小説:ColorChange


<ColorChange 目次へ>


まずは始めてみませんか?
《 Special-Act.by トーマ 》


 部屋を出たルビは、絨毯が敷かれた廊下をエレベーターホールに向かって一目散に歩いていた。
 いつもは滑るように優雅に歩くから、この歩調だけでルビが普段と違っている事が良く分かる。

 「ルビ」

 僕が声をかけても振り向きもせず、ルビは1台のエレベーターの前で立ち止り、呼び戻しボタンを押した。

 「待ってください、ルビ」

 「なに? 後はエリカに任せたって伝えたよね?」

 全霊で、僕が構う事を拒否しているように感じられる。


 「――――ウェインを呼びますか?」

 ケリから依頼され、傍についてまだ日が浅い僕よりも、付き合いが長いもう一人のボディガードの方が今のルビには必要かも知れない。

 そう考えて提案したが、

 「冗談でしょ?」

 ピシャリと空気が冷え切った。

 「今あいつを見たら、本当に殺しちゃうよ。――――トーマこそ」

 ここで言葉を切って、ルビはやっと僕の方を振り向いた。
 柔らかな微笑みを作って見せる。

 「ケリの傍に行った方がいいんじゃない? というか、行きたいでしょ?」

 「ルビ―――」

 「僕は適当に帰るからいい」

 「ですが」

 「何度も言わせないで」

 「―――わかりました」

 ルビの好意に、僕は素直に頷いた。
 エレベーターに乗り込み、壁に凭れるようにして腕を組むルビ。
 扉が閉まる直前に、僅かに指を上げて余裕を伝えているけれど―――、

 僕は携帯を取り出して、発信した。

 「ウェイン? 今ルビがホテルを出ます。―――ええ。僕では彼の心を支えるのは無理ですよ。まだ本当の笑顔すら、見た事がないのに」

 電話の向こうのウェインに自嘲を聞かせてやる。


 ルビはいつでも完璧な作り笑い。
 どんな時も、いまのような去り際でも、決して隙を見せてはくれない。

 寂しいけれど、彼にとって僕はまだ、弱い部分を見せられる領域の人間ではないのだ。

 「僕はケリの傍に行きますから。それじゃ」

 半ば強制的に通話を終え、僕は改めてエレベーターのボタンを押した。


 ――――そう。

 どんなに泣きそうになっていても、ルビは僕の前では綺麗に笑う―――。


 だから、慰める事は出来ないんだ・・・。



 エレベーターに乗り込む寸前に、ブブ、ブブと携帯が震えた。
 表示を見ると、僕にとって一番暖かい名前が表示されている。

 「はい。―――ケリ、今どこですか?」

 『トーマ? 今、エリカの滞在しているホテルに居るの』

 泣いている様子は無かった事にとりあえずホッとする。
 いや、まだ泣けていないだけなのかも知れないが、このホテル内にいるらしい。


 「ウェインは?」

 もうケリの傍から離れたのだろうか?


 『ここまで送ってもらったんだけど、もう戻らせたわ。――――少し、あなたと話したくて』

 「何号室ですか? 同じホテルにいるのですぐに向かいます」

 エレベーターへと身体を移し、僕は告げられた部屋番号のフロアを選択して押した。

 告げられていたNoの部屋のチャイムが鳴ったと同時に、その瀟洒なドアは開かれた。

 「ケリ」

 僕が呼ぶと、彼女は息を漏らすように目を細める。
 不安気な漆黒の眼差しが揺れて、僕にギュッと抱きついてきた。

 「トーマ・・・」

 骨を軋ませるように一頻力を込め終えると、すっきりしたような顔で僕から離れていく。

 「ごめんなさい、ありがとう」

 「いいえ」

 僕はクスリと笑う。

 ケリの今夜の格好は、黒のパンツスーツにインナーのシフォンブラウスが胸元で愛らしく膨らむフェミニンさを加えたスタイル。
 手首と耳元を飾る上質な細工のヴァングルとそのピアスの大きさは、ケリの持つオリエンタルな魅力を存分に引き出すアクセサリーだった。

 ネイルが、数日前に会った時と違っている。
 冴えるワインレッドの光沢。
 口紅も同じチョイス。

 この色を選ぶケリは、強く在りたいと願っているお呪い。
 艶やかな髪の毛だけは、まだ手をつけていないようだ。

 「―――髪は僕がやりましょう」

 入った部屋を見渡すと、エリカのスーツケースがベッドの傍に置かれていて、キャビネの上の大きな鏡の前には、ヘアセットに必要なアメニティと、ケリが愛用している黒に金細工の七宝焼きのピンがあった。

 ケリの手を取って鏡の前に促し、言われるままにスツールに腰掛けた彼女の髪を両手で持ち上げる。

 「アップがいいですか?」

 「あ、」

 困ったようにケリの瞳が震えた。


 視線が泳ぐ先を追って、鏡越しに、首筋の横についている幾つかの紅い花びらに気付く。
 心底から、愉快な笑みが込み上げてきた。


 「天城さんの、独占欲の顕れですね」

 「―――トーマ」

 知っているのね、とケリは笑った。

 慰めるように手櫛で髪に触れていると、その行為がケリの箍を外してしまったようだ。
 身を震わせて、鏡越しのケリはまっすぐに僕を見つめていた。

 「トーマ―――私怖いの・・・、また、迷ってしまわないか、・・・」

 「ケリ」

 僕の中に喜びが湧きたつ。
 ケリがその不安を口にするという事は、天城アキラに惹かれているという事。

 背後からケリの肩を強く抱いた。
 彼女の指先が、縋るように僕の腕を掴んでくる。


 かつて育んだ愛は、まるで暗闇の中でのたどり歩きだった。

 時々見える"あの人"の気まぐれに光を見出し、手に取っては振り払われ、そのたびに、もう一度と希望を持って伝う壁を探し始める。

 強くて、弱くて、実直で、不器用な愛し方。
 長い年月をかけて愛をすり減らし、離婚が成立する頃のケリは本当にボロボロだった。

 麻薬のように心を蝕んでいくあの愛を、僕も"知っている"


 「――――彼とは違います」

 呟いた僕に、ケリは顔をあげた。
 その弾みで、大粒の涙が頬に美しい曲線を描いて落ちる。

 「彼は、"あの人"とは違う・・・」

 「トーマ・・・」

 「うまくいくかどうかは、僕にもわかりません。でも・・・」


 あの時、一瞬たりとも迷わずにケリとの未来を選択した彼。


 「・・・天城アキラは、"あの人"とは違う」


 これから始まる恋愛で、幸せになれるかなんて誰にも分からない。
 保証なんかあるはずもない。

 ただ、

 愛を育む努力のカイがあるのか、
 その努力の時間を費やす価値があるのか・・・。

 それで相手を選ぶとするなら、天城アキラはきっと、今のケリには最良と思える。


 「始めてみるといいです、ケリ」

 僕は彼女の背を押すように力強く告げた。
 鏡の向こうから、見極めようとするケリの眼差しが注がれていた。

 「どんな結末になろうとも、僕は必ず、あなたの傍にいますから」

 「―――ありがとう―――」

 それは答えではなかったが、しっかりと見つめ返してくるケリに、僕は何度も頷いて見せた。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。