小説:秘密の花は夜香る


<秘密の花は夜香る 目次へ>


秘密の花は夜香る
SECRET:14

 不意打ちで悪いとは思ったが、アンドリューがこちらを見ない限り始まらない。

 【えッ? …ぁ】

 振り返ったアンドリューは、多民族を抱えるこの学校でも数えるほどしかお目に掛かれない、金褐色の華やかな眼差しを大きく見開いている。
 それは、オレを拒絶するようなものではなく、ただ本当に、話しかけられた事に驚いているだけのようだった。

 【あの猫、もうここにはいない】
 【…】

 ならどこに?

 と、無言で問いかけられた気がして、つい応えてしまう。

 【日本。愛しの王子様にさらわれて、新婚生活中】
 【…】

 そう…なんだ。

 目を伏せた事でなぜかそう聞こえてしまった。
 そしてほんの少し、開き難いその口元が上がっている事で、この結末はアンドリューにとって悪くない話だったんだと理解出来る。

 【――――――お前も、ネロに貢いでたクチか】
 【…ネロ?】

 初めて、アンドリューの言葉が振動になった。

 【あの白猫――――――バルタス? あいつの別の名前。他にも、ユキとか】
 【ユキ…?】
 【日本語で雪のこと】
 【…ああ、そうだね。雪のように真っ白な子だった】

 言いながら微笑んだアンドリューの顔の造形は、男のオレでも感心するほど整っていて、

 【最初は薄汚れていたけどな】
 【タクミが、ずっと綺麗にしてくれていたから…】
 【言っておくが、最近はオレも貢献していたぞ】
 【そうだったんだ】

 目を細めたその足元に、なるほど、その気がある奴は傅く気になるだろう。
 美形が多いと有名なリトアニアの中でも、群を抜いている造形だ。
 それに加えて、血筋に尊い価値があると踏まえれば、何かしらの強制力は発せられてしまう。

 ――――――それにしても、資《たくみ》が一時的に戻ってきたその日はクラスメイトを半数は巻き込んだバーベキューパーティも急遽開催され、ネロを連れて行く事は結婚式のように祝われたと言うのに、それを今まで知らなかったとか――――――、


 【バルタスは?】
 【え?】
 【お前の国の言葉か?】

 オレの確認に、アンドリューは小さく頷いた。
 目線の止め方、顎の引き方、立ち方、その所作からは確かに、現代の上位貴族とはまた違う教育の匂いがする。

 【バルタスとは、我がリトアニアの言葉で、白き色を意味する言葉だ。出会った時、あの子の毛並みは森の中で、とても美しく輝いていたから】
 【バルタス――――――白か】

 腹の中は真っ黒だけどな。


 【――――――オレから、名乗ってもいいのかな?】

 このまま終わるのは惜しい気がして、思わずそんな言葉が口を突いて出た。
 すると、アンドリューはまたゆったりと頷いた。

 【構わない。ここは学校で、私達の立場は同等だ】
 【サクヤ・ヴァルフレード・ロランディだ。よろしく】
 【アンドリュー・レイゼンだ。私はあまり他人と時間を共有する事が得意ではないから、その対処が、君の気に障ってしまうかもしれない。故に、――――――よろしくと、応えていいのかどうか、判断が難しいが…】
 【…生真面目だな】

 本気が溢れすぎて、逆に笑える。

 【別に好きに振る舞えばいい。その方がオレも気が楽だ】

 なるほど、誰もが遠巻きにしているのは、血筋云々以前に本人がそれを望んでいる傾向があるからなのか。


 【そういう事なら、ありがとう。――――――よろしく頼む】

 どちらからともなく、自然に手を出して握手を交わす。
 これが、遠くない未来でビジネスパートナーとなるアンドリュー・レイゼンとの親交の始まりだった。



 それから、学業と事業をこなしながらの数年はあっという間に過ぎて――――――、


 【サクヤ、イギリスやめて日本の大学にしたってほんとか?】

 廊下ですれ違いざま、ディベートの専攻で一緒だった一年後輩の奴に声をかけられて手をあげる。

 【ああ】
 【なんだよ、来年追いかけて行こうかと思ってたのにさー】
 【日本に来るなら歓迎するぞ】
 【やめとく】

 短い笑いの後に即答した背中を見送り、校舎の外へと再び歩き出す。

 あと二か月もすればこのスクールを卒業して、春が来れば資《たくみ》と同じ大学だ。
 既に合格通知は受け取っている。

 …正直、英国とどっちにしようか迷っていたところに、それを話題にした時の資《たくみ》の迷惑そうな表情をカメラ越しに見て、日本の方が面白そうだと決断したのが事の成り行き。
 そう宣言した瞬間の資《たくみ》の顔は見物だったと、今でも思い出せば笑いがもれる。

 日本行きを正当化する為に、建前として尤もな足掛かりを作ろうと、資《たくみ》の後見人である土方社長と提携して通信会社を手に入れた事はロランディの動向に口うるさい親族に対してかなりの牽制材料になった。

 ルビさんも想像以上に歓迎モードだし、引っ越しまで他の問題はないだろうと踏んでいたのに、


 【――――――マリー】

 談話室の定位置のソファに、アポなしでやってきたマリーがパーティから抜け出してきたらしい恰好で座っている。
 プラチナブロンドの髪はせっかくのセットアップが少し乱れていて、アッシュグレイの瞳は、明らかに濡れていた。


 【マリー、どうした?】

 いつもならテーブルを挟んで向かい側に座るオレも、今回ばかりはマリーの傍に腰を下ろす。


 【…サクヤ】
 【ん?】

 掠れる声をどうにか拾う。

 【サクヤ】
 【…どうしたんだよ】


 問いながらも、何の事かは予想がついていた。
 マリーをこんな風にしてしまうのは、これまでもたった一人の男だけだったから。


 【私と結婚して】

 オレのシャツの裾を握り、マリーが泣き顔を上げる。

 【…マリー】
 【私と結婚して!】

 縋るように額を胸に押し付けてきたマリーのか弱さに、オレの両手は、気が付けばその肩を抱きしめていた。


 【忘れさせて欲しいの】

 これはマリーの、覚悟を決めた誘惑だ。









著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。