離れてまだ24時間も経っていないのに、 『アキラ?』 電話の向こうから聞こえてきた声に、懐かしいくらいの切なさがあふれ出る。 「ケリ」 『おはよう。そっちは8時くらい?』 「ああ。そっちは?」 『イブの午後。ちょうどおやつの時間』 クスクスと笑い交じりの声が、耳を擽るように優しくて、 「おやつ?」 『そう。こっちで大好きだったカフェに来てて』 予想しなかったプライベートモードに焦ってしまう。 カフェ・・・。 「・・・トーマとか?」 『違うわ。こっちで調査をお願いしていたエージェントと』 「エージェント?」 『ええ』 「・・・二人で?」 『―――――ああ、・・・ふふ』 俺の苛立ちを読み取ったらしく、ケリはまた笑った。 『エージェントは女の人よ。マーガレット』 「・・・」 膨らみかけた黒い部分が、スッと鳴りを潜めた。 情けないと思う。 "俺以外の男に触らせるな"なんて、もうそんなものじゃきかない気がする。 「ケリ」 『なあに?』 久しぶりのロス。 ケリにとっては地元に里帰りしたようなものなんだろう。 いつもより、リラックスしたような、甘えた口調。 「帰国したら俺以外の事が考えられないくらい、しばらく監禁してやるからな」 『―――――え?』 目を丸くして、頬を染めている顔が想像できた。 それだけで、俺を幸せにできる女なんだと、改めて思う。 ―――――早く帰って来い。 喉から零れそうになる言葉だった。 けれど、昨日見た車の中での彼女は、仕事が好きで取り組んでいる顔をしていて、間違いなく、大切にしている世界の一つ。 俺も、支えないわけにはいかない。 きっと彼女も、こうして支えようとしてくれるはずだから。 「今撮影中なんだ。タイミングよく電話をとれて良かったよ」 『あ、ごめんなさい、休憩中だったのね』 「最高のリフレッシュになった」 『アキラ・・・』 「無理はするなよ」 『あなたもね』 「ああ」 『それじゃあ』 フツリ、切れた通話。 耳元であんなに近かったのに、また俺とケリの間に9000キロ近い距離が出来た。 目を閉じれば、はっきりと思い出せるケリの体の感触。 腕に抱いた時の腰のラインや、触れる指の形まで、記憶を馳せるだけで恋しくなる。 「アキラさん」 「――――藤間か」 「はい。―――準備、できたそうです」 「了解」 視線を感じて顔をあげると、スタジオの奥にセットされた大道具を遠巻きに囲むスタッフの大半が俺の方を見ていた。 「アキラさんが無駄に色気を振り撒いているからですよ。どうせケリさんの事でも考えてたんでしょう?」 「まあな」 流し目で微笑んでやると、ざわっとした空気がスタッフに波紋のように広がっていく。 「・・・アキラさん」 戒めるように睨む藤間も、若干顔を赤くしていた。 「藤間」 目線を合わせ、低く呼ぶと、藤間は慌てて目を逸らす。 「う・・・、なんか嫌な予感がするんで、耳塞いでもいいですか?」 「そんな事したら今すぐにロスに飛んでやる。試すか?」 「・・・いえ。ゴヨウボウハ?」 「棒読みかよ」 椅子から立ち上がり、持っていた携帯電話を藤間に手渡す。 「休暇作ってくれ」 「はあ・・・」 「最低でも一週間」 「えっ!?」 「バレンタインデーを入れて」 「ええっ!? ・・・って、あれ? ―――バレンタインって、2月ですよね? 良かったです・・・。正月休みとか言われたらどうしようかと思いました」 最近、藤間のキャラクターが変わってきたような気がする。 社会に馴染もうとして冷静を気取っていた最初の時よりはいいと思うが、多分に瞳の影響だろう。 付き合う女によって、男は変わる。 多分女も。 俺はただ、初めての感情に任せて、 ケリを思うがままに抱いているだけで、 独占したいと行動するだけで、 愛したいと求めるだけで――――、 俺はケリにとって、いい方へ導ける男として足りているんだろうか? 「・・・頼んだからな」 「あ、はい。やってみます」 彼女が持つ、俺の知らない世界を少しだけ垣間見た気がする昨日の車内での会話。 ホストクラブと、エステサロン"Aroma"のオーナーで、あの指示の出し方を聞いていると、クレバーなリーダーだと思う。 元ケヴィン・モーリスの妻。 ルビの母親。 それ以外に、俺が彼女について説明できることは、他にない。 出会って二ヶ月。 たった、二ヶ月―――――。 当然だと思う。 今までの女達の事を、俺はどれだけ知っていた? 彼女達の事で語れるのは、俺と交わした愛の言葉と、それを示すセックスの仕方。 会うために共有したスケジュールと、一緒にいる間に蓄積されていく好みのデータだけ。 俺と一緒にいない時間に何をしているかなんて、興味を持って俺から接触したことは無い。 今なにしてる? それは、何をしているのか好奇心があったわけじゃない。 これから会えるか? その確認だ。 これから大好きなカフェでおやつの時間――――― きっと今頃、懐かしいデザートを食べながら談笑しているんだろう。 そんな事すら、少しでも共有できることが嬉しいなんて、以前の俺なら解らなかった。 貪欲に、ケリの全てを知りたいと思う。 俺が知らないところを、ケリの存在に少しも残したくない―――――。 けれど今、 俺のその欲望を満たすには、 ケリの事を、知らなすぎるような気がしていた―――――。 |