怒ったり、泣いたり、嫉妬したり、拗ねてみたり。 そんな、負の感情を隠さずに表す事ができるのは、その相手との関係の深さが大きく左右してくるのだと思う。 関係とは、身体の繋がりの事じゃなくて、血が繋がっているとか、そういう事でも無くて―――。 例えば、私とアキラで語るのなら、 どんな事をしても、彼は私を嫌いになったりしないと彼を信頼しているか、 どんな風にしても、私は彼に嫌われたりするはずがないと、自分自身を信じているか・・・。 ――――私は、どうなんだろう。 『俺以外の男に、その身体を触らせるな』 『隙間なく、俺の色に染めてやる』 『俺があんたの事で諦めるのは、過去の事だけだ――――』 アキラは全身で私に想いをぶつけてくる。 嫉妬も、怒りも、情熱も、それを受け止めて悦ぶ私に、 『嫉妬はしないのか? 俺のすべてが欲しいとは思わないのか?』 『全身で、俺に愛してるって伝えてくれ』 同じモノを強請(ねだ)ってくれる。 そうした、彼の真摯的なその積み重ねで、私は安心して、彼を信頼して、 本当に少しずつだけど、 我儘を言えるようになって、 弱音を吐けるようになって、 愛してと強請(ねだ)れるようになって、 そして、寂しいと縋れるようになった。 彼と関わる事で、どちらかが耐えるような恋じゃなく、2人で育んでいける恋が出来るようになった。 そんな愛し方、向き合い方が、こんな臆病な私にも、出来るようになったんだって、 ・・・・ ・・・そう、思っていた。 変わっていると、思っていた――――。 ―――――― ―――― 室内に広がるフローラルの香り。 ベッドに横たわって私に身を任せる"Aroma"創設からの大事なお客様、ミューラン夫人の顔全体を矯正するように柔らかくマッサージ。 リンパの流れにそって正しい方向へ皮膚のたるみを流す事でハリを司る細胞を一時的にでも活性化させていく。 ロスに居て、"Aroma"の最前線で施術をしている頃は、若さを呼び戻すマージュ・ケリ(魔法使い)なんて呼ばれていたけれど、本当に魔法が使えるわけじゃない。 "Aroma"オリジナル美容液"ロサ・ファンタジア"と相性が合って、かつ私のマッサージが好みの女性が比較的多かったというだけなんだと思う。 今では"Aroma"を実質的に任せている理佐子・マイヤーが言うには、 『そういうのも成功の秘訣、あなたへのギフトなのよ』 と言う事らしいので、経営者としてはどう呼ばれても、笑って頷いてやり過ごすことに徹底した。 【ああ〜、気持ち良かったわ、マージュ・ケリ】 【ミセス・ミューラン、お疲れ様でした】 マッサージ後、顔から美容液を全て拭い終えた途端に、勝手知ったるで身体を起こした夫人の動作に、私は慌てて手を差し伸べる。 【お手をどうぞ】 【ふふ、ありがとう】 2年ぶりに握った夫人の手は、相変わらず歴史を感じさせる分厚くて温もりがある掌で、甲に刻まれた深いシワは私の心を優しくさせた。 70歳を超えてもなお、様々な活動をして世界中の社交パーティに顔を出しているバイタリティ。 5年前に亡くなったご主人の遺言どおり、跡継ぎがいないミューラン家所属の各企業はそれぞれ信頼できる役員に譲渡し、生きている内に全財産を使いきるようにという2つ目の遺言も忠実に実行中。 ベッドに腰掛ける姿勢になり、夫人は艶やかな顔色になった笑顔で私に告げた。 【マージュ・ケリ、急な依頼にも関わらず、こんな所まで赴いてくれて本当にありがとう】 【とんでもない。ロスを離れても思い出していただけるなんて、光栄ですわ】 【この季節の日本は初めてだったの。こんなに肌に合わないなんて、油断していたわ】 【ロスとは気候が全然違いますもの】 応えた私に、夫人は照れたように笑う。 【今夜のパーティはとても楽しみにしていたの。それなのにお肌カサカサで出席なんて絶対に嫌で・・・。それで、無理言って理佐子に連絡してもらったの。あなたが日本に居ると知ってラッキーだったわ】 【――――え?】 私はその言葉に戸惑った。 【ミセス・ミューラン、私が日本に居ると知って、理佐子に連絡をしたんですか?】 【ええ、そうよ!】 質問の意図が分からないといった不思議な表情で、ミセス・ミューランは首を傾げた。 【―――離婚しても仲良くやっているのね? 子供達ももう大きくなったでしょう?】 夫人の言葉に、ドクン、と私の体が大きく震える。 【あの・・・ミセス・ミューラン、もしかして、私が日本に居るのを教えたのは―――】 【そう! 今日のランチで一緒だったケヴィンが教えてくれたの。今夜参加するパーティはジャパン・プレミアよ】 やっぱり・・・。 【・・・この、ホテルで?】 【もちろん。あ、ごめんなさい】 そう返答して、携帯を取り出した夫人は、次のアーティストを部屋に呼んでいるようだった。 という事は、ケヴィンはこのホテルに滞在している――――? 夫人に私が日本に居る事を告げたのは、ただの付き合いからの流れ? それとも、何か考えているの―――? ・・・帰らなきゃ。 【パーティ、楽しみですわね。それじゃあ夫人、私はこれで】 【ええ、マージュ・ケリ。本当にありがとう】 夫人に見送られて寝室を出ると、リビングで待機していたらしいメイキャップ道具を持った若い女性が、私と入れ替わるように寝室に入って行く。 リビングには夫人に長年仕えている顔馴染みの執事がいて、コーヒーとケーキを勧められたけれどスケジュールを理由に辞退した。 開けてもらったドアから廊下に出る。 エレベーターホールまでは少し距離があって、私は追い立てられるように速足になっていた。 早くホテルから出なくちゃ――――。 「アキラ・・・」 バッグから携帯を取り出して発信する。 少しでいい、一言でいい。 声が聞きたい。 お願い、繋がって―――――。 『おかけになった番号は、現在、電波が届かない・・・』 足元が崩れそうになる。 「アキラ――――」 泣きそうになった。 エレベーターの呼び戻しボタンを押す。 ランプはもう点いているのに、何度も押してしまう。 どうして私は、こんなにも弱いんだろう。 ケヴィンが関わっていると分るだけで、こんなにも自分に自信が無くなってしまう。 どうしよう。 ケヴィンを前にしたら、平常心でいられる自信が無い・・・。 この前のように彼に呑まれてしまったら、今度はどうすればいいの・・・? ああ、 どうしよう―――、 助けて、 助けて、アキラ―――――、 【―――ケリ?】 「ッ!」 心臓が、止まったかと思った。 一瞬息を飲んで、これはケヴィンの声じゃないと自分を落ち着かせる。 そう。 私が歩いてきた方とは逆から聞こえてきた、確かに知っている、その声の主は・・・、 【ライアン・・・】 目の前に現れたのは、最後に見た時よりも白髪が増えた、ケヴィンのエージェントを引きうけているライアン・オッズだった。 |