最上階フロアにたどり着き、ケリの部屋のチャイムを鳴らすと、出迎えてきたのはトーマだった。 「コートを預かります。ケリは今手が離せないようで、・・・リビングには居ますから」 「―――そうか」 脱いだコートを彼に渡し、俺は促されるままリビングへ進んだ。 「ごめんなさい。あともう少しで手が離せるから」 淡いグリーンのニットワンピース姿のケリが、PCに向かったまま言葉だけ向けてくる。 室内に差し込む陽光を浴びて、髪の色も艶やかに緑色を帯びている。 「・・・ああ」 まだ一度も俺の顔を見ない。 これまでは、どんな時でもまず目を合わせる事から始めていたのに・・・。 ――分かってるわ。大丈夫よ。 それだけ、彼女が傷ついているという事だと思った。 ケリはPCに向かいながら、見方を変えると上の空のようにも感じられた。 まるで、俺が"役"を演じる時と似たような感覚が彼女を包んでいる。 "彼女"という本心は、ここには無い――――。 今、誰も観ているわけでもないのに点いたままのTVのチャンネルはワイドショーに合わせられていて、時間の帯毎に繰り返される俺の話題は、何度彼女の耳に入り、その思考を乱したのだろう。 ―――大丈夫よ。 これまでの俺なら、多分見逃してきた小さなサインだ。 ミサといい、他のこれまでの女達といい、こなふうに放たれたサインはきっとたくさんあって、そして俺はそれに気付くほど彼女たちを見てはいなかった。 今は分かる。 ケリの事だから分かる―――。 四六時中、彼女の事を真剣に考えて、見つめている今の俺には、 ケリが心を閉ざしているようにしか見えなかった。 俺と同じ場所にいる事に耐えているようにしか見えなかった。 初めて、夢を見ながら泣いていた彼女を思い出す。 あんなふうに泣かせてしまうのが自分だと思うと、情けなくて、 胸が、痛い―――。 「お座りなっては?」 そう言いながら、テーブルに俺の分のコーヒーカップを置いたトーマが手で示したのはケリの隣。 「いや」 落ち着いて話せるように寝室へ移動すべきか、ここでトーマに遠慮してもらうか、逡巡した挙句そう応えた俺に、ケリが顔をあげた。 やっと、俺を視界に入れた瞬間だ。 「お待たせ」 PCを閉じて、ケリはソファの上で膝を抱えるように座り直し、俺の方に身体を向けてきた。 「今日は来ないかと思ってた」 「あんたの顔が見たくて、抜けてきた」 言いながらケリの隣に座り、その頬に触れた。 ケリの漆黒の瞳が微かに揺れる。 この揺れは、心の揺れだ。 これを崩したその先に、きっと強がりの隙間がある。 「大丈夫なの?」 「ああ。―――トーマ。悪いけど、席を外してくれないか?」 「分かりました」 「アキラ・・・?」 明らかに動揺しているケリ。 リビングを出ていくトーマの姿を不安そうに見送っている。 権限の無い俺の依頼を瞬時に快諾したトーマは、もしかしたらケリの状態に気付いているのかも知れない。 つまり、彼女のサインを受け取ったのは俺だけではないと言う事だ。 そして恐らく、これまでの歴史の中で、そういうケリを彼なりの方法で支えてきたのだろうと思い至ると、複雑な感情が渦巻いた。 やがて、玄関の閉まる音が聞こえた。 「ケリ」 状況を読むように俺から目を逸らさないケリに、決して告げる。 「俺に、聞きたいことがあるだろう?」 「何の事?」 その顔には、彼女は大丈夫なんだと、錯覚しそうになるほど柔らかい笑み。 「どうしたの? アキラ。変よ?」 ケリが指先で俺の前髪を梳いた。 「あんたこそ」 俺の切り返しに、ケリが眉を寄せる。 「俺の事、好きじゃないのか?」 「え・・・?」 「だから気にならないのか?」 ケリは不安そうな顔で首を振った。 不測の事態に、どう反応すればいいのか返答に困っている様子だった。 「どうしたの・・・?」 「好きなら、気になるはずだろ?」 「・・・好きだけど、ねぇ、アキラ」 ケリの唇が震える。 「気になるだろ? 昨夜、俺がどこにいたのか」 「そんな事ない」 ケリの喉が震える。 「聞かないのか? 昨夜は誰と居たのか」 「やめ、て」 ケリの声が掠れる。 作り笑いが崩れていく。 「ケリ、俺は」 あんたを今、泣かせてやりたい――――。 だから、 「昨夜は、ミサと・・・」 「――――やめて!!!」 頭を抱え込むように俯いたケリは、悲鳴のような声をあげた。 |