片瀬君から連絡をもらって30分。 熱いシャワーを素早く浴びて、軽くお化粧。 時間をかけないメイクの時、私は必ず唇にはグロスをのせる。 手は抜いてないと自分に言い訳するためかもしれない。 急いでいる時の洋服は、何も考えずにお気に入りのセットパターンから先に目についたものを手に取るようにしていて、今日は、ヴァイオレットのブラウスと、光沢がある黒のラップスカートを選択。 黒のコートを羽織った。 アクセサリーはオリエンタルな大振りのもの。 ヌードベージュのストッキングに、バングルのついた黒のパンプスを履いて。 「いい天気」 外に出ると、ひんやりとした空気が身体を包む。 日本の冬の空は、そういえばこんなに低かったんだなって思い出す。 時々差し込む太陽の光が、心の隙間を温めくれる。 冬は好き。 冬の思い出は、幸せに思い出せるものばかりだから・・・。 ―――――― ―――― ウェインが運転するベンツは片瀬君の住むマンションへ向かっていた。 20畳の1LDKは白の壁が美しい部屋で、プロジェクターを使って壁一面に海の中の映像を映し出していて青色に染められ、まるで水族館に住んでいるようなライフスタイルを営んでいる。 あまりにも素敵なヒーリングルームで、訪れると思わず長居をしてしまうのが玉に瑕。 「ケリ、片瀬です」 ウェインがブレーキを踏みながらそう言ってきた。 フロントガラスの向こう、マンションの前の花壇に座っていた片瀬君が車の近づく気配に顔をあげ、この車を認識すると、スッと立ちあがった。 長身だけど、綺麗な筋肉がついている感じで、がっしりというほどの体系じゃない。 ウェーブがかかった長髪をサイドに三つ編みでまとめ、グレーのスーツ姿がとてもセクシーな彼は、ギリシャ彫刻のようにくっきりとした目鼻立ちをしていて、女の子にもとてももてる。 でも、生まれてからたった一度しか"彼女"を作った事がない。 二度目の恋からは、自分が"彼女"役になったから。 つまり、彼は"ゲイ"で、ネコさんということ。 「ケリ、おはようございます。早速ですが、これがFAXで送られてきた企画書です」 乗り込んだ途端、片瀬君は肩越しに数枚の紙を渡してきた。 「ありがと」 受け取って、黙読。 使用範囲は店内。 シーンは回想。 主人公が、夜の世界に染まる切っ掛けとなったホストクラブ。 そして、今は亡き先輩ホストに想いを馳せるシーン。 「ブースは外に設置するそうで、店内備品の移動は不要だそうです。特機も無し」 それなら負担は少ない。 企画書のページをめくる。 キャストは、と――――。 「・・・」 (あれ?) 日本語が目に入っても反応できずにいた私に、片瀬君がくすくすと笑いながら説明をくれた。 「主役は、別のTV局で時代劇の主役をはって人気を博した若手注目株ですよ」 「ふふ。ありがと」 日本にきてまだ日が浅いから、名前を見てもどういうプレーヤーか、どんな顔かすらわからない。 もちろん、15年くらい前までの有名な俳優さんは少し知ってるけれど、もともとテレビとか見なかったし、 ・・・だめだ。 誰ひとり、わかりません。 「―――ああ!」 片瀬君が思い出したように言った。 「その企画書はドラマ全体のものですが、今回の撮影は特別出演のキャストが対象となるシーンだそうです」 「そうなの?」 「ええ。ケリも知ってるかもしれませんよ」 「昔からいる人?」 「子役、というほどでもないですが、――――確か中学生くらいから活動してたと思います」 記憶を探る片瀬君の言葉を、 「へえ・・・」 聞き半分、流し半分。 ほとんど上の空で返事をしながら、企画書の3ページ目に進む。 ドラマのあらすじがおおまかに書かれていた。 ホストで成りあがっていく主人公。 全体のコンセプトとして、 そして、 "陣野あかり" 彼女の作品は見た事があった。 まだ学生のころに撮ったというノンフィクション作品がオスカーにノミネートされた時、業界内ではちょっとした話題になったから私も誘われるまま上映会に参加して、彼女の世界に触れた。 モノクロの世界観で、人が見る光のことを、映像のアングルで見事に表現していた。 (フィルムだけだと思ってけど、ドラマとかも、するのね・・・) お金が絡むと理想の事だけをできるわけじゃない世界。 寂しいけれど、業界の現実だったりする。 「――――誰?」 少し間はあったけど、片瀬君に反応を返した。 ロケにやってくる特別出演の俳優さんの名前は誰ですか? という質問。 「天城アキラです」 (アマギアキラ・・・) 聞いた事ある。 しかもごく最近。 どこで――――? 「へえ」 反応したのはウェインだった。 企画書から目を離し、 「なに?」 私はバックミラーの中のウェインを見る。 彼は、まるで義務であるかのように躊躇せず答えた。 「まだ非公開ですが、彼は新年度からの"Stella"のイメージキャラクターの最終候補に残ってます。起用はほぼ確定事項で、たしか契約と発表のために、数日中にはCEOの来日が予定されていたはずです」 「エリカが!?」 私は思わず声をあげた。 中学の頃から親友の樫崎エリカ。 途中、仕事の関係でエリカが中国にいた数年間を除いて、ほとんどロスで一緒。 美人で、男前で。 大好きな大好きな親友。 嬉しい! 何ヶ月振りだろう。 浮き上がる心を押さえながら、私は片瀬君に企画書を返した。 「そこに記載の内容については、直接確認するけど、実際の撮影現場には責任をもって監督してね。意味のない暴力シーンとか、レイプシーン。まあ、つまり、私の気分を傷つける内容じゃなければ構わないから」 「わかりました」 肩越しでにこやかに、けれどしっかりと頷いた片瀬君。 よし。 これでこの一件はおおよそ終わり。 後はエリカを待つばかり? そんな事を悪戯っぽく考えているうちに、私達の車は 14時に少し前。 スタッフが揃い始めているという感じ。 無数のケーブルを配線したり、機材をチェックしたり、現場の雰囲気が醸し出され、遠巻きに見物客も集まってきていた。 「ケリ」 後部席のドアを開けて、片瀬君が手を差し伸べてくれる。 「ありがと」 男の人にしては柔らかい指先で掴んで、私は車から降り立った。 陽があるうちに見るのは久しぶりだった。 1年前に買い取りを決めた時と、改装の仕上がりを半年前に見に来た時。 ほかは写真と動画のやりとりだけで確認して、すべて片瀬君に任せていた。 このビルには利益は求めていない。 もちろん、損がないのには越したことはないけれど、ここは"シンボル"として私が片瀬君達に提供したもの。 所有は私だけど、"彼ら"のための場所だというのがポイント。 ふと、一人の若い女性がゆっくりとやってくるのが視界に入った。 「 陣野と名乗った彼女は、ぺこりと一礼して笑った。 髪はぼさぼさで、トレーナーの重ね着とデニム。 驚くほど、自分の外見に無頓着そうな女性だ。 でも、肌のキメはとても細やかで綺麗だった。 寝不足なのか、涙袋の周りにちょっとだけ"くすみ"が見えたけど、 触りたい―――。 私の触手が何かを感じている。 この女性の肌に隅々まで触れたら、どんな風になるのだろう――――。 「陣野さんですか? 片瀬です」 「急なお願いに、今日はありがとうございました」 「いいえ。光栄ですよ。まあ、次回はもう少し早めにお願いしたいものですが」 にこやかに対応して、 「こちらがオーナーで」 片瀬君が視線を向けると、陣野さんの目線もつられたように私にやってきた。 私はハッと願望の世界から戻ってくる。 「はじめまして。ケリ・Mです」 私は、自分で名乗って手を差し出した。 すかさず交わされる握手。 柔らかい掌。 ネイルが似合いそうな長い指。 指の節に感じるペンダコ。 手の甲は、抜けるように真っ白。 でも、 温もりがある手――――。 「企画書は拝見しました。撮影中は片瀬がエスコートさせていだきますわ。大事なお店です。ぜひ、素敵に使ってくださいね」 「もちろんです! それじゃあ、さっそくですが、店内を見せてもらってもいいですか?」 その要望に、キーケースから鍵を取り出した片瀬君が「それじゃあ」と私に合図してから歩き出す。 それを見送るでもなく見ていた私の隣に、ウェインが並んで立った。 私の腰にそっと手を当てて、耳元に顔を近づけてくる。 知らない人が見たら愛を囁いているように見えるらしいこの動作は、内緒話をしたい時の彼の仕草。 「ケリ。確認が取れました。やはり天城アキラに決定していて、所属事務所とも仮契約がWEB会議で交わされたそうです」 報告を聞きながら、毛先をくるくると指で弄ぶ。 活気良く準備が進んでいく現場の雰囲気。 ――――楽しそう。 思わず顔が綻ぶ。 ハリウッドの撮影所も、厳しい雰囲気は否めないけれど、一体感はゾクゾクするほど心地よかった。 「ルビに、連絡しますか?」 「ん―――、あとでメールする」 「わかりました。・・・――――ケリ」 「なに?」 一度離れたウェインの口元が、また私に近づいた。 「天城アキラです」 「え――――?」 私は、ゆっくりと顔をあげた。 「――――」 驚いた。 綺麗な男の人は見慣れているつもり。 美形ならなおさら、どんなタイプでも、人間離れしすぎた美しさにはあまり魅力を感じなかった。 でも、彼は――――。 天城アキラは。 整った顔立ちはもちろん、 漆黒の濡れたような髪が綺麗で、 前髪から覗く瞳が月を持った夜空のように藍色で、 セックスアピールが強いような気がするのに、 清潔感があって、存在に浮遊感がない。 彼の長身を囲う、その透明な空気がとても綺麗・・・。 これは・・・ホストの役作りで醸し出している雰囲気? それとも、天城アキラ自身? どちらにしても、こんなに魅力に溢れた男性を見るのはとても久しぶりだ―――。 こんな男性を見て、胸が高鳴らない女性はいないはず。 心音に飲み込まれそうになる。 「こんにちは」 歩きながらそう声をかけてきて、天城アキラは私の目の前に立った。 ほんの少し顎を下げて、まるで合図のような会釈。 所作が綺麗。 ウォーキングも訓練している。 ――――プロだ。 なぜか、嬉しさがこみあげてきて、胸がいっぱいになる。 「こんにちは」 私が応えると、彼の眼差しは驚くほどに切なくて甘い光を宿し、その口元がふわりと微笑みを象った。 放出されたように感じる彼のフェロモンが"柑橘系"だと思ったのは、私の心が擽られたからかもしれない。 不思議な人・・・ それが、初めて彼を見た私に齎された印象だった。 |