その電話がかかってきたのは天城さんが帰ってからおよそ5時間後、11時を過ぎた頃だった。 着信の音が指定の音楽。 (ルビ?) ベッドの中から腕だけを出してサイドテーブルから掴み取り、お布団の中で通話ボタンを押した。 一瞬、新着メールのマークが見えたような気がする。 後で確認しなくちゃ――――。 そんな事をぼんやりと整理しながら掠れた声を出す。 「・・・ルビ? 今、学校の時間でしょう? どうしたの?」 『ケリ。―――寝てた?』 「今起きた」 『あいつ、明け方まで居たんでしょ?』 「!」 思わず身体を起こし、布団から顔を出した。 窓から差し込む冬の陽光が室内を暖かく見せていた。 「・・・どうして?」 胸がドキドキした。 息子にこんな事を言われるなんて、恥ずかしすぎる・・・。 『写真撮られてるよ、昨夜、マンション前で』 「え?」 嘘――――――。 思いがけない言葉に、世界が反転するくらいの衝撃だった。 身を起こすために立てていた肘がカクンと折れて、ベットのシーツに顔を打つくらいに動揺していた。 ここから一気にマスコミの報道に火がつくかもれない。 そしてその過程で、真実は決して優しく伝わらない事を、私は身をもって知っている。 天城さんに、"まだ何も"言っていないのに―――。 「どうしよう・・・」 『大丈夫。ゲラ刷りの時点でジョニー企画側が入手できたから、とりあえず、"Stella"やあの人達とは別に動いて、明日発売分と他に写真が売られた出版社、どうにか全部に手を廻せた』 「ルビ・・・」 体中から力が抜ける。 安堵感で涙が出そうになった。 『ま、約1ヶ月、うちの関連会社は過剰なくらい広告を出すことになったけどね』 クスリと笑うルビの顔が、まるでそこにあるかのように想像できる。 彼の所有する幾つかの企業の広告を当該雑誌社や出版社に依頼する条件で記事の差し止めを取引したんだと思う。 「ありがとう・・・」 『うん。で、ここまでは裏の動き』 「ん」 私は自分を戒めるように頷いた。 『ついさっき"Stella"の公式サイト内でエリカがCEOとして次年度のイメージキャラクターを発表した。ジョニー企画側にはこの"Stella"の関連記事と広告でケリとの記事を引っ込めるよう火種を逸らしたって事にしてる。多分、あの人達が感知してるのは数社くらいだと思うから、騒がれない事には疑問は湧かないんじゃないかな。僕だって、たった数時間であれだけの出版社に売りまくられてるなんて思ってなかったし。・・・お金のやり取りに身分証とってた出版社があって、さっきうちの法務部の弁護士がやり取りしてきた。データは削除して契約金とトレードで誓約書も書いてもらった』 そんな、ルビにしては珍しい長台詞がふと止んだ。 『―――あのコトは、・・・まだ天城アキラに言える段階じゃないでしょ?』 先のらしくない彼の言動は、私に気遣ってどう切り出そうか悩んでいた結果なのだと分かる。 『ケリ』 低く、私の名前を呼んだルビ。 この口調は、私を甘やかす時のものじゃない。 『今後1ヶ月、ケリに関する記事はインターネット内も含めて僕が必ず抑える。ただし責任ある立場としてはこんな事、褒められたものじゃないからね。僕の優秀なブレーン達が目を瞑ってくれる1ヶ月くらいが限界。それまでには』 多分、携帯を持ち替えたんだと思う。 『それまでにはケリ。天城アキラと別れるか、マスコミ対策不要の"俳優じゃない"別の男を探すか、どっちかにしてよね。・・・じゃ』 「――――え?」 聞き返した途端に、ツー、ツー、ツーと空しく響く、通話を切断された音。 「あの子ったら・・・」 ルビの言葉が頭の中で繰り返される。 "天城アキラと別れるか、マスコミ対策不要の俳優じゃない別の男を探すか"――――――。 どちらも同じ意味じゃない・・・。 苦笑しながら、無意識の内にメールボックスを開いていた。 「あ」 さっき目に入った未読メールは天城さんからもので、 From:天城アキラ 件名: 本文:悪い。昨夜撮られた。対応はステラに一任されたが、何かあったら必ず連絡してくれ 「・・・」 暫く考えて、指を動かす。 To:天城アキラ 件名:Re: 本文:わかりました。 1分ほど悩んで、結局こんな一言だけ。 他に気が利いた言葉も思いつかない。 ビジネス文書は、あんなにスラスラと指から零れるのに・・・。 自嘲を浮かべ、私はベッドから床に立った。 正確には、――――――立とうとした。 「きゃ」 崩れ落ちる私の身体。 慌ててベッドのシーツを掴む。 そのままベッドを支えに起き上がろうとしても、脚に力が入らない。 「うそ・・・」 筋肉痛のような感覚はあるような気はしていた。 けれど、ここまで体力を取られていたなんて・・・。 自分の顔が火照るのが分かる。 あんなに長い時間、果てしなく求められたのは初めての事で、されるがままになっている自分が恥ずかしかった。 多分・・・上手いんだと思う。 あの声で、甘いセリフを吐いて、キスをして――――。 甘美な快感と、戒めるような甘噛で洗脳するように意識を奪う。 経験が、全然違う。 それはつまり、彼にああして愛されてきた女性達が、過去にたくさんいるのだという事。 不意に、ベッドヘッドの内線電話が鳴った。 どうにか腕を伸ばして受話器を取る。 『ケリ、起きてますか?』 「トーマ?」 声を聞いて驚き、そういえば昨夜のうちに、ウェインもトーマも元の場所に戻る事になったのだと思い出した。 「良かった。直ぐ来て」 『? 分かりました』 10秒もしない内に、トーマがドアを開けて入ってきた。 「ケリ」 「戻ってたのね」 エプロンを付けたトーマを見る事で、2週間前までのいつもの日常に還れた気がしてホッと息をつく。 「ええ、今朝メールをもらったので、もう朝食の用意も出来て、ますけど―――」 ベッドの横に座り込んだままの私を見降ろして、トーマの声のトーンが下がっていく。 そういえば、天城さんが帰った後、直ぐにメールを出したんだった。 「クス。愛されて、何よりですね」 多分、真っ赤になっている私の顔色から色々察してくれたらしいトーマは、 「・・・意地悪ね」 そう拗ねる私を軽々と抱きかかえ、寝室から連れ出してくれた。 「シャワーから先がいいですか?」 「うん・・・そうね。頭を冷やしたい・・・」 起き抜けから、いろいろ考え過ぎて身体以上に頭もくらくらしていた。 脱衣所で洋服を脱いで、熱いシャワーを頭から浴びる。 ボディソープの香りが立ち籠める浴室。 タイルに両腕をついて俯き、頭から冷たいシャワーを浴びながら、毛先から生まれた水の流れを目を閉じて聞いていた。 鮮明に思い出せる、私を抱く彼の姿。 私の上に被さる時に落ちてくる漆黒の髪の動き。 見下ろしてくる真っすぐな瞳。 濡れる唇の紅さと、私を呼ぶ甘い声。 時々声になる彼の吐息は、思わず子宮が疼くほど色っぽい。 見つめられると動けなくなる。 抱きしめると身体が熱くなる。 心の中に彼を馳せるだけで、好きだという気持ちがどこからか湧き出てくる。 足元を流れていく水のように、想いが心の中を走り回る。 たった数日で、こんなふうに夢中になってしまうなんて、思わなかった。 『昨夜のあんたは、そんな"女性"って感じじゃなかったな――――』 『指が性感帯って、知らなかったのか? こんなの、普通だよ――――』 天城さん。 ねぇ、天城さん・・・。 呼びかけると、不意に泣きそうになってしまう。 「・・・」 私みたいに経験が少ない女を抱いて、退屈だって、思わなかった――――――? |