あたしが通う私立白邦学園は、日本の経済を担う企業の令息令嬢が生徒の大半を占めて、他はスポーツ推薦1割弱、成績優秀者1割強。 つまり、生徒のほとんどがそういう方々……。 うん。 8割近くがいいトコのお子さんだという事。 ごきげんよう、とか。 先日パーティーで―――とか。 お友達関係も親の仕事の結果によっては、着いたり離れたりみたいな上辺だけなことも結構ある。 社交界デビューをした人にとって、こういう事に友情が左右されるのは大人として当然の事らしい。 ―――よくわかんないや。 あたしはというと、たった一人の家族であるパパは大手商社に勤めてはいるけれど、普通の人。 したがってあたしももちろん一般市民。 ただし、あたしが小学2年生の頃に亡くなったお母さんは間違いなく生粋のお嬢様。 古くからの名家、花菱財閥の一人娘で、学生の頃に出会った同級生のパパとこっそり愛を育んで、パパが就職したら駆け落ち同然で結婚。 花菱のお祖父ちゃんとは、あたしが生まれて3年経った頃にやっと和解できたらしい。 あたしはつまり、血筋で入学できちゃったイレギュラー。 この学園において、0.01割くらいのマイノリティということ。 でも、今あたしがおかれている状況は、別にそれが原因ってわけではない。 ―――と思う。 「教科書って、結構高いんだぞ……」 あたしは、校舎の裏の雑木林に、破れれて捨てられていたあたしの教科書達を見て大きなため息をついた。 時々、忘れた頃にあたしはこんな意地悪をされてしまう。 『佐倉って馬鹿なの? こういうのはイジメっていうんだよ』 先週、似たような事をされた時、同じクラスのスポーツ推薦派の藤倉君が呆れたように言ってったっけ。 『器物損壊だぞ。先生に言えよ』 でも違うの。 これは多分意地悪なの。 普段はこんな事されずに穏やかに過ごせてる。 悪口を言われてるわけでもない。 無視されてるわけでもない。 時々、あたしの存在を思い出したかのように振りかかる災難。 きっと何か、切っ掛けがあるはずなのに、入学して半年以上経った今でも原因が思い当たらない。 『そういうのがエスカレートしてイジメになんの』 『……うん』 『まあ、佐倉がいいってんならオレからはチクったりしないけどさ、健斗が帰ってきたらちゃんと相談しろよ?』 『うん』 笑って頷いたあたしに、藤倉君はますます呆れてた。 机に入れていた教科書全部か〜。たぶん3日分のバイト代がふっとんじゃうな〜。 さすがのあたしもテンションさがる。 この結果を予想して持ってきていたビニール袋を広げて、切り裂かれた教科書を細かい切れ端まで全部広い集めた。 いつもは清潔感あふれて可愛いって思ってる白いブレザーが、こんな時ばかりは汚れてしまう事が凄く気になる。 綺麗になった辺りを見て、何となく肩の荷が降りた気がして空を見上げる。 もうすぐ10月も終わり。 青と灰色の微妙な折り合いが特徴的な冬の空。 衣替えしたブレザーの制服も、そろそろ上からコートを着る季節になる。 ――――ねぇ、どうして? あたしは"彼女"に問いかける。 どうしてあたしに意地悪するの? 何か思っている事があるのなら、 感じている事があるのなら、 言ってくれないと、あたし、全然わかんないもん。 このままじゃ、 ―――何もしてあげられないよ……? ―――――― ―――― 「あ、 フラワーショップ『あかり』の店内に入るなり、叔母さんが大きな声を出してきた。 「どうしたの? あかりちゃん」 応えながら、あたしはカウンター内の所定の棚に学生鞄を仕舞って、専用のピンクのエプロンをかける。 「これから配達出なきゃなの〜」 泣きそうな声で、開店祝い用の大きなアレンジメントを指差した。 「急に注文入っちゃって、夜っていうからお受けしたのに、突然時間を繰り上げてくるんだもん!」 あかりちゃんのポニーテールがイヤイヤと振られる。 「あはは、確信犯かも。あかりちゃん、やられちゃったね?」 「やっぱりそう思う!?」 今年35歳になる佐倉あかりちゃんは、パパの妹。 このフラワーショップは一昨年亡くなった佐倉のお祖母ちゃんのお店で、あかりちゃんの名前はお店からもらったらしい。 ちょっと落ち着きがないあかりちゃんはあまり年相応には見られなくて、「まだ独身だし、二十代で騙せるから」と言って、あたしに叔母さんとは呼ばせずに"あかりちゃん"と呼ばせている。 「というわけで千愛理、店番よろしく!」 「はあい」 返事をしながら時計を見る。 17時ちょっと前。 「あかりちゃん! 薬、持った方がいいんじゃない?」 「あ、」 あかりちゃんが足を止める。 「そうだね。これ、車に運んじゃうから、薬取ってきてくれる?」 「りょうか〜い」 カウンターの裏から向こうはあかりちゃんの つまりは、パパの育った佐倉家の居住スペース。 あたしは靴を脱いでそのスペースに上がり込み、台所の古いみずやの引き出しを開けた。 朝、昼、夜 6時 18時 そんな指定がマジックで書かれた、たくさんのお薬袋が所狭しと並んでいる。 その中から、あたしは18時分の錠剤を取り出した。 小さな水色のピルケースに一回分を移し替えた時、 「千愛理〜」 あかりちゃんがあたしを呼ぶ声。 (え!? もう積みこんだの??) 「はーい」 慌ててお店に出ると、呼ばれた理由が"薬早く"の催促ではなくて、お客様が来店されたからだと分かる。 当のあかりちゃんはアレンジを台車に乗せて外に出るところだった。 「あ、いらっしゃいませ」 あたしがそう言うと、振り向いた黒髪の女性はふわりと微笑んだ。 「お店の方?」 とても耳触りのいい優しい声。 上品なシルバーの、ワンピーススーツ。 大振りの黒のアクセサリーはハデそうに見えるのに、シンプルなメイクが綺麗な肌を引き立たせていて、なんだかとても上品な人。 纏っている空気が、とても綺麗なんだと思う。 初めてのお客様、かな――――? 「あ、はい。そうです」 応えが遅れてしまった。 胸がざわりとする。 アレンジを欲しがる初見のお客様は、高校生のあたしを敬遠することが多いから。 「ディナーテーブル用の小さなアレンジを3つほど作ってほしいの」 「あ、はい。お花のお好みはありますか?」 そう言ってあたしがショーケースの中を示すと、 「――――あなたがアレンジするの?」 ドキン! 顔、あげるの怖いな……。 お金が絡む時の損得を計算する大人の表情はまだ全然見慣れない。 今までの経験から感じるところ。 あたしがアレンジするのとあかりちゃんがアレンジするのとでは、受付時の印象が5万円と5千円くらいの差があるらしい。 つまり、あたしに払う5千円は、5万円に相当するくらい高いと感じちゃうらしく結構露骨に嫌な顔をされてしまう。 当然だとは思うけど、そういう顔をされると結構落ち込んじゃうんだよね……。 「へえ、楽しみね」 (――――え?) 意外な言葉に、あたしは勢い良く顔を上げた。 「ケリ。プレッシャーになりますよ」 女性の隣に居た、グレーのスーツを着た男性がクスクスと笑う。 「あら、私意地悪だった? そんなつもりじゃなかったんだけど、ごめんなさい」 「いえ! そんな」 あたしは慌てて両手を振って否定する。 「ふふ。それじゃあ、何をメインにしてもらおうかな……」 冷蔵庫の花々を見て、ご夫婦なのかカップルなのか、二人は顔を見合わせて楽しそうに選んでいた。 男の人がさり気なく女の人の腰に手を当てていて、守るようにエスコートしている。 「それじゃあ千愛理、行ってくるわね。あとはよろしく」 タイミングを見計らって、あかりちゃんがレジ横に置いてあったピルケースを掴み、ウィンクしながら配達に出て行った。 再び二人を目にすると、フラワーショーケースの中を指差しながら何やら頷き合っている。 注目しているのは、まるで和紙のような色合いが特徴の大輪の花。 あたしは思わず説明を挟んだ。 「イプノーズというんです。バラなんですよ」 今入荷しているのは中央から紫のグラデーションが外のクリーム色に続いていて、まるで羽根のようなイメージがある優しい色合いの種類。 秋のアレンジにはもってこいの花。 「イプノーズ……。これにしましょう。イメージがあの子にぴったり」 女の人が笑うと、隣の男の人も応えるように笑う。 見つめ合って凄くラブラブって感じじゃないけれど、なんだかとても信頼し合っているような雰囲気で、見てドキドキするというよりは、ホッとするお二人だなあ……。 「アレンジ3つですよね。ご予算は?」 「1つ3000円でアレンジ可能?」 「はい。では少しお待ちください」 あたしは、合わせる他の花をケースから素早く選ぶ。 ドラセナ、シンフォリカルポス、スプレーマム、鶏頭、アイビーとティーリーフを使って、それぞれイメージを変えてアレンジした。 アレンジが仕上げに入った頃、 「我流かと思ったら、そうじゃないのね。流派は?」 と女の人が不意に尋ねてくる。 「あ、華月です」 「あら、私と一緒」 嬉しそうに笑った。 こんな素敵な人と共通の話題なんて、あたしも単純に嬉しくなる。 「そうなんですか?」 「ふふ。これでも師範級のお免状をいただいているのよ」 え? あたしはビックリした。 華月は免許皆伝まではどうにか取得できるけど(ちなみにあたしも10年目でいただいた)、その上の師範級はとても厳しいって有名で……、 「凄いです!」 思わず大きな声が上がっていた。 「そうでしょ?」 漆黒の片目が閉じられて、魅力的なウィンクを贈られる。 心なしかあたしの頬が赤くなっている気がした。 アレンジした花籠はセロハンシートで包み、持ち運びしやすいように1つずつビニールに入れる。 「あ、ショップカードもらっていくわね」 お会計の時、レジ横にあったフラワーショップあかりのカードを取ってお財布にしまいながら、変わりにクレジットカードを取り出した。 (うわ、ブラックカードだ) 「素敵なコーディネーターに出会えて嬉しいわ。また来るわね」 「はい! ありがとうございました」 お店の外までお見送りして、楽しそうに歩いて帰るお二人の後ろ姿に深く頭を下げる。 ふふ。 なんだかすごく幸せにしてもらっちゃった。 バイトが終わるのは8時半閉店後、21時。 そこから大通りを歩いて10分くらいのところに、パパと住むマンションがある。 その帰り道にあるスーパーでお惣菜を買って帰って食べるのがバイトの日で、それ以外は頑張って自炊してるから、お料理は結構得意な方。 営業マンのパパはおよそ連日、終電に間に合うかどうかの時間に帰宅するから、まともに顔を合わせるのは朝食の時だけ。 でも、幸せと不幸せは半々っていうの? 今日は教科書破かれた不幸があったからかな。 ほんのり幸せが、ちょうど食後の片づけをしている時にまた一つやってきた。 「パパ、お帰りなさい」 玄関から物音が聞こえた途端、あたしはキッチンからスリッパで駆け寄った。 「やあ、千愛理。ただいま」 「こんなに早いならもう少し待ってればよかったな。いまちょうどご飯食べ終わったんだよ」 「早いって、もう22時だぞ?」 言いかけて、 「――――そうか、今日はあかりのとこでバイトか……」 「うん」 「あいつ、元気そうか?」 「うん!」 「そうか」 たどり着いたリビングで、パパが抜いだスーツのジャケットを無言で受け取り、ハンガーにかける。 「ご飯準備しちゃうね?」 「頼む」 黒ぶち眼鏡をかけたパパは穏やかに笑ってあたしの頭をくしゃりと撫でた。 長身で、いつも口許を優しく上げているパパが大好きだと言っていたママ。 こうして撫でてくれる大きな手が大好きだと言っていたママ。 『千愛理。女ん子はみ〜んな誰かのたった一輪のお花なの。同じ花なんて一つもないのよ』 あたしが幼稚園に通っている頃から病気と闘っていたママは、まるで急ぐように、よく恋の話をあたしにしてた。 『千愛理にはガーベラみたいに、見る人を明るくしてくれる女の子になってほしいな』 『あなたを咲かせてくれる男の子はどんな子かしら―――――』 『優しくて、切なくて、でも幸せで泣けちゃうような、そんな恋をしてね、千愛理』 目を閉じれば、ママの優しい声が蘇ってくる。 『幸せをありがとう――――』 ママの最後の言葉は、パパに贈られたそんな言葉だった。 ママの最後の記憶は、たぶんパパが贈った優しいキス。 そしてあたしが見た最後のママは、泣きながら『千愛理、幸せになってね』と呟いていた。 ママが息を引き取る瞬間までキスで魂を分け合っていた2人。 2人はいつも手を握り合って、いつも見つめ合って、キスをして、微笑んで、キスをして、また手を握り合って――――。 今思い出しても心が温かくなるくらい、とっても素敵な2人だった。 あたしも、パパとママのような恋に出会いたい。 それはどんなふうにやってきて、どんなふうにあたしを幸せにしてくれるんだろう―――。 嵐のような恋との出会いが目前に迫っている事を、 あたしはまだ知らなかった――――……。 |