トーマが来て30分ほど経った頃、エリカが部屋に戻ってきた。 「ケリ〜〜〜!」 「エリカ〜〜〜!」 顔を合わせるなり頬にキスを落としてくる強引さは相変わらず。 そして私の腰を抱いて、ぎゅーっと力を込める。 「う〜ん、久しぶりの感触」 子供をあやすように左右に身体を振って、ご満悦な表情のエリカ。 こうして私を愛でることが挨拶で、私もこの時に感じるエリカの感触が大好きだったりする。 「お疲れ様、エリカ。ご飯行く?」 「ルームサービス取らない? シャンパンと」 私より少しだけ背の高いエリカとの耳元でのやりとり。 高校の時、お互いに彼氏もいなかった私たちは、時々こんなことをしては周囲の女子生徒に頬を染められていた。 まあエリカの場合、彼氏を"作らなかった"と言う方が正しい表現だと思うけれど。 「僕は階下のレストランに居ますから、お二人で楽しんでください」 トーマの心遣いを素直に受ける。 「ありがとう、トーマ」 「ケリ、帰る時は必ず連絡してください」 「ええ」 廊下までトーマを見送って室内に戻ると、 「ケリ、食事来るまでにちょっとシャワー浴びてきていい??」 無造作にベッドに広げたトランクから取り出した総レースのランジェリーを手に訴えてくる。 「いいわよ。適当にオーダーしておく」 「チーズは絶対ね!」 「分かってる」 ウィンク交じりに返事をすると、エリカの指銃でロックオン&投げキッスが飛んでくるのも相変わらず。 「早く来てね」 と、私は閉まる寸前のドアの向こうにおねだりを伝えた。 20分後――――。 エリカがシャワーから戻った頃には、カルパッチョやチーズ盛り合わせ、マルゲリータピザと言ったフード類がテーブルに所狭しと並び、隙間を縫って、銀色のシャンパンクーラーがセットされていた。 シャンパンの銘柄は、2人揃ってお気に入りのブルゴーニュ地方のもの。 「「かんぱ〜い」」 シャンパングラスを触れ合わせると、チリンというクリスタルの音が響く。 口当たりがいい白のスパークリングは一口で半分なくなってしまう。 アルコール度数も高いし、辛口なんだけど、普段からバーボンやウィスキーのロック飲みが多いからジュースみたいにすすんでしまう。 エリカは、まだ少し湿気の残るショートの髪をそのままに、ホテル備え付けのワインレッドのバスローブ姿で私の向かいに座っていた。 キラキラする目線は、早速、大好物のチーズを狙っている。 「あ、そうだ」 思い出したようにエリカが手を叩いた。 「今日、"うち"のイメージキャラクターが決まったわ。さっきまで社長も一緒だったの」 「ルビが? 表に出るなんて珍しいわね。一体どういう――――」 言いかけて、私はハッとする。 「まさか、ルビィ―――」 私が泣いた事を、知っていたりする? 不安げにエリカを見ると、 「まさか!」 と、エリカは肩をすくめた。 「天城アキラ、彼に決定よ。早ければ来月、遅くても1月には撮影で 「―――そう」 (良かった・・・) ふと安堵感がわきあがる。 長年芸能界で生きている人だもの。 世界への舞台は、きっと望んでいたはずのもの。 「―――彼、セクシーね」 不意に、エリカが言った。 「え?」 クリームチーズを舐めて呑み下した後、エリカはにっこりと笑う。 私の目を真っ直ぐに見て、囁くように誘導する。 「声、とか?」 "優しく抱いてやる" 「指、とか?」 "ここは―――?" 「首筋についた薄い筋肉、とか?」 "手、廻せ" 果てる瞬間にしがみついた首の後ろ。 「んふふふ。―――――真っ赤よ、ケリ」 ビクッ、と自分の身体が震えるのが分かった。 弾かれたようにエリカを見ると、ニヤニヤと口角を上げて悪戯っぽい瞳を輝かせていた。 学生時代からこれも変わらない。 「―――知ってたの?」 「あなたの事は見ればわかる。エリカ様をなめるんじゃないわよ〜。 と! 言いたいとこなんだけど、あなたの周りには小姑が多いんです。否が応でもイロイロと入ってくるんです」 「そう、でした・・・」 ウェインには、彼、天城さんが帰った後にすぐばれちゃったし、そこから伝わるのは多分いつものルート。 これまでの経験から分かっている事だけど、プライバシー無さ過ぎよ。 恥ずかしい――――。 「どれくらいぶりだった?」 エリカに聞かれて、一瞬考える。 それって、SEXがどれくらい久しぶりかって質問? 「いいじゃない、答えなさいよ」 私は照れながらも仕方なく応える。 「3年、・・・とちょっと?」 「楽しめたんでしょ?」 楽しめた? というより、昨夜はのアレは―――――、 あの行為は――――、 「楽しめた、というか・・・」 彼の温もりが、今でもまだはっきりと思い出せる。 思い出すと、胸が切なくなる――――。 「優しかった―――――」 私の唇から思わずこぼれた吐息。 「思い出したら、今でも泣きそうなくらい、優しかった・・・」 SEXがあんなに優しいものだなんて、私は知らなかった。 「優しくて、暖かかったの・・・」 私の目に、涙が溜まったのが分かる。 「エリカ、ごめん、私、なんか、不安定・・・」 「ケリ・・・」 エリカの、私を呼ぶ声があまりにも切なくて、深く深呼吸をした。 嗚咽のような呼吸になってしまったけれど、飲み込んで、笑って見せる。 「ふふ。夢を見ずに眠ったのも、本当に久しぶりだった」 「―――ケリ。なんだか久しぶりに見たわ。あなたのそんな穏やかな顔」 「え?」 私が聞き返すと、エリカは残ったシャンパンを全て飲み干して、クーラーからボトルを取り出した。 瓶の底から垂れる雫をナフキンで拭う仕草や、バスローブから覗く覗く胸元のラインは女の私から観てもドキドキする。 綺麗なエリカ――――。 そんな彼女が、早く飲んでと私のグラスを顎で示すから、慌てて一気に飲み干した。 新たに注がれる液体。 スパークリングの気泡が、上へ上へと弾けて消えていく。 「――――ねぇ、楽しんでみなさいよ、恋愛ってやつ」 思ってもいなかったエリカの一言に、私はしばらく反応できなかった。 エリカが不思議そうな顔をする。 「何が問題で躊躇するの?」 「問題っていうか・・・」 「天城アキラ。顔良し、スタイル良し、色気あり。SEXも良かった。声も。―――アレ、絶対あなた好みよね? ここまで揃ってて、楽しむのに何か問題ある?」 「――――――・・・」 彼に問題があるとか、そういう、事じゃない・・・。 何も答えられずにいた私に、エリカが堪りかねたように訊いてくる。 「迷いはなに? ルビのスカウトの撒餌だったから?」 「―――それも、知っているのね」 ああ、なんかもう、丸裸にされて、取りつく島がない感じ。 「あなたの周りは過保護なの」 「クス、分かってる」 でもエリカ、違うの。 そうじゃないの――――。 私の胸に巣食っているのは・・・、 「ねぇ、エリカ」 「うん?」 『―――――始めてみるといいです、ケリ』 ついさっき、そう言ってくれたトーマの言葉を借りるなら、 「もし、始まったとして、」 彼と、しばらく時間を共有したとして――――、 「うん・・・?」 「この恋が終わった時」 彼が去っていく時・・・、 「私、――――今みたいに立っていられると思う?」 訴えるような質問に、エリカの瞳が大きく見開かれた。 思い出すのはあの時の事。 今朝、彼が忘れていったサングラスを持って1Fまで追いかけて、そして偶然に聞いてしまった彼らの会話。 『本宮ルビのスカウトを認めさせるように、アキラさんが彼女に話せば終わりじゃないですか』 私といたあの優しい時間が、ルビをスカウトするために作られたものかもしれないと、そんな悲しい事を示唆するあの内容。 それを知った時、 涙が溢れたのは、その事に対してじゃなかった。 取り乱したのは、その事に対してじゃなかった。 "終わり――――" たった一度肌を合わせて、ほんのひと時、気持ちが寄り添った気になっていただけなのに、 そんな言葉に、こんなに傷ついている自分がいて、 足元から崩れて倒れ込みそうになった自分がいて、 私は、こんなにも弱かった自分に愕然として、ぐらぐらして、 ――――だから、彼らに背を向けて逃げた。 いつもの私なら、冷静に立ち向かって、もっと大人の対応で、自尊心を守るくらいの演技はできたはず―――。 いつもの私なら――――。 でも、そんな強がりを、一秒すら出せずに崩れた私。 こんなに、弱い私――――。 彼が関わると、私はもっと弱くなる。 そんな未来にとても怖くなって、進む以前に、そこに立っている事にすらも、臆病になってしまった―――。 ふと、強く握りしめていた私の両手に温もりを感じて顔をあげる。 いつの間にか私の隣に来たエリカが、手を握ってくれていた。 「ケリ。あなたは過去に、自分の身も、心も削って『あの愛』を育んだ。あの時間がどれだけ苦しかったか、少しはわかってるつもりよ」 「エリカ―――」 「でもこの3年近く、ゆっくりと休んだでしょう? そろそろ次の恋をして、今度はまったく違う形でボロボロになってみなさいよ。もしそうなったとしてもあなたはきっと大丈夫。だてに35歳じゃない。これまでの人生の中で、解いてきた方程式や描いてきた図式がたくさんあるの。それは、"男の事"なんかだけじゃない。恋愛しかなかった若い頃とは違う。もし彼を失う事になったとしても、あなたにはまだルビがいて、私たちがいて、とりあえず、生きてはいけるわよ」 「エリカ・・・」 私のために、愛しむようにじっくりと言葉を紡いでくれるエリカに、胸が熱くなってくる。 「それと、付け加えると、」 「え?」 エリカは、ガラリと雰囲気を変えて、ビシッと私の鼻の頭を指差しながら、これまでとは一転、鋭い視線を向けてきた。 「あなた35歳なのよ。そんな事に臆病になってたら次の恋なんて掴めるはずないじゃない! すれ違う良さそうな恋はとにかくキャッチ!」 「エリカ・・・」 「なに? 本当の事よ。現実!」 「もう―――、すごく感動してたのに」 私が呟くと、エリカはクスクスと笑いながら椅子に戻って行った。 そして今度は、熱を孕む目線に切り替えて、私の心を翻弄する。 「さっきの契約の場で、"彼"、仕事かあなたか、ルビに選ばされたの」 ――――え? 「"彼"、一瞬も迷わなかった」 ・・・、 「本気よ、"彼"」 "彼"――― と、エリカの唇が紡ぐたび、私の脳裏には彼の姿が鮮やかに浮かんでくる。 漆黒の髪と、藍色の眼差しが美しい、 豹のようにしなやかな身体は熱く、 その言葉は、私を甘いと食みながら、 私を甘やかすあなたの指が、一番甘い―――― 会いたい――――― あなたに会いたい――――。 ねぇ、天城さん。 本当は、今朝、部屋を出るあなたの背中に、 もっと一緒にいたい そう、願っていた――――。 |