藤間が出て行くと、俺の前に座っていた陽子は「いい?」と目線で問いながらも、返事を待たないうちに煙草に火を点けた。 「禁煙はやめたのか?」 「ええ。あなたが知らないうちにね」 意味ありげな眼差し。色気を放出し無駄に女を見せる。 離れて座っていたカカシと八木さんにチラリと目線をやると、陽子から醸し出された雰囲気にあてられて緊張している様子だ。 (身内でこれじゃ、他人は恋人の痴話喧嘩だと思うだろうな) 俺は短く息をついた。 「・・・それで、アキラ。どう説明するつもり?」 唇の間から紫煙を吐く。 「陽子、やめろ」 そんな芝居染みた間で、会う度に"何かしら"を演出するから、俺と陽子の仲はいつまでも狼煙を消す事が出来ない。 俺の辟易した態度に気付いた陽子は、ふふ、と満足気に笑い、 「一体どういう馴れ初めなのよ〜?? 包み隠さずこの陽子さんに教えなさいよ! もうラブラブな感じなの!? どうなの!?」 変わる口調。 好奇心丸出し。 尋ねる姿は、テーブルに乗り上げる勢いだ。 「ったく、相変わらずだな・・・」 苦笑するしかない。 彼女は昔から、俺のスキャンダルが上がる度に楽しそうに酒の肴に欲してきた。 そして嫌いなマスコミを翻弄するかのように、俺との仲を他人に匂わせて、それを元に書かれた妄想記事を嘲笑う。 徹底的にこの2点で楽しんでいるのに、その本懐に気付かずにマスコミ各記者は張り切って文字を綴り、彼女はまた、大笑い。 その繰り返しだ。 アサミ陽子。 大学を中退し、女優デビューした作品での初共演が付き合いの切っ掛け。 女なのに、女として見なかった初めての異性の親友だ。 その同じ作品で出会った、俺の親友でもあるジョニー企画所属の俳優・池宮貴志と数年前に入籍。 ただし、世間では"独身女優"で通っている。 ショートカットで、コケティッシュな見た目のイメージとは真逆の、ミーハー。 特に他人の色恋沙汰が大好物だ。 「会えるのもう楽しみ! あ、貴志からも返信きたわよ」 灰皿に煙草を消して、陽子はスマホを操作し始めた。 彼女がはしゃぐその姿に、カカシと八木さんが驚いたように固まっている。 ――――まあ、初めてみたヤツは大抵この反応。 「あいつ、いま韓国だったか?」 「そうよ。日韓共同製作のヤツ。―――ほら、写メ送れって」 貴志も、陽子と似た部類だ。 この夫婦は、この手の話題で相手にしてるとキリがない。 「彼女がOK出せばな。――そこまで迎えてくる」 「うそでしょ? どんだけ過保護よ!?」 「うるせ」 「私も行く〜、・・・と」 俺に続いて席を立った陽子のスマホが、見計らったように着信した。 「数馬? え? 嘘でしょ。それくらいどうにか調整してよ」 ついさっき、スケジュール調整の難題を言い渡されたマネージャーからの電話だったらしい。 どうにか食い下がりたい顔の陽子の手が、俺に向かって「行け行け」と振られる。 俺は僅かに手をあげて応え、そのままドアを開けて控室を出た。 エレベーター前にたどり着くと、2基ともまだ階下から上がってくるポジションではなかった。 正面になる廊下の壁にもたれて腕組をする。 ふと、通ってきた廊下のとある控室前に目がいった。 ダークブラウンの髪色をした中背の外国人を中心に、4名の男達が立ちつくしている。 さっきは一目散にここに向かっていたから気にしなかったが、時折、控室のドアをノックして呼びかけているから、どこかのタレントが引きこもっているんだろうと予測はできた。 マネージャーらしき男と、屈強な形をした男達。 外国人―――、 まさかミッシェル・ハワード? そんな考えが閃いた時、チーンとエレベータが上昇して停まり、扉が左右に開かれる。 「ケリ―――?」 華やぐような彼女の笑顔に会える事を期待していた俺の目に、飛び込んできたのは反したもの。 これが不安というものだと思う。 俺が、これまでの恋愛で感じた事がない、負の感情。 相も変わらずトーマが傍に寄り添い、何かを耳元で囁いている場面。 いつもより暗い表情をしたケリの瞳と、 「アキラ・・・」 俺の名前を呼ぶ声が震えていた。 「どうしたんだ?」 不安や焦燥、そんな負の全てに打ち勝てるように、俺は意思を持ってケリに歩み寄る。 「アキラさん! それはまずいです」 ケリの手を取って指を絡めた俺に、藤間が顔を蒼白(あお)くして周囲を見ながら厳しい声を出す。 途端に、ケリが腕を引こうとしたが、俺は力を込めてそれを制した。 「気にしなくていい。それより俺を見ろ」 ケリの腰に、もう片方の手を廻して彼女の身を引き寄せる。 「どうしたんだ?」 俺の肩に頬を寄せる位置にあったケリの顔が、縋るように俺を見上げた。 「アキラ・・・、私、あなたに話しておきたい事が―――」 その時だった。 ガタン! 何かが衝突するような激しい音と共に、聞こえてくる甲高い怒鳴り声。 【もう、うるさい!】 ここに居る4人が一斉にその方向を見た。 さっきの控室からだ。 ドアが少し開けられていて、中から女性が声を荒げている。 【選りにも選って、命よりも大事なあのバッグを盗られるなんて! 馬鹿ステファン! あなたクビよ!】 【ミッシェルさ〜〜〜ん】 ダークブラウンの髪色をした30歳くらいの男が頭を抱えて廊下に座り込んだ。 【嫌なら今すぐロスに行ってきて! ロサ・ファンタジアがない内は、一切仕事はしないわよ!!】 ピクリ、とケリの指が動いた。 「―――トーマ」 「はい」 それだけで、トーマは何故かエレベータの中に消えた。 「ケリ?」 「アキラ、ごめんさない、ちょっと」 囚われていない方の手を俺の胸にあて、意思でもって俺の身体から遠ざかる。 さっきまでとは打って変わった、これまでに見た事がないケリの表情(かお)。 俺の名を呼ぶ事でいっぱいだったその思考から、多分色恋が一切消えている。 もしかすると、俺の存在すらも――――― 歩き出した彼女の姿勢はいつもより綺麗で、控室前に立ち止る所作を聴かせるヒールの音も、いつもより高く鳴った。 【―――そんなにキリキリしてたらシワが増えちゃうわよ? 伸ばすこっちの身にもなって欲しいものだわ】 腕組を組んで、厳しい視線を控室に向けながらケリが高慢に放ったそのセリフに、藤間を除く誰もが、世界が氷る音を聞いたと思う。 やはりというか、SPと思われる男2人がケリの行く手を阻むように立ち位置を改めた。 俺は慌ててケリの傍に駆け寄る。 「ケリ」 名前を呼ぶと、ダークブラウンの髪の男が、蹲ったまま顔をあげた。 【・・・ケリ?】 そして、ケリを目にした途端に同じダークブラウンの瞳はふるふると輝き出し、 【奇跡だ!!】 男泣きの絶叫が響き渡った。 |