ケリに初めて"近づいた"時、彼女は男について"無垢"というよりも、どちらかというと"無知"に近かった。 始めの頃は、少しくらいの警戒心はあったと思う。 しかし、何度か顔を合わせている内に容易くテリトリーに受け入れ、 直ぐに、――――"僕"を愛するようになった。 彼女が愛した"僕"。 それは、 思いやりに溢れ、見守るような微笑と、相手を労わる優しい言葉を常に囁く、そんな"僕"――――。 彼女が出会った当時のケヴィン・モーリスは、 ――――僕が演じた"虚像"。 ――――僕が愛して已まなかった"シン・ホンの鏡像"。 そんな"僕"の事を、ケリは愚かしいほど直向に、深く、愛して―――――・・・。 ――――・・・ ――― いろんな事が狂いだしていくのに、拍車はかかっていく―――――。 ルビを産み、嘘で塗り固めた"僕"の愛する"素振り"で幸せそうに微笑むケリ。 その傍で、自分の思いをひたすら隠して、ただ、ケリを守り続けたシン。 そして、少しずつ歪みが走ったその現実から目を逸らして、自分の心だけを保護していた僕。 そんな複雑な織目の中、結婚1年目の記念の日に、僕の元恋人がケリに1つの爆弾を投下する。 『ケヴィンは、ゲイ。――――ああ、君を抱けるということはバイ・セクシャルなのかな?』 信じていたものが、ケリの目の前で総崩れした瞬間だったと思う。 意識を失っていたケリが、目を覚まして真っ先に僕に尋ねたこと。 『ケヴィン・・・、男の人も愛せるって、本当?』 その時までは、ケリはまだ、僕の事を信じていた。 いや、・・・多分、"信じたい"という願望の中にいた。 その質問をするまでは、まだ彼女は僕の目を見ていたし、僕は、自分を偽る事をやめてはいなかったから――――。 『ケリ・・・、女性で愛したのは君だけだよ』 『ケヴィン・・・そういう問題じゃない。私と結婚してからも、恋人がいたのかどうかを聞いているの』 『――――どうして? それは重要?』 『だって、男性でも、女性でも、あなたの心が動いたなら同じでしょう?』 フェアで美しい、その精神を宿した透明すぎる黒い瞳は、罪悪に蝕まれていた僕にとって、"毒"以外のナニモノでもなかった。 壊したい衝動に、駆られたんだ――――。 『ケリ、冗談だよ。ごめん、からかっただけだ。昔の事は、正直に認める。でも信じて。"今"は、僕には、君だけだよ』 『ケヴィン・・・信じていいの? いいの・・・?』 『もちろんだよ――――』 泣き縋ってくるケリの肩を抱きながら、僕は、遠くからケリを見守っていたシンの、不信に曇る瞳を見た。 それを笑って僕がケリの髪を撫でるたび、濡れたその目を隠すように、シンのチョコレートブラウンの前髪が揺れた。 ああ、 ――――そうだね。 どうせ、僕には手に入らないと分かりきった宝物。 シン。 君がケリを愛するほど、僕はケリの心を絡め取ってみせるよ。 愛は、麻薬だ。 そして洗脳の、素晴らしい秘訣でもある。 愛と言う名のもとに、飴と鞭を繰り返すうち、それが当然の世界になるんだ。 3年も経てば、もうシンの真似をしなくても、横暴で、自分勝手で、保身しかない僕の事を、ケリは依存するように求めていた。 半年間も帰らずに家を空けていたとしても、耳元で少し愛を囁けば、彼女は泣きながら僕に抱かれた。 愛人を連れ帰っても、ケリは声を殺して泣くだけだった。 彼女が僅かに意思を見せて立ち向かってくるのは、ルビに関する事だけだった。 耐えて耐えて、身を震わせる姿は僕にとって悩殺的だったし、彼女にとって、僕に愛を注ぐのは本望だと思えるほど、僕を愛する姿は美しく映った。 だから―――――。 「俺以外の男に触らせるな」 見た目にも判るアキラの怒りの激情に対して、これまでに見た事も無いような美しい女の表情で、その胸にケリが収まって行く。 ケリ―――? 同じように泣いているのに、 力づくなんて、僕は日常的で、それなのに、一体、何が違っていたんだ――――? 僕の中を、衝撃だけが駆け抜けていく。 アキラの胸で、宝石のような涙を流すケリは、僕の胸がこんなにも痛くなるほどに、その笑顔を輝かせていた。 それはまるで、 シンが最初に愛してやまなかった、 "神秘の女神"の時の、笑顔・・・。 僕が消滅させてしまった、あの頃の笑顔そのものだった――――――。 |