小説:ColorChange


<ColorChange 目次へ>


まずは始めてみませんか?
《 Acting.by アキラ 》


 何となく、車窓に目を向ける事はたまにある。

 例えば、

 信号待ちのタイミング。
 助手席に座る藤間の携帯が鳴った時、
 台本を読む目が気分転換を求めた時。

 そして今、この時はまるで"彼女"に導かれるように、幾つかの要素が重なった。

 長いと評判の信号にかかり、
 藤間の携帯がメールの受信を知らせ、
 目を通していたインタビューの内容に一区切りついたその時、

 ふと、車外に目を移して――――。

 色の濃い車窓の向こうには休日を楽しむ人の群れ。
 サングラスをしているから、視界に入る世界はダブルコーティングでモノクロのスクリーン。
 突然、その景色が彩りを持った。

 太陽の差し込む様が、華やかに視覚を介して脳を刺激して――――――、息を呑むほど、どうしようもなく、俺は一人の女に釘づけになっていた。

 歩道よりも数段高い位置にある美容室から出てきた、黒髪が豊かな女。
 ピンククリームのシャツに、ゴールドのタイトスカート。
 そのひざ丈と同じくらいの赤茶のレザーコートに、こだわったパンプスとバッグ。

 はっきり言って、目の醒めるような美人じゃない。
 スタイルも、モデルを見慣れた俺からしたら、特別いいわけでもない。


 ただ、太陽の光が差し込んだその瞬間、

 まるで俺を魅了するように、彼女の黒髪から緑色の光が放たれたような気がした。


 脈打つのが分かるほど、体中に響く鼓動。
 わけも分からない衝動が、俺の背中を突き動かそうと刺激してくる。

 (ちょっと待て)

 自分でも信じられないくらいの心の律動に、頭のどこかでブレーキがかかる。
 車を飛び出して、直ぐにでも彼女の手を取ってみたい気になっていた俺を、自身で制した。

 それほど俺を惑わせた彼女に、突然、二人の男が近寄って行った。
 一言二言何かを交わし、うち一人の男の手を取ってゆっくりと階段を下り始める。

 まるで映画のようなワンシーン。

 自分の中にアンニュイに生まれた"苛立ち"に驚いた。
 はっきりした感情ではないが、どうにも面白くない気分にさせられた。


 「うわ、ほんと綺麗ですね」

 助手席に座っていた藤間の突然の声に、俺は動揺して応える。

 「何?」

 「あそこの男の子です」

 肩越しに振りかえり、藤間は俺が見ていた"彼女"の位置よりも少し離れた場所を指差した。

 「最近、統括マネージャーが追いかけてる子ですよ」

 「へえ」

 現実的でない感情から逃げるように目を向けた先には、ハーフかクウォーターか、空気に溶けていきそうなほど、透明感のある美少年。

 「――――確かに。 ウチ ジョニー企画 にはない毛並みだな」

 俺がそう応えたタイミングで信号が青に変わり、運転手のカカシが「出ます」と合図をくれる。

 「――――、」

 思わずため息が出た。
 縁がなかったという事かな。

 思考ではそう結論付けるのに、車が"彼女"から離れるほど後ろ髪を引かれてしまう。

 行動、すべきだったか?

 これまで、滅多に得られた事が無い、衝動的なこの感情。


 "アレキサンドライト"


 ―――そうだ。

 彼女はまさにそれだった。
 宝石のように、俺の胸に仕舞われる。
 千載一遇のチャンスを、もしかしたら俺は逃したのかも知れない――――。


 「あ〜、やりましたね、拉致部隊」

 バックミラーを見ながら運転中のカカシが笑う。
 助手席の藤間も笑いを零す。
 俺も合わせるようにして自嘲し、再び手に持っていた企画書に目を落とした。


 ―――縁がなかった。

 そういうことだと、自分に強く言い聞かせた。



 ――――――
 ――――


 デビューから25年間。
 その間ずっと所属している芸能プロダクション"ジョニー企画"は、老朽化が進んでいた愛着がある自社ビルを、3年ほど前に外観総ガラス張りのこの8.5階ビルに建て替えた。

 7階と8階は事務所で使用、それ以外のフロアは他企業へテナント。
 0.5階は最上のペントハウス分の呼び名だ。

 地下駐車場からエントランスに入り、エレベーターで上がってきて7階に出ると、8階まで吹き抜けた明るいロビーが出迎えてくれる。
 2人掛けソファから多人数会議用のソファまでランダムに置かれている仕様が開放的で、所々の観葉植物が目に優しい。
 口にすると行動範囲の狭さに空しくなるが、プライベートの外出がほとんどない俺にとって、自室マンションの次に寛げる場所になってしまった。

 「あ、アキラさん、お疲れ様です」

 エレベーターから出て左側にある受付カウンターの中から、藤崎瞳が挨拶してきた。

 「お疲れ」

 ジョニー企画の社長の姪ッ子で、高校を卒業と同時に受付に入って2年になる。

 「統括いる?」

 「はい。今、むっちゃくちゃ綺麗な子を口説いてますよ」

 「それ、見学に来た」

 「あはは、本気ですか? でも気持ち分かります。何食べたらあんなにお肌ピカピカになるんだろう〜。睫ばさばさだし、もう神の領域ですよ、あんなの」

 頬を赤く染めながら声を弾ませる瞳に、俺の背後から小さくため息が聞こえた。

 「瞳ちゃん、藤間がヤキモチ妬いてる」

 「いえ、別に・・・」

 低く不機嫌そうな声が藤間から発せられ、瞳がきゃは、と笑った。

 「バッカだね〜国君。こっちとあっちじゃ世界が違うんだから。異世界の事にソワソワしない」

 いつの間にか付き合い始めていた二人に、俺は軽く手をあげた。

 「面白そうだから部屋を覗いてくるよ。藤間、ここで待ってろ」

 「・・・はい」

 改めて吐かれた藤間のため息と、鈴を転がしたような瞳の素直な笑い声を背後に少し廊下を進み、俺は"統括マネージャー"とプレートが下がる部屋の前に立った。
 ドアをノックしようとして、中から聞こえてくる会話にその手をとめる。



 《クォーター?》

 《いえ、ハーフです》

 《名前は?》

 《ルビ》

 《ルビィ? 宝石の?》

 《漢字の横につくほう》

 《ルビ?》

 《はい》

 《幾つ?》

 《15 》

 《・・・》

 およそ矢継ぎ早に仕掛けていた樋口さんの質問が止まった。

 想定していた年齢よりも低かったんだと思う。
 確かに、遠目に見た感じでも、17くらいには見えた。


 (―――ふうん、・・・っと)

 一瞬、思考を奪われたように感心して、我に返る。
 思わず聞き入っていたそのやり取り。

 あの見た目で社会性もあるのか。
 稀有だな、と素直に感心する。

     『名前は? え〜、名前ですか〜?』
     『ルビィ?宝石の?』
     『違いますよ〜あれです、漢字のよこにある〜』

 これまでの経験からして、未成年とは大抵こういう会話になる。
 面白いの掴まえたな。

 《SEXの経験は?》

 《随分プライベートな質問ですが、答える意味はあるんですか?》

 《まあ、彼女がいないとは思わないから、経験はもちろんあるだろうけど、基本リサーチだよ》

 《――――大抵の男の人と同じです。SEXは好きですよ。あなたも嫌いではないですよね?》


 好き?

 まあ、嫌いな男はそういないと思うが、

 《ちなみに、"彼女"は居た事はありません》

 《―――は?》


 ぷ。

 俺は思わず笑った。
 この手の会話は樋口さんはあまり得意じゃないんだ。
 すっかりやられてるな。

 樋口さんがどんな顔をしているのか、見てみたいもんだ。


 《―――うん、それじゃあ、犯罪歴はある? 補導された事があるとか》

 《・・・殺人未遂?》


 へえ。

 間の取り方とか、絶妙。
 こいつ、アイドルよりは、俳優向きかな。


 俺はノックもしないまま、無造作にドアノブを廻した。

 「どーも、お邪魔します」

 遠慮なく部屋に入り込んだ俺の声に、正面のソファに座る樋口さんと、向かいに腰かけた美少年"ルビ"の顔も上がった。

 けれど、

 「アキラ」

 そう俺を呼んできたのは、まったく気付かなかった真横からだった。
 振り向くと、開かれたドアのすぐ傍で、壁にもたれて立っていた男が、驚いた顔をまだそのままに俺を見ている。

 遠一はじめ。

 紫のシャツに黒のジャケット。
 黒の細いレザーパンツ。

 普通の会社員には到底見えないこの男。
 最近はスカウトに駆り出されてほとんどのマネージメントを藤間に任せているが、本来は俺のチーフマネージャーであり、プライベートでは俺の悪友。

 「遠一、いたのか」

 「お前、今日は終わりだったか?」

 「いや、ちょっと空いたから寄ってみた。来る途中で偶然"彼"を見て、面白そうだったから」

 ルビを示されていると気づき、遠一は口を斜めにニヤリと笑う。

 「見てたのか?」

 「まあ」

 応えながら俺はソファに向かって歩き、樋口さんの隣に身体を投げるようにして座った。
 斜め前に座るルビが、その眩しいほどに明るい瞳で、こちらが照れるほど食い入るような目線で俺の顔を見つめている。

 純真な真っすぐさとは違う感じがした。
 特に感情を浮かべていないその裏側で、たくさんの事を考えているような印象が拭えなかった。

 さっきの話し方も加味して察するに、多分、頭が良いんだと思う。

 クリーム色のカットソー。
 腰にピンクのネルシャツを巻いて、質のいいホワイトジーンズと、すこし重そうなヘーゼルのブーツ。

 俺を見たままの、まるでヒマワリが咲いたようなトパーズの瞳。
 柔らかそうなクリーム色に近い薄茶の髪。
 色づいた唇。

 その気になれば、キス、できるな、俺。

 とにかく、美少年。
 何かに形容しようとする事さえ、憚られるほどだ。

 そして、優しそうな印象を与えながら、眼力が隠されている目元。


 ――――どこかで、見た事がある?


 俺の記憶のアンテナに、僅かに引っかかった。

 「・・・」

 俺と、ルビが見つめ合う事、多分ほんの数秒だったと思う。


 「何?」

 声に出したのは俺。

 「・・・どこかでお会いした事あったかなと、思いまして」

 その返答で、俺の心を代弁したのはルビだった。

 (同じような事思ってたのか? ・・・やっぱりどこかで会ってる? だが――――――)


 「・・・初めて、だと思うけどね」

 まったく覚えが無い。

 これだけの存在感だ。
 覚えていないなんてある筈はない。

 俺自身にも言い聞かせるように告げて、俺は笑った。

 「うん。多分初対面だ」

 「そう、ですよね?」

 ルビも笑う。
 やんわりとした笑みだったけれど、作り笑いだと、すぐに判った。

 樋口さんが吹き出すように声を上げる。

 「どこかで見たって、そりゃそうだ。うちの看板俳優だぞ。天城アキラ、知らないのか?」

 そのセリフには、ルビの唇が反射して僅かに動く。
 そんな、何かに気付いたような顔をしたのはほんの一瞬。

 「――――すみません。3ヶ月前にロサンゼルスから引っ越してきたばかりで。そういう事情にはまだ疎いんです」

 「ああ、そうなのか」

 力を抜くように樋口さんが言ったのを見て、俺は思わず苦笑した。
 デビュー当時から俺を育ててくれた樋口さんは、担当を外れて前線から退いた今でも、こんな風に子供自慢をしたがる可愛い一面がある。
 俺の事を知らない人間に、本当にがっかりした様子だった。


 それよりも。

 「お前、声、イイな」

 「え?」

 「声。脳に通る。官能的」

 俺はルビに素直に感想を告げた。

 ドア越しではなく、直に聞いたルビの声は不思議と鼓膜を刺激される。
 声変わりは終わっていると思う。
 少し低めの声に、囁くような優しいトーンが混じる、色気の隠れた声音。

 これで15歳。
 女の子にはかなり刺激的だろう。

 「スカウト、受けてみれば? 俳優に向いてそうだよ、お前」

 足を組み直しながら俺がそう言うと、ルビの目が驚いたように見開かれた。

 ―――と、思う。

 もし今、
 ルビが何かの感情を隠したいと思ったのなら、それは見事なポーカーフェイス。

 (こいつ―――)

 「僕・・・」

 ルビは目を細めた。

 男の俺でも、がっつりと目を奪われてしまうほどの綺麗な笑み。
 男なのに、思わずキスを貪りたくなるような唇の端を優しくあげて。

 「アキラさんの事好きだな」

 ルビは呟いた。

 「でも、そうですね―――」

 長い睫を一度伏せ、何かを紡ごうと再び顔を上げた時。


 〜♪


 誰かの携帯が鳴り始めた。
 ルビが腰に巻いたネルシャツのポケット部に触れる。
 最年長である樋口さんが

 「構わないよ」

 と告げると、ルビは「ありがとうございます」とスマホを取り出した。

 「追いついた? ・・・分かった。え? ・・・ああ、いいよ。かわって」

 スマホから漏れ聞こえる向こうの声が、男性から女性のものに変わった瞬間、

 「―――ケリ?」

 甘く囁かれたその紡ぎは、恐らくは電話の向こうの女性の名前。

 俺は、――――――否、
 多分、樋口さんや遠一も、"言葉を失った"と言い表しても過言じゃない。

 まだ続く電話に、愛想笑いではなく、愛しむように微笑んで応えているルビ。
 その、たった15歳の少年を包む空気は、まるで華やぐように紅く色づいていた。
 彼の存在自体が、まるで淡い薔薇色。


 「うん。―――僕も、愛してる」

 "愛してる"

 38年生きてきて、芸能界という一見派手な世界で恋愛をしてきた俺でも、滅多に使わないフレーズ。
 聞いているこっちが思わず赤面してしまう。

 "セリフ"以外でそれを言える日本人はそう多くないと思う。

 ああ、そういえばロスに住んでいたと言っていたか。

 いや、それにしてもこのルビの変貌には衝撃が半端ない。
 少しだけ、冷静さをもっていかれそうになった。


 「――――失礼しました」

 通話を終えたルビが、スマホをポケットに戻して僅かに会釈した。
 この時点で、発せられていた"紅"は生りを潜め、最初に見た時のような透明な色に戻っていた。


 「樋口さん」

 ルビがリードして口火を切る。

 「ここに連れてこられたお話の趣旨はわかりました。下に迎えが着ているので、今日はこれで・・・」

 「ルビ君!」

 立ちあがったルビの言葉を制し、樋口さんが弾かれたように声をあげた。

 「正式にスカウトしたいんだ。こちらに任せてくれれば何も心配は要らない。必ず売って見せるよ」

 本気モード突入。
 こんな樋口さんを見るのは久しぶりだ。

 「―――こうなった樋口さんはしつこいぜ? 俺の時は3週間、家の前で毎日粘られてお袋が折れた」

 俺が笑って告げてやると、

 「・・・困ったな」

 ルビは苦笑した。



 そして、一度は目を伏せて見せ、顔をあげる。


 ―――ああ、本当に"こいつ"は。

 「樋口さん。とにかく、即答ができる話ではないですし、僕なりに考えてみます、ね?」

 にっこりと笑って、ルビはドアに向かって歩き出した。
 相変わらずドアの横で腕組みをしながら立っていた遠一が、ルビがすれ違う瞬間に鼻で笑う。

 そんな状況の中、遠一に会釈もなく部屋を出て行ったルビに思わず感心した。
 キイン、と耳鳴りがするほどの沈黙の後、

 「――――――どう、思う?」

 樋口さんが尋ねてくる。
 俺は正直に応えた。

 「逸材」

 「だよな!?」

 興奮気味の樋口さん。
 これからの事を想像してか、目が強く輝いている。

 ため息をついて、俺は遠一を見た。
 そんな俺に、肩を竦めて樋口さんへと顎をしゃくって見せる。

 "お前が言ってやれよ"

 遠一のそんな表情。


 (冗談)

 俺は無視を決めて目を逸らした。

 樋口さんの期待を裏切るような予測で悪いが、あの15歳のルビの、言葉の選び方、間の取り方――――。

 あいつは、きっと"この世界"には興味がない。


 特に"俳優"には――――。


 なぜなら、彼は既に、

 "日常"で演技中。


 優しく、甘く、大人びて見える15歳。
 演技をする事で重ねてきた15年があいつの歴史だとするならば、そうやって生きてきた彼は、決断にそう時間をかけるはずもなく、この時点で断ったという事は、本当にそれが全ての答え。

 残念だけど樋口さん。

 (今回の出会いは、運命じゃなかったよ―――)

 興奮冷めやらぬ状態のままどこかしらに電話を始めた樋口さんに向かって、
 俺はまた、短く息をついた。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。