!】
 【痛ッ】
 【昔はチビだったクセに! 生意気なのよ! この私の背中を! あんたが押すなんて! もう!】
 【マリー…】

 一体いつの話を持ち出す気かと、思わず身構えていると、

 【解ってるわよ! 解ってた! どうせ私はジェズにとってずっとずぅぅぅっと対象外よ!】

 精一杯強がって、悪態をつくマリーは二十歳を過ぎても根本的なところは変わっていない。

 【何よ! ジェズのクセに!】

 腕を組んでソファにふんぞり返るという態度なのに、ジェズの事を考えている時は見ている方が困るくらいに表情が可愛いから、惜しい事したかと少しは思う。
 けれど、オレに向けられているものでなければ、手を伸ばしても意味はないし、今の時点でマリーを女として欲しいとは思わない。

 …ふと、ネロの事を思い出した。

 この感じ、資《たくみ》との事を協力する気になった時と、心の傾き方が良く似ている。

 【…ジェズが婚約したって、ほんとなのか?】
 【あんな大勢の前で言ってたのよ? 嘘なワケないじゃない】

 マリーの事があるから、父さんなら前以て連携してきそうな案件だけど…、

 【首元にあんな見せつけるみたいなキスマーク付けて! クール振ってもカッコよくないっての! 恥ずかしいったらないのよ!】
 【…キスマーク?】
 【そうよ! ここら辺に、すっごい濃いやつ】

 耳の下辺りを示したマリーに、ふと湧いた違和感。

 【――――――ジェズって、仕事辞めたわけじゃないよな?】
 【当たり前じゃない】
 【…その婚約者の家に婿に入る予定で、執事辞める予定があるとか?】
 【辞めるかどうかなんて知らないけど、お婿さんに入るのは無理よ。上のお兄さんが優秀で、既に右腕として大活躍中だもの】

 "本当はじゃじゃ馬だという事はもちろん存じていますよ。敵には容赦のない事も。けれど、マリアン・ファディーニ様ほど、気高くて強い淑女《レディー》は他にいません。彼女は特別なファディーニ家のお姫様なのですから、そのままでいいのですよ"

 さっきオレがマリーに伝えたのは、ジェズの言葉だ。
 そんな風に、マリーの真価を誰よりも理解していた筈のジェズが、人前でその存在を拒否し、あれだけ信念を注いでいた執事業を蔑ろにする行為を許す――――――?


 【…ちなみに、ジェズのその婚約者らしい女ってのは誰だ?】
 【え? ――――――それは】


 マリーの不機嫌そうな唇から刻まれたのは、昔、十二歳のオレを別室に連れ込んでキスを仕掛けてきた、痴女の名前だった。









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