『ミユ・・・』 低くて、けれど恋人を甘やかすような柔らかな声でその名前を呼ぶと、 『あ・・・』 俺に頬を撫でられ、涙腺が壊れてしまったかのように泣きだした"ミユ"は僅かに首を振る。 俺は、零れそうになる涙を目尻に溜めたまま、絞るように声を出した。 『お前に、・・・そんな顔をさせたくてあんな事をしたわけじゃないんだ。・・・許してくれ』 『ううっ』 俺の手を、縋るように両手で握り、"ミユ"は床にたくさんの涙の粒を落とす。 俺は僅かに目を瞬かせ、涙を、一筋、唇まで落とした。 『う、うう』 ここで"ミユ"が、"お兄ちゃん"と懇親で叫ぶ魅せ場―――。 『天城さんッ!』 ――――――え? 『・・・』 『・・・・・・あ!』 "ミユ"が弾かれたように顔をあげる。 静まり返る現場。 ―――――・・・ 「カットォ〜〜〜ッ!!!」 「はい、カット〜」 監督のため息と同時に、助監督の仕切りとADの合いの手が入る。 緊迫していた雰囲気が一気に解きほぐされ、これまで微動だにしなかった待機スタッフが慌ただしく動き出す。 泣きすぎて化粧が崩れている目の前の新人女優は、徐々に覚醒した様子で慌てて立ち上がり、俺に向かって頭を下げた。 「すみません! すみません!」 泣きの流れで本泣きになってる彼女の肩を、俺は慰めるように叩いた。 「気にするな。切り替えて次で取り戻せばいい。まずは化粧を直しておいで」 軽く笑顔もつけて言うと、 「天城さん・・・」 顔を真っ赤にして俺を見上げてくる。 (――――困ったな) "女優"の目から、女の潤みに変化している。 「ほら、早く行って」 「はい・・・」 俺に促されて、少し物足りなさそうな顔をしながらも、ペコリと一礼して女性マネージャーの元に駆けて行く。 後ろ髪を引かれるようにチラチラと振り返る彼女。 (今はフリーだから、君が俺のストライクゾーンなら良かったんだけどね) 視線を合わせないように踵を返す。 それと同時に、 「15分の休憩入りま〜す」 セットスタジオの中にADの声が響き、それを合図に照明が次々と消えていった。 「アキラさん」 横から呼ばれて目線を向けると、俺のセカンドマネージャー・藤間国広が立っていた。 去年大学を卒業したばかりの、まだ青臭い正直なその顔色を親切心で読んでやる。 「この後のスケジュール、まずいのか?」 「いえ。思ったより押してるので、雑誌1つ、時間調整しました」 「そうか」 スタジオの端に用意されていた椅子に座って、さっきの新人女優が出て行くのを横目で見ながら俺は呟いた。 「彼女、別の作品で見たときはもっとカンが良さそうだと思ったんだけど」 「たぶん、アキラさんの前で緊張してるんですよ。聞いた噂によると、ファンクラブ会員NOも持っている生粋のファンだそうですよ」 「へえ?」 "お兄ちゃん" が "天城さん"になったのはそのせいか。 「今のカットで本日分は終了ですから、次のリテイクでOKがでれば後のスケジュールは調整無しでいけます」 「了解」 「コーヒーどうぞ」 「サンキュ」 藤間が差し出した2本の缶コーヒー。 今日は甘めの銘柄を選んでプルトップを引いた。 甘さで脳内のシナプスを刺激した気になりながら、深く息を吐いて目を閉じると一瞬で眠りにつける。 5分後には、4時間眠った時と同じだけの体力回復を果たす事ができるのは、25年の芸能生活で身に付けた生態だ。 ――――ふ、と意識が途切れ、 しばらくすると、気遣ったような藤間の小さな話し声が突然耳に入り、俺はうっすらと目を開けた。 藤間が電話を切るのと、ほとんど同時だった。 「・・・何分いってた?」 「5分くらいですね」 「そうか」 固まってしまった足を組み直して首を捻ってみると、さっきより体力がついたのが分かる。 思ったより熟睡できた。 「―――それは?」 藤間が丸めて持っていた雑誌を示す。 「今日発売のランキング本です。年間総集編なので、統括がアキラさんにも見せておくようにと」 「ふうん」 "俺に"見せるからには悪い結果ではないという事だ。 その時点で興味を無くしたと言わんばかりの俺の反応に、藤間が生真面目に告げた。 「肝心なところだけお伝えしておきますね。 えーと、 ・実力派俳優 2位 ・抱かれたい男 1位 ・恋人にしたい男 4位 ・結婚したい男 3位 ・不倫したい男 1位 ・SEXしてみたい男 1位 ―――まあ、これくらいですかね」 「・・・なんか不実だよねぇ」 恋人が4位で、結婚相手としては3位。 なのに不倫やSEXが1位とか。 「・・・『38歳で、並みいる若手を抑えてこれだけ上位に食い込めるんだ。フェロモンが潤滑油になるのは仕方ねぇだろ』と、遠一さんからの伝言です」 「あいつ」 嘆息した俺に、藤間が貴重な苦笑いを見せた時、1人のスタッフが駆けよってきた。 「アキラさん、2分後いいですか?」 「いいよ」 「お願いします」 深い一礼を合図に、スタイリストが駆け寄ってきて俺の髪の毛を触りだす。 視界の端で、泣き顔を綺麗にリメイクしたさっきの新人女優がスタジオに入ってきたのが見えた。 照明が入り、その仕切られた場所はこれから創り上げるスクリーンの中の世界の現実。 俺が"俳優"という職業の魅力を語るとき、 自然光では緑色、人工の光の中では紅色に姿を変えて輝く、 宝石『アレキサンドライト』の 演じるという事は、その変色性をどれだけ発揮できるかということ。 13歳で俳優の道を選んだ時、既にその そうして走ってきた25年――――――。 途中で低迷期は確かにあったが、この激流の芸能界に今もなお生き残れているんだから、俺なりに胸を張って言う事ができる。 天城アキラ、 38歳。 職業は―――― "俳優" だ。 「アキラさん入りま〜す」 さきほど声をかけに来ていたスタッフと思しき掛け声がスタジオのどこかから聞こえてくる。 「「「お願いしま〜す」」」 あちこちから重なって応えるスタッフの声。 こんなふうに、他人同士が一つになる雰囲気にも俺の中の"何か"は反応する。 「―――さて、と」 椅子から立ち上がり、俺は現実の世界から、目の前に作られた"もうひとつの世界"へと歩き出した。 「 呟きは、俺の呪い。 そして、 人口の光の中で、 俺は完全な変色を遂げる――――。 |