小説:ColorChange


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過去の事って気になりますか?
《 Acting.by ケリ 》

 結婚して、幸せだったのは1年くらい。
 結婚一周年目の記念日に、元夫であるケヴィンが私に隠していた秘密が明らかになった。
 私にとってあまりにも残酷なその秘密は、深くなりすぎた愛の行き先を迷わすばかりで、朝起きると、私の頬はいつも涙で濡れていた。

 それから15年経とうとする今も、他にも色んな出来事が重なり、私は泣かずに目覚めた事が無かった。
 離婚後は酷くなる一方で、自分の嗚咽で目を覚ます事もあった。
 お酒を飲んでどうにかしようと思ったけれど、アルコールの力で感情の高ぶりが加速されて、泣きすぎて脱水症状を起こしかけた事もある。
 自嘲するしかなかったけれど、さすがに自分の異常さを認めて、口の堅い友人に心療内科のカウンセラーを紹介してもらった。

 そのカウンセラーから齎された分析結果。

 【ケヴィンの愛に縋ろうと、"泣いている自分に依存しているあなたがいる"んです】

 言われた時は茫然としたけれど、
 時間が経って状況が整理されるにつれ、その結果はジワジワと心に沈んできた。
 その沈んだ大きな石は認識した途端に重しとなって、初めて、私に衝撃を与えた。

 それが事実なら、私はなんて、救いようのない無い世界にいるんだろう・・・。

 泣いて取り戻せるものなら、こんなに長い年月、苦しんだりしない。



 どうすれば・・・?

 私の質問に、カウンセラーは【ゆっくり探して行きましょう】と応えた。
 また更に長い年月が必要なんだという予感に気が滅入り、私はそれきり受診しなかった。

 ケヴィンの愛に縋りたくて、"泣いている自分に依存している私がいる"
 悲しくなるくらい自己嫌悪にさせられるその結果は、ルビにも、エリカにさえも打ち明けていなかったけれど、でもそれは、やっぱり当たっていたのかもしれない。

 アキラと始まって既に半月。

 あの、アキラとの初めての夜から、私は一度も、過去の夢を見ていない――――。


 過去の事で泣いたりしていないのだから―――。



 ――――――
 ――――


 【―――――で、ロス本店は経常利益が前年比-0.2という結果です。続いてNY支店ですが、】

 PCに接続されたスピーカーから落ち着いた声が報告を読み上げている。
 トーマが淹れてくれた紅茶を飲みながら、私が眺めている2分割されたWeb会議室の中には2人の人物。

 左側に映っているのは"Aroma"(アロマ)本店事業部GMの理佐子・マイヤー。32歳。
 友人達の間でも有名な愛妻家の旦那様を持つ女性で、いまリアルタイムに各店舗の数字を報告してくれている、私がいない"Aroma"を実質的に切り盛りしている頼れる人物。

 【―――で換算すると、NY支店は増益が見込まれています。詳しい数値については後ほどメールでお送りします】

 【ありがとう、理佐子】

 そして、
 右側に映るのは篠場大輝。確か、27歳。

 漆黒の髪と瞳が印象的な、静かな青年。
 一昨年、ルビが私の祖父から受け継いだ本宮グループの法務部所属、カリフォルニア州の弁護士。
 ルビがスキップで特待生として通っていた大学で出会った、ルビの友人でもある。
 初めて彼を見た時、まるでオニキスのようだと感じたほどに憂いを帯びた神秘的な人。

 【大輝はどう? コンプライアンス的に動向が気になる傾向はあった?】

 私が促すと、大輝はカメラ越しに目線を上げた。

 【気になるのは訴訟の数です。風評被害には至らないような小さなトラブルですが、増加傾向が気になります。そろそろケリ自身でもデータを読み込んでみた方がいい時期だと思います】

 【数は増えてると思ったけど・・・】

 私は唇に指を当てて少し考え込んだ。

 "Aroma"は、私がロスで長年経営しているエステサロン。
 事故を起こしていなくても、訴訟大国アメリカではほんの些細な事が弁護士の活動を支える種になり、年に数回は裁判所に呼び出される。
 大輝がそういうからには、増加には何か根本的原因があるような気がした。

 【いいわ。データを全て寄こして。私自身でも確認してみる】

 【よろしくおねがいします】

 ここで、私はPCのシステム時計を見た。
 日本時間の15時20分。
 会議を始めて既に1時間が経過している。

 そして、二人がいるロスでは時差を計算すると多分22時くらい。



 【今日はこれまでにしましょう。遅くまでありがとう】

 私が言うと、

【いえ。データは早急に送ります。では失礼します】

 大輝は瞬く間にログアウトしてしまった。
 スピーカーから理佐子の笑い声が響く。

 【大輝は相変わらずクールね】

 【クス。ほんと】

 【でも、次にあなたが恋をする相手は絶対彼よね、って。"Aroma"社員の間では評判なのよ? ねぇ、実際のところはどうなの?】

 私は驚きで目を見開いた。
 真向かいのソファで本を読みながら存在感を消していたトーマも、興味深げに顔をあげる。

 【そんな噂があるの?】

 【そうよ。大輝も満更じゃなさそうでしょ?】

 【――――今の態度で?】

 思わず笑いが零れる。

 【まあ、そうねぇ・・・】

 ホットな話題が立ち消えになったことに不服そうな顔をして、理佐子が【どう? 日本は】と尋ねた時だ。


 私の携帯の着信音が鳴り響いた。
 当然、理佐子にも届いている音。

 チラリと携帯に目をやると、"天城アキラ"の表示。
 私の中に、プライベートモードが一瞬で灯る。


 【・・・ケリ、あなた】

 【え?】

 呼ばれて画面を見ると、理佐子が驚いたような表情で映っていた。
 それもつかの間、次の瞬間には、ほろりと崩れてしまいそうなほどの柔らかな笑みを浮かべて、


 【もう―――、恋、してるのね】

 そう告げた。

 顔に出ていた事が恥ずかしくて何も言えなくなってしまった私に、早く電話を織り返すように伝えた理佐子。
 お礼を言ってPCを閉じると、私は携帯を片手に寝室へと歩き出した。
 トーマが、そんな私をチラリと横目で見送る。
 口許でキュッと笑みを堪えているのが、優しい瞳の動きで分かる。

 親の目を盗む思春期の学生じゃあるまいし、こんな行動、かなり照れくさい気はするけれど。
 かといって、トーマの前でアキラと話すのはとてもじゃないけど難しい。


 なぜなら・・・

 着信履歴から発信して、数コールで彼の声が聞こえてきた。

 『ケリ?』

 「あ、さっきは出られなくてごめんなさい」

 『いや。仕事中だった?』

 「ええ」

 『今は大丈夫なのか?』

 「ロスと少しやり取りをしていたの。もう終わったから大丈夫」


 『ああ、前に言ってた"Aroma"?』

 「ええ」

 私が応えると、続いてアキラのため息が聞こえてきた。

 『今日も会えないんだ』

 「一昨日、来てくれたじゃない」

 『俺がもう無理。2日会わないと声だけで欲情する』

 切ない声を出す彼に、私の身体の奥も反応する。

 『あんたは? 会いたくならない?』

 「そんな事、ないわ――――」

 『なら会いたいって口にして・・・。指に、キスする。いい?』

 「アキラ・・・」

 電話の向こうから、ちゅ、というリップ音が届いてきた。
 その言葉とその音が鼓膜を刺激するだけで私の指先にピリピリと官能が疼く。
 いつの間にか、離れていても私の身体を操られるようになってしまった。


 『俺に会えなくて寂しくないのか?』

 「・・・寂しい」

 クス、と漏れるアキラの吐息。
 きっと電話の向こうでは、私を翻弄する妖艶な笑み。
 真っすぐに私を求める彼の一言に、一動に、こんなにも心が揺さぶられる・・・。
 切なさに、張り付いた喉をどうにか開いた。

 「寂しいから・・・。早く会いに来て、―――アキラ」

 『ああ、明日の昼には福岡を出るから、そのあと幾つか仕事こなして、日付が変わる前には会いに行ける』

 「今、福岡なの?」

 『ああ、久留米。―――そうだ、明太子、好きか?』

 「好き!」

 思わず声が弾んでしまった。

 『・・・』

 「―――?」

 『俺はそんなに意思を持って言い切られたはことないよな。俺はあんたにとって明太子以下か?』

 クックッ、と小刻みな笑いが聞こえ、同時に、その背後で誰かがアキラを呼んだ。
 多分、藤間君だと思う。

 『行かないと・・・。夜にまた電話する。人と会う約束があるから何時になるかは分からない。出れたらでいいから無理して待つなよ』

 「はい」

 『じゃ』


 プツリ、と通話が切れた。

 手の中の携帯をしばらく見つめる。
 彼の声が聞こえなくなって訪れた静寂が、やけに耳に痛い。

 彼の言うとおり、本当に、ほんとうに寂しくなってしまう。
 胸の奥が痛くなって、呼吸が少し、苦しくなる。


 ねぇアキラ。


 あなたが居ないと、息すらできない女になったらどうしよう―――――








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