ルビが出て行ってからそう時間が経たない内に樋口さんの部屋から出てエントランスロビーに向かうと、受付カウンターに藤崎瞳の姿が探せなかった。 藤間もいない。 「―――?」 2人とも―――? うるさく言うつもりは無いが、仕事中にそういう事する奴か? と疑問が湧いた。 藤間の顔を思い出す。 ―――違和感ありすぎだな。 (何かあった?) 妙に納得がいかなくて、少し胸がざわついた。 そんな喧騒にざわついた状態でしばらく受付カウンターの前に立っていると、俺が出てきた廊下とは反対側、つまりエレベーターから右手の廊下から数人のスーツ姿の男達がドアを開けてこのロビーにやってきた。 その集団は、俺の姿を目にした途端に互いに合図を出し合い、揃えて頭を下げてくる。 どこかの企画会社の営業担当だった事を何となく思い出し、俺も一応会釈を返した。 エレベーターから左手側はジョニー企画のプライベートフィールドで、彼らが居た右手側はビジネス用のフィールド。 そして、 創り上げたシチュエーションをどう飾っていくか、結果に多大な影響を与える、重要な、大事な"材料"が俺達芸能人ってヤツだ。 華やかな部分と、それを支える影の部分。 このロビーに居るだけでも、芸能界の縮図はなんとなく見て感じ取れる。 エレベーターをチェックしやすいソファを選んで座りこみ、手持無沙汰に終焉をうてるように新聞を手にしたところで、口を押さえた藤間が姿を現した。 (一文字も読めなかったな) 何となく、理不尽に不機嫌になってしまう。 「この俺を待たせるとは、いい度胸だな」 「すみません」 エレベーターから一直線に駆け寄ってきて、藤間が頭を下げる。 「ちょっと、ありまして・・・」 いつもは、生真面目なくらい真っすぐ視線を合わせて会話する藤間の態度が、今は違っていた。 目が泳ぎ、俺と正面を合わせないように努めている。 そんな藤間の様子を観察している内に、 「お前――」 俺は藤間の唇の端の腫れに気付いた。 まだ痣になってはいないが、舐めれば鉄の味がしそうなほど、赤く熟れている。 「それ、どうした?」 「・・・」 藤間は、きゅ、と手の甲で口許を拭う。 そして下ろされたその甲に目をやると、乾いた血も見えた。 同じような仕草で血を何度か拭ったんだろう。 「藤間」 若干、力を込めて言葉を結ぶ。 藤間が観念したように口を開いた。 「さっきのヤツが、瞳に手を出したんで―――」 「手を出した?」 「・・・キスされたって」 「は?」 おいおい。 通り掛けに"なに"やってんだ、15歳・・・。 「―――で?」 「追いかけて、その・・・」 藤間の語尾が小さくなる。 俺は想定を口にしてみた。 「―――喧嘩になったのか?」 「いえ、ボディガードみたいな男に止められました」 「ボディガード?」 「多分―――。守っているような感じだったので、そうだと思います」 「ふーん」 ボディガードねぇ―――。 尚更、ルビに興味が湧いた。 一体何モンだ? 「あんな守られ方、普通じゃないと思ったんで、ムービーで」 「撮ったのか?」 藤間の言葉に、俺は興味が湧いた分強く反応した。 「見せて」 藤間が携帯を操作し、その動画が始まったタイミングで差し出してくる。 小さな画面の中に俺が全く知るはずもない"誰かの景色"が映る。 まるで映画を観ているようだ――――。 まずは、 歩き出すルビの後ろ姿。 その後をついて進むスーツの男。 先に見えるのはベンツ? シルバーの車体から、女の脚が覗いている。 ふと、その女の脚が動いた。 車内のシートから立ち上がったのだと思う。 しばらくは胸辺りまでしか収まっていなかったが、次第にアングルが変わり、全身が映った。 揺れる、毛先がカールした、黒い髪。 「!」 俺は、その女の顔が映った途端、体内から俺の側の時間がすべて止まったのかと錯覚した。 そんな真空状態の身体の内側に、最初に彼女を見つけた時と同じような力強い鼓動が響き巡る。 (縁が、――――あった?) 「樋口さんに、見せた方がいいですか?」 「・・・ああ、―――そうだな。今なら遠一も一緒に部屋に居るよ」 携帯を返しながら適当に答えた俺に、藤間は「行ってきます」と告げて足早に進んで行く。 そんな彼を視界の端で見送って、 「楽しくなりそうだ」 俺はクスリと笑った。 事務所がルビに関わるなら、そう遠くないうちに近づけるのかもしれない。 そんな期待はもちろん本音だ。 目を閉じると、リプレイのように鮮明に蘇る彼女の姿。 揺れる黒髪。 凛とした姿勢。 恍惚と俺を誘った緑色の空気。 俺の印象では、たぶん30歳くらいだと思う。 これから俺達が出会うとして、それは俺にとっては3度目の事で、けれど彼女にとっては初めてのインプレッション。 欲を出せば、できれば"必然"に出会いたい。 ちょっとした歯車のかみ合わせの結果で、それが運命だったかのように。 そしてその時は、この胸に湧き上がってくる自分でも理解できないほどの独占欲を言葉にして、彼女にそのまま伝えてみよう。 あとは、彼女が誰のモノでもない事を祈るだけ――――。 いや。 もし誰かのモノだったとしても、 奪い取るくらいの衝動が俺に生まれたとして、俺はそれを自制する必要があるかのか? 出会った結果、彼女が俺を選んだとしたら、現時点で誰のモノであろうとも、大した問題じゃない。 俺にしては短絡的な答だと思った。 けれど、そう強く決意を定めると、妙な拘りが一切なくなった。 頭ではなく、感情で物事を受け止めたのは、これが初めてだと思う。 そう。 完全に自覚だ。 自分でも呆れる程に湧き出る欲望。 姿しか知らないその女性に、俺は間違いなく、 恋をしていた―――。 |