【だあれ? 恋人?】 【え? ・・・ええ、そう】 レストルームから戻ってきたマーガレットに尋ねられ、私は曖昧に笑って携帯をバッグにしまった。 【なんてね。知ってるのよ。天城アキラでしょう?】 【―――――えッ!?】 ルビが通っていた大学の前にあるカフェ、"ネロ"のオープンテラスの席を、大きくなってしまった私の声が駆け抜ける。 【そんなに驚かなくても・・・】 マーガレットは椅子に腰を下ろしながら言った。 【あなたとアキラのキスシーンは一時的だけど流出したのよ? 本宮グループとはいえど、個人で収集されてローカルに移ったデータを回収することは難しいでしょう? そして私が所属しているのは調査会社。どんな情報でも集められて当然の環境なの】 【・・・そうね】 【でも、恋に奥手なあなたにそんな顔をさせるなんて、さすがに彼ね】 【え?】 ドキリとした。 何かしら、彼を知っていると意図されたような言葉に聞こえたから――――。 【マーガレ・・・】 【お待たせいたしました】 ウェイトレスの影がテーブルに落ちた。 目の前に並べられるチョコレートケーキとミルフィーユ。 飲んだのがばれたら、きっとルビにムッとした顔をされそうな、お気に入りのアイスモカジャバ。 マーガレットの前にはシフォンケーキと、大きめのカップに注がれたホットカフェモカが置かれた。 【ごゆっくり】 【・・・ありがとう】 ウェイトレスが離れていくのを待って、私はマーガレットがカップからカフェモカを口にするのをジッと見つめていた。 ふと、マーガレットの青い瞳が私を捉える。 【なに?】 【・・・彼がさすが、って・・・?】 【え?】 「あ・・・」 聞き返されて、心が怯む。 情けない・・・。 こんなの、気にしすぎだわ。 彼が、これまでにたくさんの女の人を相手にしてきた事は知っているじゃない。 言葉のニュアンスにいちいち引っかかっていたら、身が、 ・・・心が持たない――――――。 【・・・いいえ、なんでもな、】 【そうやって、呑み込むのは相変わらずね】 ―――――え? 私はハッと顔をあげた。 透き通った青い瞳、その中の黒い瞳孔が、微動もせずに真っ直ぐに私を見つめてくる。 【気になった事は訊いた方がいいわよ】 【・・・】 【なんてね】 ふふ、と唇を笑みに象り、頬杖をつくマーガレット。 【ごめんなさい。意味深な言い方をしたのは私ね。意地悪したわけじゃないのよ。正直な感想だったの】 【・・・?】 【どうする? あなたにとってはあまり楽しい話じゃないかもしれないけど、聞く?】 【―――――このままだと眠れなくなりそうよ】 強がって笑って見せて、 私は自分を落ち着かせるためにモカジャバに差されたストローを吸い込んだ。 ビターなコーヒーゼリーが口の中に入ってくる。 コーヒーに溶けたバニラアイスのテイストが絶妙な甘さを引き出していて、久しぶりのそれはとても美味しかった。 ふうと吐き出した息が冷たくて、自分がここに居る事が、ちゃんとわかる。 【――――いいわ】 覚悟を決めたように告げた私の合図に、マーガレットは口を開いた。 【・・・彼に抱かれたのはたった一度。映画祭の真っ最中】 胸が、ツキンと痛む。 【フリーのジャーナリストをしている、私の友人の話】 【・・・え?】 てっきり、マーガレット本人の話だと思っていた私は、思わず目を見開いた。 【彼女には性にトラウマがあってね。不感症だって、本気で誰かを好きになるたびに泣いていたの】 【・・・】 【きっとアキラにとって、その晩の事は間違いなく遊びの一夜。だって、次の日には別の女性と写真を撮られてたし】 眉を顰めた私に、マーガレットは漏らすように笑った。 【許してあげて。10年以上も前の事よ。あの頃の、―――20代の天城アキラは、特定の恋人は作らずに寄ってくる異性は平らげていた感じだったみたいだし】 【・・・】 あの人って・・・。 あれだけセックスが上手いのも、きっとそうなんだろうと思ってはいたけれど、"平らげる"なんて表現をされるほど―――、だなんて・・・。 ・・・嫉妬心ではない、複雑な感情が渦巻いてくる。 【でも、遊びだと分かっていても、彼女にとっては劇的な夜だった】 【・・・】 【トラウマを克服して、彼女、その次の年に結婚したの】 【!】 【凄い効果抜群のセックスセラピーでしょ? 彼女が酔うたびにこっそり私だけに語ってくれる天城アキラは、情熱的で、甘くて、サディストで、でもとても優しい――――――。聞いてるだけで、身体が疼いて仕方なかったわ。――――あ、これも許してね】 楽しそうに笑うマーガレットに、私は曖昧に笑うしかない。 【そんな彼とあなたがキスをする写真を見た時、私が一番に何を考えたと思う?】 【・・・さあ】 【次にあなたに会ったとき、あなたが女の顔をしていたら、天城アキラは本物。どんなセックスをするのか根掘り葉掘り聞かなくちゃ、ってね】 【・・・】 温度が上昇していくのが分かる。 きっと、言い訳ができないくらい真っ赤になっている私の顔。 【すべてが片付いたら、一晩かけて聞き出すわよ。調査員の私の腕の見せ所ね。覚悟してなさい】 【マーガレット、そこでは、発揮してなくてもいい、から】 【何言ってるのよ。今回の最大任務は絶対にそこよ。そのためにも、しっかり食べて、戦いに挑みましょう】 【・・・もう!】 マーガレット・ヨハンの名前で17時にとった予約は新規紹介1名プラスプラン。 紹介された人もした人も、施術コースの料金から10%割引になるシステム。 【私がレギュラー会員だから、もちろんあなたもそれに準じた受付になる。同じ時間にゴールド会員の紹介のサクラが入るわ。その場の雰囲気を肌で感じてみて】 【――――分かったわ】 ある程度の覚悟は決めて、ロスに乗り込んできたつもりだったけれど、時間が迫るごとに緊張の度合いが増してくる。 どんな現実が、私を待っているんだろう。 報告書で読んで一般会員のお客様とのサービス格差については知っているにしても、目の前でそれを見るのとはきっと何もかもが違うはず。 できれば、目を逸らしたいと考える私もいた。 けれどそれは、自分自身の時間を否定することでもある。 マーガレットの言う通り、しっかりと、私の目で見て判断を下さなければ―――――。 隙をついては首をもたげてくる弱い心を誤魔化すように、私は、マーガレットが目を丸くするほどのスピードで、チョコレートケーキとミルフィーユを交互に口の中へと運んでいた。 |