ホストクラブ まだ陽が高いうちに、夜を舞台とするこの手の店を訪れる事は、関係者以外あまり経験できないと思う。 いや、 それよりも、意外すぎる外観にまず驚かされた。 茶色のクレイペイントで重厚な木のドアを中心に作られたその店は、ホストクラブという看板がなければ、ドイツ料理店、それに倣ったオシャレなカフェとも見て取れそうだ。 「1Fと2Fはクラブで、最上階にはVIP会員しか入れないレストランがあるらしいですよ。長い間買い手がつかずに放置されていたビルを、1年前にこのクラブのオーナーが買い取って、全面改装したんだそうです」 「・・・へえ」 藤間の説明に、俺はただ感心する。 この時代、水商売で採算とるのは大変だろうと想像は容易い。 俺が何気なくビルを見上げた事に反応した藤間は、追加で説明を入れてきた。 「商業用の1F、2F、7F以外はスタッフの寮だそうですよ」 (おいおい・・・) 表情には出さなかったが、はっきり言って呆れた。 他人事ながら、心配になる。 初期投資かかりすぎだろ? 採算度外視にも程がある。 なんとも言えない気分でビルを眺めている内に、次々とやってくるスタッフのものと思しき車が近くのコインパーキングを埋めていく。 「おはようございま〜す」 そこから徒歩で機材を抱えて到着したスタッフ達がすれ違う度に挨拶をしてきた。 今は昼色をした、夜の看板が立ち並ぶ繁華街に俺の世界の一部が溌剌と闊歩している情景が珍しい。 「アキラさーん。店内の照明具合確認してからメイクしましょうね」 「了解」 このドラマのメイクアップも担当している、長年馴染みの深いアーティストに頷いて応えた。 芸能界にこうも長く居座ると、どこの撮影隊にも必ず顔見知りがいたりする。 こんな風に、自分が見ている世界が新しいものを取り込んでいく感じは、恋愛の喜びに似ているのかもしれない。 例えば、 自分のためだったネイルカラーが、俺の好みに染まる時。 頑なだったグロスの唇が、俺好みのマットな口紅をつけるようになった時。 ・・・ "彼女"の唇は、どっちだろう――――? 「天城さん」 夢想の世界から呼び戻されて振り向くと、一人の女性が立っていた。 陣野あかり。 業界内をはじめ、一般にも、新鋭の鬼才と称されて広く知られている若手監督。 彼女が撮る世界は、いつも夜の帳の向こう側。 女性ならではの視点で夜の世界を撮り続けてきた、変わりダネ。 24歳ときいているが、もっと上にも見える。 耳下で切りそろえられた黒髪は、所々絡まりながらも揺れ動いて、ここまで見事だとそれは本当に個性だと思う。 "夜の世界" そうは言っても視点は様々だ。 ホスト、ホステス、やくざ。 ノンフィクションでクスリの事もテーマにしてた。 "普通の光"を求める場所に、あえてスポットをあてている。 "暗い世界"をファインダー越しに見つめている。 「監督」 「いいですね〜ここ。期待できそう」 両手でファインダーを作って、そこを覗くようにして言葉を紡ぐ。 「?」 俺は首を傾げた。 「今日のロケ替え、監督の希望なんですよね?」 「え? まさか! わたし初めてですよ。ここはジョニー企画さんからの推薦、ですよね?」 最後は藤間に向けての確認のセリフ。 「え、ええ。・・・まあ」 「――――は?」 曖昧に頷く藤間に、俺は鋭く目線を向けた。 どういうことだ? 声には出さず、目で尋ねる。 「あ、ちょ、その機材高いんだよ。気をつけてよ〜。それじゃあ天城さん、後ほどよろしく」 陣野監督は早口の舌足らずでそう言いつつ、運搬中のスタッフへと駆け出して行く。 それを最後まで見送る余裕もないまま、俺は藤間を睨みつけた。 「どういう事だ? 現場に事務所が口を出すなんて」 俺の不穏なオーラが伝わったのか、藤間は観念してため息と共に口を開いた。 「アキラさん、実は、樋口さんから―――」 藤間の唇がそう動くのを、俺は確かに見た。 ちゃんと、見ていた。 けれど次の瞬間、 「!」 雷に打たれたように、俺は身体を硬直させる。 まるで時間が止まったかのように、周囲の音も全て空高く吸い上げられ、 藤間の向こう、 停まったシルバーのベンツから足を揃えて降り立った人物に目を奪われているうちに、視界にいたはずの藤間の存在すらも、完全に消え失せてしまっていた。 それは本当に突然の事で、俺は、頭が願望でおかしくなってしまったのかと本気で現実を疑ったくらいだ。 助手席から出てドアを開けたロングヘアの男に手を差し出され、その手を取ると、躊躇することなく後部席から出てきた"彼女" エスコートに身を任せ、真新しいヒールを何度か小さく鳴らしてから、真っすぐに立つ。 綺麗な背筋。 黒のハーフコートが、綺麗な肌色と紅い唇を協調させる。 動きに、仕草に、時間が止まる――――。 柔らかく差し込む太陽の光を映した豊かたな黒髪が、時折、緑色を帯びて輝いていた。 最初に見た彼女のあの煌めきは見間違いじゃなかったと実感する。 長髪の男が陣野監督と話を始めると、運転席から回ってきた男が彼女の腰に手を当てるようにして、耳元で何かを囁いた。 親密な雰囲気の2人。 ぞわりとした感情が、自分の中に生まれるのが分かる。 (触るな) 思考に陰を落とす独占欲―――。 信じられない。 こんな感情、俺じゃないみたいだ。 自嘲して、けれどそんな新しい自分を面白いとも思う。 客観的に見て、こんな俺はどんな風に他人に映るのだろうと考える。 職業病、―――だろうか? 彼女は、カールした毛の先を指で弄びながら、ゆっくりとした所作で現場を見渡していた。 視線がクルクルと動く。 怖いくらい、自分の鼓動が体中に鳴り響く。 ふと、彼女の隣の男と目が合った。 一瞬のようで長い視線交差の後、そいつはまた、彼女の耳元に顔を寄せる。 何かを告げ、 そして―――――― 俺は、胸の奥に強くて切ない痛みを感じた。 彼女が、『初めて自分の事を見た』と、そう考えた瞬間の事だった。 |