「人間って、ある一定の年齢まで脳機能が完熟すると、そこからは衰退の一途をたどるって言うじゃない?」 何かの受け売りで語り出した私に、エリカがトロンとした眼で応える。 「うん? ―――コラーゲンみたいに?」 お互い酔っ払っているから、多少はかみ合わなくも平気。 「うん、でも、例えばそうやって脳の力が削がれる一方だったとして、それでも、培った年月分のスキルやキャリアが残るでしょう?」 「う〜ん、そうね? うん。多分そう」 眠そうな目をしながら、必死に頷いてくるエリカ。 そう言えば、今日アメリカから着いたんだから、時差ボケしてても不思議じゃない。 「エリカ、もう寝る?」 「大丈夫! ほら、続き!」 手を振って促したエリカのバスローブの合わせが緩んでいて、胸の谷間が半分覗いている。 「エリカ、エッチ」 私は身を乗り出してその合わせの紐を結び直した。 エリカがそんな私の手元をジッと見つめている。 「はい、出来た」 「ありがと」 「それで?」 「うん」 私は、グラスに残っていたシャンパンを飲み干した。 2本目のボトルもうこれで最後。 そろそろ帰らないとエリカも休めない。 「脳の衰退が始まったとしても、培ったスキルで、大人は地団太は踏まないし、分別するし、空気も読む。つまり、理性が働く分、――――大人になってからの恋愛が、きっと一番難しい・・・」 ポツリと呟いた私に、エリカは、ふーんと目線をくれた。 「つまり? 好きだから抱きつきたい! でも周りに人がいっぱいで困っちゃう! って事?」 「うん。そういう事」 考える「分別」と 身体の「衝動」、 抑える「理性」と むき出しの「本能」、 そうありたいと思う「冷静」 と こうしたいという「欲求」 エリカがふふ、と笑い、グラスを持ち上げて喉を見せる。 最後の一滴まで舌先で舐め掬う動作がどうしようもなく色っぽい。 「そのさ〜」 エリカが、覚醒したように私を見つめた。 「雁字搦めに感情を制御してくるモラルとかルールとか理屈とか、余計にぐちゃぐちゃ考えている中でよ? その中で、狂おしく色っぽく見悶える姿って、なかなか官能的で、刺激的で、すっごくタマらない気がする。萌える。うん! たどり着くべき、シンプルな答え。究極の答。そういうの、きっと、大人の恋愛の醍醐味でもあるんじゃない?」 大人の恋愛の醍醐味――――――。 エリカの言葉がストンと胸にきた。 「エリカ、すごい」 「すごい? そう? ふふふ、私すごい?」 「うん、凄い」 考える事が増えて、配慮する事が増えて、それでも、"好き"という気持ちが生まれる場所は ――――変わるはずもない。 昨夜、彼と突然あんな事になったのだって、私達二人の視線が合わさった瞬間に契約された事。 何も考えず、ただお互いに温もりと快楽が欲しいから求め合った、答え――――。 何歳になっても、恋する願望は消えたりしない。 「性欲」も、 「愛されたい」という願望も、 そして、 「愛したい」という希望も――――。 だから、もしもまたその時が来て、 私の感情がスキルを越えたとしても、 受け入れる気があるのなら、私はただ――――、本能のままに、それを求めればいいんだと思う。 ―――――― ―――― エリカと語った楽しい時間は短いようで結構長くて、タクシーから降りる時にふと車内の時計を見ると22時を示していた。 閑静な住宅街では、去っていく車のエンジン音も騒音のように響き渡る。 「寒くないですか?」 気遣うトーマの言葉に、「大丈夫」と頷いてマンションのエントランスに目を向けると、 「―――え?」 冬の花はまだ実っていない花壇に座り、薄暗い辺りに溶け込むような全身黒の姿で、彼は居た。 顔を確認する前にシルエットだけで分かってしまう。 思ったよりも正確に、彼の姿をスキャンできる私の脳。 「天城さん・・・」 漆黒の髪が、照らしてくる街灯を映して天使の輪を作っている。 彼は私の声に気付いたのか、顔を上げて、そのままゆっくりと立ち上がり、そしてほんの少し表情を硬くした。 彼の視線の先には、足元が覚束ない私の腰を支えるように抱いて隣に立つトーマ。 冷たい夜風が酔いを醒ましていく。 風が吹き抜ける間の、短い沈黙の時間。 その間に、天城さんは私達の方へと歩いてきていた。 ―――クス。 笑ったのはトーマ。 そして、屈むようにして私の耳元で囁いた。 「僕は今日はここで。明日からウェインと替わりますから、彼が帰ったら連絡してください」 「え」 「さあ―――」 トーマは容赦なく私の手を導き、まるで身柄を引き渡すように、天城さんの前に差し出した。 そして、少しも間をおかず、 「失礼します」 そう天城さんへと軽く一礼して、私達に背を向けて去っていく。 短い息を、天城さんが吐いた。 「あいつ、ルビのボディガードじゃないのか?」 昨夜の甘い声とは違う、―――少し、不機嫌(?)そうな声。 「え? あ、彼は、私が契約しているの。ここに引っ越してくるタイミングで、私がルビの傍にいるようにお願いして・・・」 「ふうん・・・」 納得したような、そうでないような微妙な表情の後、不意に私を真っすぐに見つめてきた。 宵を映した瞳は濡れたように綺麗で、私は吸い込まれるように見上げていた。 ドクン、ドクン―――、 「あ、」 トキメキが、 洪水になって、 私の血液の中をめぐっている―――――。 彼の手の甲が、私の頬の触れた時、 「あま、ぎ、さん――――」 溢れそうな何かを逃がすために、名前を呼ばずにはいられなかった・・・。 |