小説:ColorChange


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これで終わりでいいですか?
《 Special-Act.by マーガレット 》



 日本のハイスクールを卒業したと同時に、カリフォルニアの美容学校に通うために渡米してきたケリ・M。
 その正体は日本を代表する本宮グループの令嬢で、けれど本人は、まったくそれに依存していない、生活を見れば普通の日本人留学生。

 誰も、彼女をそんなセレブだとは知らなくて、―――――きっと、今でも、経済界以外の人にはあまり知られていないと思う。

 けれど、持っていた才能は数ヶ月もしない内に話題になった。

 ケリの手はまるで魔法使いそのもの。
 一度その手の心地良さを知ると、他の手では満足出来ない。

 もちろん、そうでない人も居たようだけど、圧倒的に相性の合う人が多かった。
 学生ながら、ハリウッドの女優達に、プロよりも求められるケリの施術。
 学校を通しての予約待ちの状態が続く中、ついた異名は『マージュ・ケリ』。
 マージュは古い英語で魔法使いという意味。
 マジカルケリと囁かれるうちに、自然と生まれてきた名前。

 そんな彼女は、当時既に有名だったハリウッド俳優のケヴィン・モーリスと出会い、熱愛に発展。
 ルビという宝物に恵まれて、誰もが羨むような幸せな結婚生活を、ほんの1年だけ、堪能する。

 破綻は直ぐ。
 2年目に入ってから。

 それは、次第に糸が解されていくような、そんな崩壊の仕方ではなく、二人の関係を結び付けていた糸が、薬品で溶かされたかのような衝撃だけを、ケリの世界に齎した。

 その名の通り、一瞬で崩壊した、ケリの"見せられていた"世界。

 業界内ではあまりにも有名過ぎた、ケヴィンは生粋のゲイだという事実を、日本から来たケリだけが知らなかった。
 誰も忠告しなかったのは、有名過ぎるその事実を、当然、ケリは知っていて、その上でケヴィンを受け入れていると考えていたから―――――。

 ケヴィンにとって、恋愛の経験が皆無だったケリを落とすのは、赤ちゃんの手を捻るよりも簡単だったと思う。
 それまで、周囲の人間が認識していたケヴィンとはまるで違う、ケリに対して甘すぎる彼が、子供まで授かって結婚に至った事は、当時の調査関係者の想定を二分した。


 本当に、ケリに恋をして女性も愛せるようになり、目算高い彼が、ただ想いのままに愛を囁く、どこまでも甘い男になったという想定と、
 ケリの素性を知り、打算が働いたケヴィンがその容姿と手腕で本宮家というバックアップを手中にしたという想定。

 けれど、後者の想定はほとんどが遊び。
 なぜなら、ケヴィン自身の総資産はその時既に余り有り、本宮家よりも資産がある男性の恋人候補は大勢いた。
 その気になれば、彼はもっと莫大な財産を、もっと簡単な愛で手中に収めることができた筈。
 それをわざわざ、女性を相手にしてまで画策はしないだろうという前提があったから、その想定は言葉遊びの域を出ていなかった。

 そして、十数年が経った今、ケヴィンがケリと結婚した理由が、その両者のどちらでも無かったと知っているのは、部外者では恐らく、私が所属している調査会社の社長と、当時の私の直属の上司、そして私だけ。

 『妻と子供よりも、シンの名前を狂ったように叫んでいたケヴィンを見て、背筋が凍る思いがした』

 そう証言したのは、元ケヴィンのボディガード。
 ブラッディ・バレンタインで、ケリを護って亡くなったボディガードのシン・ホンの事が切っ掛けで浮かび上がった新たな事実。

 どんな手練れの調査員だって、読みようがなかった。


 "自分の愛する男性(ひと)が愛する女性(ひと)を手に入れて、間接的にその愛を感じようとした――――――"


 そんな、理解し難いケヴィンのその心を、"普通"の人間が読み取れるわけがない。
 事件が起こるよりも先に、訳も分からないままケヴィンの愛を求め疲れたケリは、美容学校の友人の勧めで"Aroma"を開業した。

 元々、エステティシャンとして地位を確立した事があるケリは、数年のブランクを物ともせずに、"Aroma"を業界No.1に押し上げて、今では4店舗を展開する事業拡大に成功している。

 離婚が成立してからは、日本に移住する事を視野に入れて、あえて営業の一線から退いていたケリ。
 各店舗から上がってくる報告と、馴染の常連客から齎される風評で"Aroma"の動向を見守っていたようだけど、訴訟を起こしてくるのはレギュラー会員のみという事実に着目した。


 『パレートの法則ね』

 私が上げた報告書を読んで、ケリは寂しそうに呟いた。



 『パレートの法則?』

 『ええ。一部では机上の数字と言われているけれど、目標を策定する管理者にとっては改善施策の検討に使いやすい法則なの』

 『・・・?』

 『例えば、そうね―――――』

 ケリはバッグから手帳を取り出してそこに円グラフを書いた。

 『"Aroma"の利益をこうして会員カラー別に分けると、およそ8割近くの売り上げは、ゴールド会員から齎されているのが分かるわ』

 『ええ』

 『"Aroma"のゴールド会員は、顧客全体の2割。つまり、1000万の売り上げがあった場合、そのうち800万をその2割がもたらしている事になる。その結果が手元にデータとしたあったとして、売り上げを伸ばそうと思ったら、全体にやみくもに手を打つよりも、その2割に対してサービス向上した方が、何よりも手っ取り早い気がするでしょ?』

 『―――――ああ、なるほど』


 今、"Aroma"が抱えている問題そのまま。

 ロス本店を任されたビジネス・マネージャーのシンディ・ハウは、そのゴールド会員から売り上げを引っ張り出す方法を選んでいる。




 【――――――こちらのコースはゴールド会員の方にのみご提供させていただいている特別コースです】

 採光が計算された明るいロビー。
 お客様一人一人が気兼ねなく相談出来るように工夫された、幾つかのパーテーションで区切られたレセプション。
 その一つにケリと並んで座って居た私は、体験の申込用紙にケリが記入するのを待ちながら、隣から聞こえて来るその会話に耳を傾けた。

 【あら、そうなの?】

 【はい。それに使われるクリームなども、通常のレギュラー会員様用のものよりかなり質が上がりますから、ご満足いただけると思いますわ】


 レギュラー会員が居る傍で、ゴールド会員になったばかりの顧客(私が用意したサクラ)にそんな説明をするスタッフ。

 ゴールド会員の目の前には、まるでアフタヌーンティー並の幾つかのサンドウィッチやデザートも付いた本格ティーセット。
 レギュラー会員の私達にはアイスコーヒーオンリー。


 【ねぇ、あれ素敵ね。私達もああいうの頼めるの?】

 目の前に座るスタッフに、ゴールド会員がいる席を示しながら告げると、苦笑交じりの答えが返ってきた。

 【申し訳ありません。あちらのサービスはゴールド以上の会員様へのサービスでして…。温かいコーヒーならお出しできますが…】

 【あら、なら先にどっちか聞いてくれたら良かったのに】

 【サービスでお出ししている基本のお飲み物はこちらなので・・・、ホット、お飲みになりますか?】

 出来ればNoと言って欲しい、そんな態度が見え隠れする口調。

 そんな彼女の背後に見える、ただ出番が来たから飾られただけ、みたいな、遊び心がないクリスマス用のアイテムのように、
 "Aroma"をスタート地点から見ているからか、ケリの言う通り、子育てに失敗した親の気分てこんなものかしら、――――――と。

 何だかもう、がっかりとしか言いようがないのよね。

 【――――結構よ】

 不快な思いをしていると、私は表情に出して答えているのに、

 【そうですか。では、本日はこちらのコースでよろしいですか?】

 それに対して気遣いを見せる素振りも無く、手間がかからなかった事に満足したような息をついて確認事項を進めるスタッフ。
 記入を終えてペンを置いたケリが、伊達眼鏡を指で押し上げながら、苦笑して頷いた。

 【ええ、そのコースでいいわ】

 【かしこまりました。では、こちらへどうぞ】


 それから別々の個室に案内された私達。
 私が再びこのロビーに戻って来たのは定番コース完了後の30分後だった――――――。



 「・・・?」


 ロビーに戻って辺りを見回した。
 私より先に戻っていると思っていた体験コースのケリの姿が見えない。

 トイレかと思いつき、ソファに座って出されたアイスコーヒーを飲んで待っていると、施術室に続くドアから眼鏡を外したケリが姿を現した。

 【遅かったのね】

 私が声をかけると、一度足を止めたケリが、素の唇を弓形にして、こちらへと再び歩き出す。

 【待たせちゃった?】


 あら?

 ケリの顔が、声が、思いがけず明るい。

 後ろから付いて来ていたエステティシャンは、私が当たった事がない若い女の子で、そのスタッフの泣きはらしたような赤い目が、ケリと二人だけだった空間で、何かがあった事を伝えている。


 【ふうん? なかなか楽しそうじゃない?】

 予想以上に素敵な事が起こりそうだと、私が胸を躍らせた時だった。


 不意に開かれた"Aroma"の正面入り口の自動ドア。
 入って来たのは、髪が紫に染められた、身に着けているモノから判断すると、かなり高貴なマダムで、


 【まあ! いらっしゃいませ】

 受付のスタッフが数人、息を飲むようにした後、バタバタと出迎えにやってくる。

 【本日はどうなさったのですか? ご予約はまだ先のお日にちだったと記憶しておりますが】

 スタッフの問いに、マダムは微笑む。

 【そうなの。でも、とても気になる情報が入ってきて】

 【気になる情報、ですか?】

 応対するスタッフが首を傾げる。

 【ええ。マージュ・ケリが日本から戻ってきているそうじゃない。ここに顔を出しているのではないかと思いついて、あたくし、思わず足が向いてしまったわ】


 言いながら、マダムの目が、何かを探すように店内をぐるりと見渡した。

 それに呼応するように、

 【社長が、ですか?】

 奥のスタッフオンリーのドアから出て来た新たな人物の声。

 この"Aroma"本店のビジネス・マネージャーである、肩までの真っ直ぐな黒髪が印象的なシンディ・ハウ。

 私が見る限り、いつもより顔色が少し青ざめているように見える。


 【本当に、社長がロスに・・・?】

 その弱々しい呟きをかき消すように、次の瞬間、マダムが大きな声を上げた。

 【やっぱり! 来ているんじゃない! マージュ・ケリ!】



 【【【えッ!?】】】

 そこに居た受付スタッフの全員の視線が、マダムの目線を追ってケリに辿り着く。
 私から見たシンディの震えた視線も、ケリの姿をしっかりと捉え、


 【こんにちは、Mrs.ログウッド】


 ケリが穏やかに言葉を発した瞬間、全ての明暗がはっきりと、私の目の前で分かれていた。








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