遠一が用意してくれたシルバーのタキシードに身を包んでパーティ会場であるホテルに到着したのは、既に映画の上映会が終わった後だった。 招待状を送ってきたケヴィンの真意はまだ測れていないが、日本未公開の新作を鑑賞出来たら、それと引き換えに大凡(おおよそ)の事、 つまり、ケリ以外の事で何をされてもチャラにしようと都合良く考えていただけに、間に合わなかった事には多少、気落ちした。 ケヴィン・モーリス・・・。 ケリの事では別に張り合うつもりは無いが、俳優として、対抗したいというプライドは疼く。 今回は、どんな役をして、どんな新境地を切り開いたのか・・・。 当のケヴィンは壇上に立ち、俺に気づいた様子ではあったが、特に話しかけてきそうな素振りも無い。 無意識にケリの姿も会場内に探したが、見つからなかった事に安堵しつつ、同時に自己嫌悪にも陥った。 ケヴィンからの接触があれば、ケリは隠さずに俺に話してくるはずだ。 今朝までやり取りしていたメールにそんな内容は一切なく、 いや、そういう内容なら、彼女は決してメールで済ませたりはしない。 必ず電話を入れてくる――――。 そう考えていても、ケリの事になると冷静に状況を分析できなくなっている自分が居て、そうだよな? と確認したい衝動がある。 ―――これも、ケリと出会ってから知った新しい自分だ。 ふと、携帯電話の存在を思い出し、一頻(ひとしきり)持ち物を確認して、着替えをした遠一の車にそれを忘れていることに気が付いた。 着ていたボトムのポケットに入れたままだ――――。 何となく、状況の流れが悪い気がする。 芽生えた不穏な空気を打破しようと、ホテル内で食事でもしながら待っていると言っていた遠一を探しに、会場の出入り口へ踵を返した時だった。 【Are you ・・・AKIRA AMAGI?】 メゾソプラノ系の、しっとりとした声音が俺を呼びとめる。 歓迎できるタイミングでは無かったが、仕方なく、 【Yes,I am】 応答して振り返ると、真っ赤なドレスを着た金髪の美女が立っていた。 途端に、【ワオ】とため息のように微笑む彼女。 【驚いた。スクリーンで見るよりも、ずっと素敵ね】 【・・・どうも】 【ファンだったの。お会いできてとても嬉しいわ】 艶やかに笑って彼女がそう言うと、落とされていた髪の一房が揺れた。 その毛先は、まるで誘うように開かれた胸元へ流れている。 アイラインで囲った眼から放出される色っぽい目線。 細いウエストにわざと緩みを持たせたドレスは、動く度にその身体のラインを想像させて、悩殺ものだ。 ケリに出会う前の俺なら、多分、 ―――喰いついていた。 (それにしても、彼女、どこかで観た事が・・・) 記憶を探りながら暫くぼんやりしていると、 【なーんだ・・・】 そう言って、目の前の彼女は肩を落とした。 【こんなにサービスしてるワタシに反応しないって事は、大事にしたい恋人が居るのね】 自分の胸元に触れながら、クスクスと笑う。 そんな、あっけらかんとした彼女に対して、俺も苦笑するしか無かった。 【でも、あなたの魅力は十分に判っていますよ】 フォローではなく、正直に応えてみる。 すると、 【気にしなくていいわよ。"出会ったその日に始まるとは限らない。あなたが別れを経験した後で、次はワタシの順番が回ってくるかもしれないでしょう? 全ては、タイミングなのよ"】 (!) 彼女が綴ったセリフにハッとする。 思い出した。 【違っていたらすみません。もしかして、・・・エリザベス・アーチ?】 俺がそう尋ねると、彼女は目を大きく見開いた。 【ええ! そうよ。え? どうして?】 半ばパニックになりながらも、嬉々とした表情で聞き返してくる彼女。 【さっきのセリフ。君が3年前に出演した映画のものだ】 俺が真顔で告げると、エリザベスの顔色は先ほどまでとは打って変わり、恐らくは、沈んだ心と同じスピードで床に視線を落とした。 【・・・そうよ。ワタシの演じた役じゃなくて、ヒロインの、セリフ】 【――――ああ】 当初、ヒロインとしてその映画で銀幕デビューする予定だったのは、ドラマ女優として子役から地道に活動をして実績を重ねていた彼女だったと聞いている。 ところが、撮影が始まって暫く経った頃、突然、スポンサーの意向でヒロインの交代劇が勃発した。 エリザベス・アーチはヒロインの友人役になり、主役を演じたのはスポンサーが推薦してきた新人女優。 "アメリカンドリーム"とマスコミは囃し立て、作品への注目度も上がる中、ヒロイン交代に猛烈に反対していた監督は序盤でクビ。 助監督が金に釣られて撮影を再開し、もともとエリザベスのためにストーリーを書いていた脚本家は契約の前に敗北して、撮影チームにそのまま権利を譲り渡した。 そうして仕上がった作品の、結果は惨敗。 誰よりも演技力がずば抜けたエリザベスが居なければ、B級作品として評価に値したかもしれないが、その光り過ぎた彼女の才能が、あの作品では却って"毒"になった。 気づけば、エリザベス・アーチの女優人生は、小休止を取らざるを得ない状況まで追い詰められていて、ホームであったテレビドラマ界ですら、世間に負けてしばらくは彼女を干す対応を取った。 俺にも、覚えがある。 自分の意図と関係なく世界が進み、俳優としての道筋を見失ってしまいそうだった頃。 経緯は違っていても、結局俳優と称う職種の人間は、このフィールドで指針にしているものが同じだから良く分かる。 俯く彼女の奥底に、あの頃の自分と同じ感情が沈んでいること――――。 そして、それを覚悟して、その錘(おもり)を抱いて浮き上がってくるには、相当な勇気と労力が要る。 あの時、俺に必要だったのは、どんな言葉だった――――? 【――――エリザベス】 俺は、彼女の名を呼び、シャープな顎に指を添え、そっと顔をあげさせる。 【"君の言うとおり、それが宿命じゃなければ、きっと順番は回ってくる"】 俺は、その映画で、男性キャストがヒロインに向かって告げた台詞を選択した。 【アキラ・・・】 エリザベスが眉尻を下げた。 【女優業、好きか?】 【・・・好き】 【なら、大丈夫だ。結局、最後はそれに尽きる】 【・・・】 涙を隠すように、エリザベスの長い睫が一度ゆっくりと瞬いた。 次第に、潤んでいた眼差しが笑顔で細くなる。 【やだ、なあに? たいしたアドバイスじゃないのね】 【効果は保障する。俺がそれで生き残った】 【・・・うん。信じられそう】 クスクス、と笑ったエリザベスが、俺の頭に手を伸ばした。 【綺麗な黒髪。―――― 一度、触れてみたいと思っていたの】 【あんたの魅力はこの髪型では伝えきれないよ】 誘うような胸元にチラリと視線を落として、俺は笑った。 【色気よりも、女優として役と闘う方が似合ってる】 【―――ええ。判ってる。これは、本意じゃなかったの】 エリザベスが視線を周囲に泳がせた。 【今も、見られているかもしれない】 【何?】 【あの、アキラ・・・、ワタシ、あなたに話しかけたのには理由があって――――】 エリザベスの手が、俺の肩にかかった時だった。 「アキラ――――!!」 「!」 声がした方を、反射的に振り返る。 聞き間違う筈はない。 「ケリ・・・?」 人込みの中から、その声の主を探し出す。 「ケリ」 こちらを見つめている黒水晶の瞳。 ウエストから流れる赤と緑のシフォンが映える、漆黒のロングドレス姿は、俺の胸を一瞬でざわつかせるほどに美しかった。 (なんで、泣いて――――?) 状況を整理しようと考えを巡らせ、エリザベスの手が俺の肩にかかっている事に気づく。 いつから、観ていた? 「ケリ」 その悲しみの理由は――――。 俺の行動が招いただろうその涙に胸が痛み、堪らずに駆け寄ろうとして、 「!?」 目に入った現実に、体中の神経が硬直した。 「ケヴィン・・・」 ケリの両肩を、背後から支えるように立っていたのは、ケヴィン・モーリス。 ああ、 ほら。 だから言ったんだ。 ケリ。 【アキラ・・・?】 戸惑ったようなエリザベスの声が聞こえたが、完全に無視をして置き去った。 一直線にケリの元へ歩いて行く。 理解者でありたいと、優しく包みたいと、彼女が望むように愛したいと、そう願って、大人の男ぶって大事にしてきたから、できれば、 こんな怒りは抑えられたら良かったけれど――――。 愛しさの反面、 「ケリ」 自分でも驚くほどの冷たい声音で目の前にいる彼女の名を呼び、 俺は、その細い手首を、力の限り、掴まえた。 「何度言えばわかるんだ?」 言い放ちながら、グイっと腕の中に引き寄せる。 俺が手に入らないと諦めている"ケリの過去"に蔓延っている"元旦那"の存在が絡むと、 周りが何も、見えなくなる―――――。 「俺以外の男に触らせるな」 「アキラ・・・」 ケリの声が震えると、その身体から、微かに知らない香りが漂った。 (クソッ) 自分らしくない言葉がはっきりと胸に浮かぶ。 『――――愛し過ぎて、壊さないでくださいね?』 無理だよ、トーマ。 今夜はきっと、壊さずには納まらない―――――。 |