小説:ColorChange


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愛に形はありますか?
《 Acting.by アキラ 》

 『ケヴィン・モーリスの元恋人でした―――――』


 誰かの言葉が、まるで他言語的に聞こえてくるのは滅多に経験できないと思う。
 トーマがそれを口にした時、俺は英語を聞き取れなかったのか? それとも別の言語だったのかと一瞬激しく混乱した。

 「・・・元、恋人?」

 復唱するとそれは問題ない日本語で、聞き間違いじゃないことを念押しされる。
 トーマが、微かに笑った。

 「間違いありませんよ。僕はゲイで、ケヴィンも、・・・ゲイだったんです。――――ケリに出会うまでは」


 ケヴィン・モーリスがゲイなんじゃないか?

 確かにそういう噂が出回った。
 ケヴィン・モーリスの人気が定着した頃だ。

 女性とのゴシップが無いハリウッドスターの彼を、日本の週刊誌もおもしろおかしく書き立てていた。
 それから暫くして、結婚したという祝報が出て一気に噂は鎮静化したが、その相手が、

 ケリ――――。

 ゴクリ、と俺が唾を呑むこむのを見て、トーマは僅かに頷いた。
 両手で包むように持ったコーヒーカップを見つめて語り出す。

 「7年前――――、僕はボディガードとしてケヴィンの傍に着き、籠絡され、気付けば彼の愛玩だった。彼の言葉が全てになり、彼のキスをもらうために一途になり、彼に愛されるために、僕という個性まで染め変えた。彼が求めるようなパートナーになりたくて――――」


 『彼に愛されなかった自分を可哀そうだと、そう思う自分に依存するの――――』


 涙に濡れたケリの言葉を思い出す。

 「彼の存在は麻薬なんです。僕も、ケリも、状況が分からなくなる一線まで引きこまれ、彼がいないと生きていけないように教習されてしまった。愛しているのかそうでないのか、判断もつかないその一線の向こう側には、これまでの恋人達も数多く踏み込んで、だいぶ道を踏み外しています」

 自虐的に笑うトーマ。
 痛そうな表情の向こうには、ケリの苦しんだ顔も垣間見えた。

 「・・・」

 ケヴィンの韻を踏んだような言葉や声音が、洗脳に近いと感じたのはそういうことか。
 故意か無意識か。

 いや――――、多分、


 ホテルで会った時のケリへの対応を見る限り、自分のそういう魅力の事はちゃんと自覚しているような気がする。

 「ケリとは、実際にケヴィンと関係を持っているうちは会った事はありませんでした。初めて会ったのは別れて―――、・・・彼に捨てられてから数日後。耐えられなくなった僕が屋敷の前で待ち伏せて、涙ながらに別れの理由を問いただした時、」

 "終わった理由? 最初に言ったよね? 夏には妻の誕生日があるからロスに戻る。それまでは愛してあげるって。強いて理由をあげるなら、それは、夏が来たからだよ。僕は何一つ嘘はついていない。君を裏切ってはいないだろう?"

 「・・・そう言われて涙を流す僕を、ケリは悲痛な眼差しで見つめていた。憎むべき相手だったのに、まるで鏡で僕をみているようで、不思議な感覚が湧いて来たのを今でもよく覚えています。それから僕は、酒に溺れ、薬に溺れ、何もかもわからなくなっていった。ケヴィンを愛しているから悲しいのか、愛されなかったから悲しくて尚更愛したいのか、それでもケヴィンを中心に回る思考は変えられず、僕は自分の気持ちに追い立てられるように車道に飛び出しました」

 ふう、と息をついて、トーマはコーヒーを口にした。

 俺もつられて口内を潤す。
 聞いているだけで粘膜に渇きが出るほどに呼吸が多くなる内容だ。

 「一命を取り留めた僕が病室で目を開けた時、そこには彼女がいました」

 "生きて、お願い、一緒に・・・"

 「そう言って、再び舞い戻った現実の世界で、僕を温かく出迎えてくれた彼女の顔が未だに忘れられません。他にも彼に捨てられた恋人はたくさんいて、なぜ僕だけに手を差し伸べたのか彼女自身も良く分からないと言う。初めて会った時の、僕が鏡を見ているようだと感じた事が、お互いのシンパシィになったのかも知れません。それからリハビリを終え、僕はガードとしてケリと契約を結びました。今後も、2人で共有したあの共鳴は、ケリがどんなにあなたを愛しても、僕に愛する人が出来たとしても、そうそう消してしまえるものではない。だから僕は、あなたにこの話をしています」

 「・・・」

 トーマの真意が、この時はっきりとわかった。

 "だから、僕は今後もケリの傍を離れる事はないんです"

 その未来を俺に呑みこめという事だ。


 「・・・ケリとケヴィンの結婚生活は12年・・・。うち11年は呪縛の中」

 「――――え?」

 それこそ呪文のように呟いたトーマに、俺は怪訝な顔を隠せない。
 こうなったら腹の中に何も残すなと叫びたいところだ。

 「結婚1年目に、ケリはケヴィンの元恋人に呪いをかけられているんです」

 "ケヴィンの傍にいるボディガードは愛人だ。半年ごとにボディガードが替わるのはそれが理由だ"

 「実際は、時々好みがいればつまみ食いの程度だったんですが、同時にゲイだと聞かされたケリは、まんまと"彼女を幸せにしたくない"という奴の策略にはまった。ボディガードが契約の関係で替わる度に、新しい恋人はこの人だと心を痛め、感情を殺し、実際に本物がいるから事態はどんどん悪循環。その結果が、本心を言えず、甘える事ができず、我儘を言えず、夢でまで泣いて暮らす"あなたに出会うまでのケリ"を創り上げたんです」

 大丈夫、大丈夫よ――――。

 そう自己暗示しながら、長い間、苦しい愛を貫き通してきたケリ。
 泣きながら、泣きながら、夫となったケヴィンを愛した12年。
 そこで出会った、同じ愛を知る同調者・・・

 「あんたという存在を得て、――――生きてきた節もあるんだろうな」

 ポツリと呟いた俺に、トーマははっきりと眼を見開いた。
 大袈裟に、大きなため息をついて俺は言い放つ。

 「言っておくが、ケリをそういう対象に見ないんだとしても、ケリに触られるのは本意じゃないからな。どうしても必要なスキンシップなら、俺がいる前では自重しろよ」

 「―――わかりました」

 甘受するように笑ったトーマに、初めて完全に不信を解いて全身から息を吐く。
 ふと、思いついた疑問を口にした。

 「それにしても、よくそんな依存状態から抜け出して離婚できたな?」

 「・・・ケリは、話さないでしょうから、・・・、――――あまり良い話ではありませんので、聞きたくないなら止めてください」

 「いや、お前がそう言うなら多分ケリからは聞けないんだろう。誰かが知っている事なら、俺は知りたい」

 こんなところでも独占欲が出てしまう。
 俺が知らない過去のケリを、どうにかしてでも全て収集したい欲求。
 時々、抑えきれないほどにそれが溢れてくる。
 そんな俺の心情を理解したのか、トーマは躊躇なくそれを告げた。


 「離婚が成立する数か月ほど前から、ケリは、ケヴィンに性交を強要されていました」

 「――――は!?」

 思い掛けない事情に、思わず声が上ずる。

 「というより、ケリがケヴィンを受け入れられなくなった状況が発生したんです」

 「受け入れられなくなった?」

 「―――それについては、きっとケリから話す機会があるはずですから、僕は言いません。ただ、それにより、ケヴィンは執拗にケリを求めるようになり、ある時ルビがそれを目撃した」

 「――――!?」

 「僕はちょうどボストンに帰省中で、ケヴィンがその隙をついてロスに戻った時の出来事でした。ルビはライフルを持ち出し、ケリを守るためにそれを撃った」

 "Stella"との契約時に垣間見た、ケリによく似た、あのルビの泣きそうな顔を思い出す。

 ケリを傷付ける者に敏感になる理由。
 ただのマザコンじゃなく、あいつは"守る側"の男だったというわけだ。

 「ケリが離婚を決意したのはその日でした。半年かけて協議し、裁判で離婚が成立した際、裁判官から下された命令が一つ。性的強要に対する罰則で3年間のケリへの接近禁止命令。それが満期となったのが、今月なんです」


 それで急に現れたのか。

 「―――多分、別の理由もあると思いますが・・・」

 何かを考えるようなトーマの重い口調。
 自分からは言わないと告げた内容に付随する事なのだろう。
 尋ねても、多分徒労に終わる。

 ここまでか―――。

 その時、まるで終了の合図のように、カウンターの横にかけられた白い電話が鳴り出した。
 トーマが受話器を取り上げる。

 「はい。―――ええ、ここにいらっしゃいますよ」

 トーマが目線を向けてきた。

 「起きたか」

 そう言いながら立ち上がった俺に、コクリと頷く。

 久しぶりにこの手に抱いて手加減出来なかったから、立ち上がれずに困っているんだろう。
 想像すると、早く顔が見たくて気分が弾んだ。


 「―――わかりました。すぐに行くようにお伝えします」

 クスクスと笑いながら受話器を戻し、部屋に戻りかけていた俺に、トーマが悪戯っぽい言葉を向けてくる。

 「本当に、壊さないでくださいね」

 「・・・サンキュ」

 肩越しに振り返り、俺が返した答えではないこの言葉に、トーマはいつもよりも穏やかな顔で頷いた。








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