小説:ColorChange


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これで終わりでいいですか?
《 Acting by アキラ 》



 「藤間、コーヒー飲んでくる」

 「え、アキラさん、ちょっと待ってください」

 楽屋で運び込んだ荷物の整理を始めていた藤間に向けてそれを軽く告げ、本格的に制止されないうちにとドアを開けた。

 「次の俺のテイクまではまだ時間あるだろ? 上のカフェにいるから」

 カフェ"モナリザ"なら、パスを持っている人間しか出入りできないから、面倒はほとんど無い。

 「わかりました。携帯は持ってってください」

 「ああ」

 背中を向けたまま携帯を示しつつひらひらと振って、慣れた廊下を進んでいく。


 「おはようございます」

 「あ、天城さん、おはようございます」

 「おはようございます〜」

 すれ違う人が口々に挨拶をしてくれるが、ちゃんと顔見知りでない限り返事はしない。
 下手に向こうに糸口を掴ませると、碌な目に合わないことはこれまでの経験上、嫌というほど知っている。

 「あ、アキラさん、おはようございます」

 エレベーターに乗り込むと、パネルの前に位置取って立っていたのはジョニー企画の野口だった。

 「おはよう。あ、6階頼む」

 「はい」

 6階のボタンが点灯して、エレベーターが上昇する。

 「モナリザですか?」

 「ああ。珍しいな、お前が局に出向くなんて」

 今年36歳になる野口は、営業の所属で、実際ほとんど現場には顔を出さない。
 人当たりの良さそうな童顔な顔立ちはなかなかのジョーカーらしく、長閑な雰囲気を醸し出しているが、営業力はトップ成績らしい。

 「今日はVIPちゃんのお守なんですよ」

 苦笑する野口は、頭の後ろをかいた。
 営業の仕事は想像以上に多岐にわたっているらしい。

 ポーン、と音が鳴り響き、「5階です」の声と共に扉が開く。

 「失礼しますね」

 「おつかれさん」

 一礼して俺を見送るあたり、営業マンとしての職業病なんだろう。


 ポーン、「6階です」。


 扉が再び開くと、モナリザからシナモンの香りが広がっていた。

 まだ時計が示すのは10時。
 ブランチか――――。

 ケリからカフェというキーワードを聞いてから、エスプレッソが無性に飲みたくてやってきたが、軽く食べておくのいいかもしれない。

 自動ドアに向けて、身体を進めようとした時だった。


 「―――――?」

 食品サンプルが飾られているウィンドウにぴったりと額をくっつけて、まるでオブジェのようにそこに立っている少女を認識して驚いた。
 あまりにも気配が無いからまったく気づかなかった。

 「・・・?」

 じっとウィンドウの中に視線を向けているその横顔。
 艶やかな黒髪が肩の方でカールされていて、幼いのに、随分と背筋が綺麗な子だと思う。

 不思議と、ケリを思い出した。


 ―――――迷子?



 「おい、大丈夫か?」

 一応、大人として声をかけてみた。

 その俺の声に反応して、彼女は肩を震わせ、ハッと俺の方を向く。


 顔立ちがはっきりしていた。
 オリエンタルな雰囲気があって、子供のくせに、妙な色気がある眼をしている。
 黒水晶のような、強さと儚さが見え隠れする複雑な色合いの瞳。


 「・・・誰か、スタッフはついてないのか?」

 誰へとなしに尋ねながら周囲を見回してみたが、それらしき人物は見当たらない。
 局で物怖じしないこの態度と雰囲気からすると、多分一般の子じゃないと思う。

 子役か、モデルか――――。

 俺の顔をジッと見つめていたその視線が、ふい、とまたケースの中に戻った。


 しろくま?


 「―――――食いたいのか?」

 俺の問いかけに、ゆっくりと小さな顔が持ち上がった。
 上目で俺を見つめながら、肯定も否定も無く、ただ、俺の動向を見つめている。

 「・・・期待するなよ。かき氷だからやってるかどうか」

 カフェの入口に改めて向かうと、センサーが反応してドアが開く。

 「いらっしゃいま、・・・せ」


 ウェイトレスが俺を見た途端に頬を染めた。
 月1程度しか足を向けないが、新人スタッフだとすぐわかる。
 芸能人を見ることに、まだ慣れていないらしい。

 「・・・"しろくま"は食べれるのか?」

 「しろくま!? しろくまですか? はいッ、大丈夫です!」

 その返事を聞くや否や、俺はとりあえず、外に立ち尽くしている彼女に声をかけた。

 「来いよ。しろくま、食わせてやる」


 俺が告げると、彼女の瞳がキラキラと光った。
 けれど、足は動かない。

 ・・・警戒は、

 ―――――まあ当然か。


 「仕事で来てるんだろ? 局のスタッフに言ってここに関係者を迎えにこさせる。ここには何の仕事で来たか教えてくれるか?」

 「・・・ジョニーキカクノノグチサン」

 かわいらしい声で、ポソッと呟かれたその言葉。

 「―――――ああ、あんたが」

 VIPちゃん、と言いそうになって、口を噤んだ。
 頭が良さそうな子だから、その意味を読み取るまでもなく、自分がされている扱いを分かっているのかもしれない。

 「名前は?」

 「・・・」

 「・・・まあいいけど、野口なら同じ事務所だからすぐに呼べる。とりあえず、しろくまだろ?」

 俺がそう言いながら店内へ向けて歩き出すと、彼女はゆっくりと後をついてきた。
 奥の席に座ると、ウェイントレスが駆け寄ってくる。

 「エスプレッソとフレンチトースト。あと、」

 「"しろくま"ですね!」

 「・・・ああ」

 「お嬢ちゃん、お座りできるかな?」

 優しい声音を出しながら、チラチラと俺に視線を向けてくる。

 「・・・」

 必要以上に話さない方が良さそうだ。
 携帯を取り出して、藤間にかけた。


 『―――――アキラさん? 何かあったんですか?』

 逃亡中は滅多に連絡を取らない俺からの発信が珍しかったのか、藤間の口調が若干早口になっていた。

 「いや、局内に野口がいるはずだ。連絡とって、すぐにモナリザに来るように言ってくれ」

 『え?』

 「探し物がここにいると言えばわかるはずだ」

 『わかりました』

 「頼んだ」

 『はい』

 その間、ウェイントレスはジッと俺を見つめたままテーブルの横から動きもせず、注文すら厨房に通していない状態だった。
 いくら新人でもこれじゃあ先が思いやられる。

 しばらくここには来れないな―――――


 深いため息をついて、口を開こうとした時だった。

 「ココノWaitressハ、シツケガナッテイナイノネ」



 「・・・え?」

 ウェイトレスだけ、やけに発音にいい幼い少女の口から漏れた、およそ子供のものとは思えないその言葉に、件(くだん)のウェイントレスが彼女へと視線を下ろした。

 「なに・・・?」

 「シゴトガデキナイノナラ、ココニイルヒツヨウハナイトオモウワ」

 「なっ、」

 かああああ、と、ウェイントレスの顔をが真っ赤になった。

 「な、なんなのよ、あんた、子供のくせに生意・・・」

 本性出過ぎの酷い態度から、ハッと息を飲んで俺を見る。


 「・・・あの、違うんです」

 「悪いけど、時間無いんだ。注文から先に通してもらえるか?」

 「あ、・・・はい」


 冷たく言い放った俺の対応に、シュンとした顔で去っていく後ろ姿を視界の隅で見送って、俺は目の前の少女に微笑んだ。

 「なかなか強い女だな」

 「アアイウオンナダイキライ。メヲミテスグワカル。キモチワルイメ」

 きっぱりと告げたその明快さに、俺はこみ上げる笑いをそのまま、口を開いた。

 「俺はアキラ。名前、教えてくれよ」

 「アタシハ、・・・ソフィ」

 「ソフィ、か」

 やっぱり日本人じゃないのか。
 日本語は話しているが、耳にかかる感じがしたのはそのためだ。

 「幾つだ?」

 「ナイン」

 「9歳か・・・。野口には楽屋で待ってるように言われてたんだろ? なんで出てきた?」

 「・・・パンフレットニ、シャシンアッタ」

 「写真?」

 少し考えて、

 「―――――しろくまのか?」

 俺の言葉に、コクリと頷く。


 「・・・しろくまが好きなのか?」

 「ベツニ・・・」

 「・・・?」


 ソフィは、それからは俯いたまま、動かなくなった。
 俺もあえて話しかける事はせず、ソフィの声を聴いたのは、それから10分経って、オーダーした品物が目の前に置かれた時だった。

 運んできたのは顔馴染のマスターで、

 「悪かったね、アキラちゃん。あの子、派遣からきた臨時なんだよ。いつものスタッフがインフルと法事、ダブルブッキングでさ〜」

 まいったまいった、と豪快に笑いながら離れていくマスターを見送る間、


 「ママ・・・」


 しろくまをジッと見つめて、小さく紡がれたソフィの言葉。


 ママ?


 瞳の上に、涙が揺れているのが分かる。

 ―――――ワケありか?


 「食えるか?」

 「・・・」

 俺の声に、ソフィはコクリと頷いた。
 その反動で落ちた大粒の涙は、純粋過ぎて俺の胸に痛みをくれる。

 「こいつに、何か思い出があるのか?」

 「・・・ママガ、サイゴニツクッテクレタデザート」


 最後に・・・。


 「亡くなった、のか――――?」

 「・・・」

 返事が無いのは、肯定と取るべきか――――。



 「・・・早く食べろよ。溶けるぞ」

 「・・・ウン」


 細長いスプーンで、ソフィが大事に大事にシロクマの顔を崩していく。
 一口頬張るたびに、何かを噛みしめるように眉間に皺が寄った。

 隠しきれていない、大人びた表情の向こうに見えるソフィの幼気さが、何故だか愛しく感じられる。


 「オイシイ」

 「そうか」


 野口が迎えにやってくるまで、不思議な空間が俺達を包んでいた。








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