昨夜から、待ってばかりだな――――。 ケリのマンションのエントランス前。 花壇に縁に足を組んで座り、俺はそんな事をふと思った。 考えてみると、貴重なプライベートの時間を女のために全力で費やすのは初めてのような気がする。 売り始めや人気の低迷期でさえ、オフの日も長い空き時間も、レッスンやらオーディションやらは"彼女"よりも最優先。 たまに遠一にデート時間の調整を頼んだりしたことはあったが、それも出来ればでいいという範疇で、そこまで真剣に求めた事は無かったと思う。 そう。どんなに好きだと思った女でも、この優先順位だけは変わらなかった。 (―――まったく、どうかしてる) 苛立って心中で悪態をついた。 考えが巡るのはすべてケリの事ばかりだ。 ケリをこの腕に掻き抱きたい。 潰すほどに抱きしめて、縋らせたい。 俺の記憶の中にある最後に見た彼女の顔は、泣いてしまいそうな今朝のもので、さっさとそれを笑顔に上書きしたかった。 ここに座りこんでもうすぐ1時間。 早い時間は人目があるからと、藤間が車を路駐して付き合ってくれていたが、人の出入りも少なくなった21時を過ぎたころには、さすがの俺も藤間に対して居た堪れなくなり、帰るように"命令"した。 身体が冷えていく中、ケリを求める心だけが熱く感じられる。 灯火とは、こういう感情の事も言うんだろう―――。 彼女への想いだけが、はっきりと俺の中で灯っている。 22時。 宵の静けさの中、車のエンジン音が聞こえてきた。 認識していたのに、少し眠っていたのかも知れない。 気が付いて顔を上げると、一台のタクシーが去っていく場面だった。 「―――ケリ」 やっと顔が見れた。 その安堵が吐息となって口からも漏れたのは一瞬。 黒のパンツスーツにコートを着た彼女は、一人の男に腰から支えられるようにして歩いていた事を認識する。 ケリは複雑な表情を浮かべていたが、激しく拒絶するものではなかったから一先ず安心して、どちらかというと隣の男の方に意識がいった。 (あいつ、さっきルビと一緒にいた、トーマ?) 腰の触り方が他人じゃない。 思わずムッとしてしまう。 トーマはケリの耳元に口を寄せ、何かを笑顔で告げていた。 そして、余裕綽々の顔で、どうぞと言わんばかりにケリを差し出してくる。 その態度にはかなり気分が悪かったが、会釈をして去っていくのをわざわざ止めて絡む気にもならなかったし、何より早くケリに触れたかったのが本音だ。 「――――あいつ、ルビのボディガードじゃないのか?」 彼女への第一声。 自分でも分かる、苛々した口調。 なんとなく、あの男はウェインよりも警戒すべき相手のような気がした。 「え? あ、彼は、私が契約しているの。ここに引っ越してくるタイミングで、私がルビの傍にいるようにお願いして・・・」 「ふうん・・・」 俺の不機嫌さが伝わったのか、ケリは不安げに俺を見上げていた。 ―――ああ、なんだ。 見つめ合っている内に、俺は自分の中で何かが満たされるのを感じた。 「ケリ」 名前を呼んで、手の甲で頬に触れる。 「あま、ぎ、さん――――」 震える声で。 彼女は俺を呼んだ。 ――――――なんだ、そうか。 心の奥でホッと息をつく。 ケリは、ちゃんと俺に恋をしている。 俺が考えていた以上に、彼女の全身から俺を求めるカラーが放出されている。 俺に見つめられて、女性らしい緑色だった彼女の雰囲気が、これからの事に焦がれる女の紅に変色している―――。 そして、二人で居れる事にこんなにも満たされている俺の心―――。 目を合わせたまま、 「ケリ」 これから始まる契約の事を伝えあう。 両頬を俺の手で包むと、ケリの唇がその契約に同意して、俺のキスを求めているのが分かる。 「結構、―――――他の事はどうでもいい」 俺はきっぱりと告げた。 「あんたで、頭がいっぱいなんだ」 告げた言葉に、ふるふると、ケリの眼差しが反応して揺れ始める。 何もかもが、愛しく俺の目に映ってくる―――。 「俺達、」 顔を近づけて、 「とりあえず、始めてみないか?」 そう言った瞬間、彼女の目尻から一粒の涙がぽろりと零れた。 ん、と彼女の喉から漏れた声が、答えなのかどうかは、深いキスを始めていたから、もう、分からなかった―――。 |