昨夜、電話をすると言った約束は不可抗力だが反故にしてしまった。 それによって、彼女にとっての俺との一夜が空白になったのに対し、別の女がその一夜の記憶を持っているという。 明らかに、彼女を傷つけるものだ。 『どうなんですか? 昨夜はアキラさんと一緒だったんですよね!?』 ――――ふふ、ちょっと懐かしい話をしただけですよ―――― ワイドショーを見て、このミサのセリフを聞いて、ケリはどれだけ心を痛めただろう。 想像するだけで、俺の胸も鷲掴みにされたように苦しかった。 「彼女から奪った昨夜の俺を、返して欲しい」 ミサに訴えたそれは、何よりも大事な事だった。 「"今の俺"は、1秒すらも、彼女と共にあるものだから―――――」 「アキラさん・・・」 脱力したように床に座り込んだミサの、呆けて見上げてくるその表情。 こんな俺を、信じられないと見つめている。 「ぷ」 この緊迫した状況で、突然吹き出したのは遠一だった。 「アキラ、お前さ。睡眠薬(クスリ)盛られてもまだミサの事許そうとしてたのに、ケリさんの事になるとたった一言でこのキレ様かよ」 肩を揺らして笑う。 それから、心底面倒くさそうな顔でミサの腕を引っ張って立ちあがらせ、椅子に座らせた。 「ま、そういうわけだから、しっかり否定してくれ。話題性はもうとっただろ? あと写真集の掲載する暴露内容も事前にまわせよ。アキラがOKしてても、デメリットが入ってたら事務所としては困るからな」 「・・・その女性(ひと)は、どうしてこんなにアキラさんに好きになってもらえたの?」 握りしめる両手が震えている。 「ミサ・・・」 自惚れじゃなく、俺に対する未練があるのは、再会した日に気付いていた。 俺との思い出が大事にしまわれていて、引き出しを開ける度、瞳が大きく開いていた。 ただ、それよりも復帰への想いの方が今は強くて、本人もはっきり自覚したのは今かも知れない。 「なんでだろうな?」 俺は素直に応えてやる。 「美人かどうか、って言ったら、ミサの方が美人だよ。これといって目印があったわけじゃない。ただ、出会った時に、彼女しかいないと思った」 「・・・どんな女性(ひと)?」 「ん? そうだな――――」 ケリの姿に記憶を馳せる。 ケリは、背筋が綺麗で、透明な空気に包まれていて、 「所作が綺麗なんだ」 迷いながらも前を向いている。その瞳は、弱さを強がりでコーティングしているような震えで、いつも俺の胸を揺さぶってくる。 「意地っ張りで」 時々垣間見せる表情は悪戯っぽく無邪気で、 「可愛いよ」 愛の現し方が不器用で、そのくせ従順・・・。 ――――分かってるわ。大丈夫よ。 『大丈夫よ――――』 ――――――? なんで"大丈夫"なんだ? 俺の中で何かが弾けた。 体中から後悔が噴出しそうだった。 「・・・遠一」 俺は、どんな顔をしていたんだろう。 眼が合った遠一の顔は、驚愕に固まっていた。 「アキラ、お前」 「遠一、悪い、行かせてくれ」 遮るように苦しく告げた俺に、 「・・・分かった」 「え? ちょっ、遠一さん!?」 藤間の戸惑う声。 「遠一!? おい、アキラッ!」 厳しい樋口さんの声。 「さっさと行け」 樋口さんとの間に身体を入れてきた遠一は、ニヤリと告げた。 「サンキュ」 俺はコートを掴みとって走り出す。 俺は、本当にバカだ。 なんで気づかなかったんだ? ――――分かってるわ。大丈夫よ。 過去を夢見て泣くのは、そうやって"大丈夫"だと受け入れるからだ。 従順に、目を瞑って呑み込むからだ。 遠一には悪いと思う。スケジュールを調整するためにどれだけ頭を下げるのかも知っている。影響が出る範囲は、関わる人数だけじゃない。物理的に損失が出る場合もある。 "Stella"の時のように、"スタンドプレー"という言葉だけでは済まされない。 それでも、関係者に迷惑をかけても、どうしても"今"じゃなきゃダメなんだ。 彼女が泣くべき"今"じゃなないと―――― 泣きたい時に泣かせてやりたい。 そう思って彼女の傍にいたはずなのに、肝心な時に気付いてやれなかった。 悪い、ケリ―――― いま、傍に行くから―――― |