小説:ColorChange


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まずは始めてみませんか?
《 Acting.by アキラ 》


 ホテルのロビー。
 俺はあからさまに短い息をつきながら、音を立てて足を組みかえた。

 サングラスで隠していても、俺の機嫌の悪さは誰が見ても気付くだろう。
 背後に立つ藤間が大きくため息をついてくる。

 「アキラさん。いい加減にしてください。ファンが見てますよ」

 「知るか。16時には一旦上がれるスケジュールだったろ」

 大人げない悪態。

 藤間に当たっても仕方がない事は分かっている。

 だけど今日だけは、
 この空き時間のタイミングでどうしてもケリの元に行きたかった。


 「仕方ありませんよ。樋口さん直々にこのホテルのロビーに来るように言われたんです。業務命令ですよ?」

 舌を打ちたくなる。
 返事をしない俺に、藤間は話を続けた。

 「樋口さんも少し焦った感じだったので、かなり大きい方の関連だと思います」

 「―――分かってるよ」

 それでも、悪態をつきたい気分なんだから仕方ない。
 ジョニー企画の俳優という立場がなければ、本当は何よりも、ケリを優先したい想いでいっぱいだった。

 今、大きい仕事と区分されるのは来年クランクイン予定の映画と、

 ―――そうか、"Stella"もある。

 Web会議でおおよその締結は決まっているらしいが、本契約は先方のCEOの来日を待って、予定は明後日となっていた。



 「あ、アキラさん、来ました。樋口さんです」

 藤間に言われてホテルの入り口に目をやる。
 こちらへと一直線に歩いてくる2人の姿。
 いつも通りの樋口さんと、珍しくまともなスーツ姿の遠一だった。



 「おつかれさまです」

 一応、無視はせずに挨拶はしておく。
 ただし、ひじ掛けに頬杖をついていた体勢を見直したりはしない。
 子供染みているが、不本意アピールだ。

 まあ、長年の付き合いの家族のようなものだから、ちゃんとボーダーラインは見極めているつもりだ。
 俺の状況は、結局藤間から聞いているのか、樋口さんは意味あり気に笑っていた。

 「アキラ、悪かったな」

 「―――いいえ」

 「実は明後日予定していた例の契約をこれから結ぶ事になった。先方が別件で日本にいるらしくてな。こちらの都合が良ければどうかと言われたんで、社長と相談のうえ、受けることにした」

 明後日というフレーズで、これから"Stella"との本契約が行われる事を確認する。

 優先順位がトップにきても仕方ないか――――。


 「―――わかりました」

 返事をした俺の隣に、

 「アキラ」

 遠一がどかっと座りこんだ。
 樋口さんは誰かと携帯で話し始めている。

 背もたれに二の腕をつけて、遠一が覗き込むように尋ねてきた。
 地味目な灰色ストライプのスーツを着ていても、動作でしっかりと遠一らしさが出ているから不思議だ。

 「スケジュールを気にするなんて久しぶりじゃないの。そんなにいい女なのか? 実業家ちゃんは」

 「遠一・・・」

 ため息交じりに、怨みがましく視線を返した俺に、

 「へぇ―――」

 遠一が目を丸くした。

 「―――なんだ?」

 見透かしたような態度に、今日の俺は途轍もなく甘えて反抗的だ。

 「お前のそんな顔、マジで久しぶりだな」

 「黙ってろ」

 「しかもいつになく真剣。・・・ククク、OK! OK! オレに任せとけ。スケジュール、ばっちり調整つけてやるよ。いや〜、腕が鳴るね〜」

 俺の背中をバシバシと叩きながら、ニヤニヤが止まらない様子の遠一。
 けれどこいつが宣言したからにはオフを獲得できるのは間違いない。

 「―――遠一、できれば今夜の分から調整できないか?」

 ふと、一縷の望みに近い俺の願いに、遠一はあっさりと頷いた。

 「それは済んでるよ。藤間からちょっと聞いてたからな。これが終われば明日までフリーだ。あいつも読めるようになってきただろ? そのかわり週末がシャレになんないけどな」

 逃げんなよ?
 と、したり顔で念を押してくる。


 「サンキュ。覚悟しとく」

 機嫌を直した事を僅かに緩めた頬で伝え、俺はソファに身体を預けた。
 オフを中心に調整すると、オン時が謀殺的な刻みスケジュールになるのはいつもの事だ。
 あとは、俺が倒れないように調整すればいいだけの話。


 「時間だ。行くぞ」

 通話を終えた樋口さんが顎をしゃくる。

 歩き出した俺達とすれ違う客が、チラチラと視線を向けてくる。
 それを無視しながらエレベーター前にたどり着いた。

 「スイートルームにご招待だとよ。アメリカ企業さんは豪勢でいいね〜」

 遠一の軽口をBGMに、俺は何気なく、あとにしたロビーを振り返った。


 「アキラどうした? エレベーター来たぞ」

 「あ、――――ああ」


 一瞬、ロビーの向こうで目を奪われたシルエット。

 (ルビ・・・?)

 ―――まさか、な。


 後ろ髪は引かれたが、俺はそのまま遠一の後に続いた。



 ――――――
 ――――

 書類の積みあがった大理石のダイニングテーブルを挟んで、両陣営は同じ書面二部ずつに、代わる代わる署名や捺印を実行していた。

 "Stella"側が運び込んだらしいプロジェクターでウォールスクリーンに映し出されているのは、

 右側は"ジョニー企画"のロゴ
 左側は、ジュエリーブランド"Stella"のロゴ

 仰々しいのか、遊び心なのか。

 まあ、ドラマで演ったことがあるサラリーマンがプレゼンするシーンでも、似たようなセットがあったから、もしかすると一般的な事なのかもしれない。
 ジョニー企画側の末席に座る俺は、そんな事を考えながら小さくため息をついた。
 こんな事を思考するのは、はっきり言って暇だからだ。
 アメリカ企業との契約には、契約書へのサインだけでペンを一本つぶすってのは噂ではないらしく、契約書の読み合わせと合意だけで、通訳を介してということもあるのだろうが、既に2時間は経過していた。

 時刻は18時。
 取引商品である俺は、ただ座って待つだけ。

 残りの資料を、あとどれくらいなのか、周囲に悟られないように確認したのは何回目だろう。

 (ケリ――――)


 これがなければ今頃はとっくにプライベートの時間で、もしかすると、すでに彼女の手を取っていられたかもしれない―――。


 彼女の事を思うたび、最後に見た顔が浮かんでくる。
 涙こそ流れていなかったが、あの怒りで揺れた瞳の奥は、証拠なんか必要がないくらい悲しみに彩られていた。

 結ばれた後の今朝のひと時が甘かった分、あの表情には殴られた気分だった。

 (まずは誤解を解かないとな・・・)

 どう説明をしたものかと考えを巡らせながら、ふと顔をあげると、"Stella"側の筆頭に座っていた CEO 最高経営責任者 の樫崎さんと目があった。

 ショートカットが良く似合う、赤い口紅が印象的な女だ。
 流暢な英語と日本語を使い、この契約会議の意思疎通をリードしているのは間違いなく彼女だった。

 その赤い唇が、ふと、笑みを象る。

 「?」

 その笑顔に不可解さを感じた。
 それは、俺が今までに見てきたような誘惑や会釈、どちらにも属さない気がしたからだ。

 この状況で疑問を投げられるわけもなく、ただただ座って事が進むのを待っていると、

 「パーフェクト!」

 樫崎さんの隣に座る黒人の弁護士が書類を確認しながら何度か頷いて、ジョニー企画側の弁護士と握手を交わした。
 両サイドの通訳も、ホッと肩を撫でおろしている。
 やっと終わったらしい。


 「これで契約は完了ですわ。天城さん。これからよろしくお願いしますね」

 突然、樫崎さんが俺に矛先を向けてきた。

 「―――どうも」

 なぜか、言葉とは裏腹のニュアンスが感じられる女だ。

 俺の視線は、もしかしたらそんな疑念を伝えていたのかもしれない。
 彼女は何かを含んだようにクスリと笑った。


 その時。

 「エリカ、終わった?」

 続き部屋のドアが無造作に開かれて、俺の知っている声が響いた。
 突然の事に、ここに居る誰もが一斉に顔を向ける。

 聞き覚えのある、少し低めの、やけに耳に残る甘いこの声・・・。

 「ルビ――――?」

 俺はポツリとその名を呼んだ。


 薄茶の髪を後ろに流すようにセットして、トパーズの瞳の美しさを伊達眼鏡の向こうに隠し、シルバーに黒の細いストライプが入ったスーツベストを着こなして、背後に1人の男を従えてそこに立っていたのは、間違いなく、

 本宮ルビ、だった―――。


 「ええ」

 樫崎さんが頷いて綴る。

 「全て終わりました。――――社長」


 社長?

 少なからず驚いた俺。
 呆気に取られている樋口さんと、対照的な藤間の厳しい目線。
 遠一だけが、なぜか愉快そうだった。

 「Goodjob,Everyone」

 微笑んで、ルビはネイティブな発音で"Stella"サイドを労いながら樫崎さんの方へ歩みを進める。
 光の片鱗を残すような軽やかなその所作に、思わず俺も見惚れてしまった。

 「ルビ、君?」

 樋口さんから、訝しさを全面に押し出した呼びかけがされる。

 当のルビは、樫崎さんが立ちあがって譲ってくれた席に、両サイドのひじ掛けを使ってゆったりと腰かけていた。
 ウエストの前で指を組んで、樋口さんに「何か?」と返事をする彼は、15歳の少年とは思えないほどの異様な風格があり、美しかった。

 「――――信じられないな。その若さで、Stellaの社長とは、一体」

 ジョニー企画側の誰もが思っていた疑問を、樋口さんが慎重に口にする。
 樫崎さんと、ルビの背後に控えた男は黙って目を閉じて、ルビは創り上げた笑みで答えを綴った。

 「子供の頃から企業の足し算引き算が得意で、いつの間にか足元にコングロマリットが出来上がっていたというだけです。アメリカでは珍しい事ではないですよ」

 「―――私達は、あなたとの個人契約は諦めざるを得ないと言う事、ですね・・・?」

 スカウトの件を窺うように尋ねる樋口さんに、ルビは一瞬で真顔になり、トパーズの目線を凍らせた。

 「そういう事ですから、つまらない小細工で僕のプライベートに関わる事は、今後一切無いように注意してください」


 !?

 豹変したルビのその態度に、俺の勘がザワリと働いた。
 案の定、俺を射るような視線で捕えてくるルビ。

 「―――まあ、契約内容に盛り込んだ通り、あなたは"Stella"の宣伝に従事するにあたり、世間に公示されてから1年間は、あらゆる女性スキャンダルを避けなければいけませんから、僕の"心配"はもう不要だと思いますけど」


 ピクリ、と遠一の指が動いた。
 藤間が気遣わしげに俺の方を向いてくる。

 「どういう、意味だ?」

 刻むように俺が聞き返すと、ルビが「エリカ」と促した。

 「はい、社長」

 頷いて、樫崎さんが俺を見る。
 さっきまでとは打って変わって笑みはなく、一直線に結ばれた赤い唇。

 「契約書をご覧ください。肖像権に関する第12章6項目。"Stella"のイメージキャラクターとして、向こう1年間、"当社"がダメージを受けたと判断する女性スキャンダルについて該当があった場合は契約履行義務を解消する権利を有す」

 当社が、

 つまりは"ルビ"が――――。

 それは、ケリに近づけばこの仕事を失うという、契約の名を借りた交換条件。

 「なんだそりゃ。"Stella"の仕事をさせてやる代わりに、"オレの女に近づくな"ってか?」

 遠一が乾いた笑いと一緒に、吐くように言った。
 ルビは笑う。

 「まさか。僕はただ、日頃の行動がその項目に抵触する可能性を懸念しているだけですよ」

 「―――なるほどね」

 俺も、思わずそう呟いて笑っていた。

 そんな俺を見て、ルビは満足気に目を細める。
 意思の疎通があったと思ったらしい。


 くだらない。

 本気で、ばかばかしい。



 「――――樋口さん」


 別に、考えるまでもない。

 「俺は、この仕事下りるよ」

 興醒めした気分でさらりと呟いた俺に、ここにいる誰もが一心に見つめてきた。


 「・・・は?」

 先ずは遠一の声が返った。

 「アキラ!? 馬鹿を言うな!」

 次に来たのは、立ち上がった樋口さん。

 「契約はさっき成立してるんだ! 違約金に一体いくらかかると思ってるんだ!!」

 荒げた声が、上品なスイートルームに響き渡る。
 それに相反するようなエリカの冷静な声が、透かさず告げてきた。

 「第3章2項目。一方的な都合による契約破棄の場合は、こちらが3年間で支払う予定だった提携報奨金の約40%。日本円で、約2億円です」

 「それだけじゃない! 裁判になれば更に10億は必要だ!」

 肩で息をする樋口さんの必死な形相に、


 「俺が払う」

 投げ捨てるように口にした途端、一気に場が沈黙した。


 ルビは俺を凝視して、
 樫崎さんの赤い唇は開かれたままで、

 通訳されていない"Stella"側の他スタッフだけが、この状況を理解できずに挙動不審に目を泳がせている。

 というか、なぜ"Stella"側がこんなに驚いているのか、俺は理解できなかった。

 どちらかに転ぶ条件だ。
 こういう答えも想定済みのはずだ。


 「――――アキラくん?」

 遠一が呆れたように気色悪く呼び掛ける。

 「本気で、こんなんで25年踏ん張ってきた私財、投げる気?」

 敢えて確認され、俺は椅子の背もたれに完全に身を預け、指を組んだ。

 「株、マンション、土地、残らず金に変えれば現金と合わせて20億はあるはずだ。全部事務所の名義にして構わない。――――樋口さん、それならいいだろ?」

 「お前、――――」

 何かを言いたそうにしながらも、樋口さんは力尽きたように座りこむ。

 ククク、と。
 遠一がいつもの笑い方で肩を揺らしていた。

 「アキラ、お前にここまで言わせるなんて、いったいどんな女だよ」


 「ん? ――――いや」

 少し考えてみる。

 もちろん、俺のプライオリティは今だって仕事にある。

 けれど、これまでの恋の相手とは決定的に違う事。
 それは、どんな優先事項の前にも、ケリが一度選択肢に並んで立ってしまうと言う事。

 今までは決してなかった事だ。
 それだけでも、俺にとっては本当に、彼女は"特別"と言える存在なんだろう。


 「そうだな・・・」

 ケリがどんな女か。
 初めて出会ってからこれまでの、俺の記憶に刻まれたそんなに多くない彼女の姿を1シーンずつ思い出して、俺は笑った。


 「別に、多分、―――普通の女だよ」


 そして今は、俺にとって何よりも、

 大事にしたい女なんだ―――――。








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