小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
ENCOUNTER


 【ブレーンを増やせ】

 薄い唇でそう綴った彼は、僕の返事を待つ間、Webカメラのまん前でフォークで切り取ったアップルパイを口に入れた。

 口から抜き取ろうとするフォークの曲線に舌を這わせる仕草が無駄に色っぽくて、しかもそれを見せる事が染み付いている。

 ブロンズ色の短髪の毛先が弧を描くスタイル。
 その髪と同色の長い睫が何度も瞬いている。

 不機嫌そうに僕を睨みつける眼はグレー。

 網膜が、その名のとおりアミ模様をはっきりと黒で浮き彫りにしていて、初めて会った時、コンタクトと考えるより先に義眼かと思ったくらいだった。

 僕にとっては大学の同期として3年間見飽きた顔だけど、世間一般では女性を食い散らかす事を躊躇しない美しい肉食獣。

 そのキスをもらうために女の子3人が大学の食堂で流血モノの取っ組み合いをした事は有名な話で、その行動学について大学の新聞部は面白おかしくシリーズで取材を敢行していた。

 まあ、当時10歳だった僕には全く興味が持てない話題だったけれど―――。


 【おい、ルビ?】

 返答もせずに無言を通す僕を、PC上のオンライン会議室の画面から憮然と睨みつけている件の人物の名前は、ルネ・結城。
 21歳。

 大学の経営学セミナーで5年前に出会った彼は、当時9歳の僕に企業買収を始めとする様々な経営ノウハウを実践を交えて本格的に教えてくれた人だ。

 今は、僕が幼年期から通っていた英才教育セミナーでの課題として創業した投資会社R・Cの最高責任者CEOと、2年前にケリの祖父(僕にとっての曽祖父)から僕が引き継いだ本宮コーポレーションの取締役、加えて日本支社の専務という立場にある。

 "喰った女は星の数"と噂されてばかりの人物だけれど、喰らうのは女性だけではない、彼以上の"やり手"を僕は知らない。


 【ルビ】

 返事をしない僕に業を煮やして、ルネは再度口にした。

 【もう一度言う。ブレーン増やせ】


 今度は、僕も答えを出す。

 【やだ】


 ピクリ、と。
 ルネの眉間に一瞬皺が刻まれた。

 【――――ルビ、お前】

 恨みがましい眼が、僕を視線で刺したいという願望を込めて向けられる。

 【このオレ様を過労死させる気だろう?】


 綺麗な顔が本能のままに敵意むき出し。
 そんな野生児ルネに、僕はため息を聞かせた。

 【ねぇ、ルネ。なんの冗談? 週に2日、女の子とホテルに引きこもる余裕がある内は全く問題ないと思うんだけど】

 【ふざけるな。2日しか籠もれない事こそが問題なんだ! ただでさえ、お前が日本に行った事で決済ラインに手間がかかるようになるわ、日本とアメリカの運営調整で会議に時間を取られるわ、お国の違いで日本の社員と話が通じるのに時間はかかるわ! お前がR・Cと本宮コーポレーションの統合を甘受しねぇから、このオレ様は! 二つの根幹を行ったり来たり、国が違うからいちいち法務部に連絡取らなきゃなんねぇっつう事はだ! あのヤローと話をしなくちゃならない。これ見よがしに法律ノウハウを盾にしてこのオレ様に指図しやがって! まったく我慢ならない!】

 肩で息をして美しい獣が吼える。

 結局、この事が言いたくて連絡を取ってきたんだろうと思う。
 基本的に男女問わず"うまくやる"彼だけど、なぜだか、どうしても、"彼"だけとは仲良くできないらしい。


 『ルネはトラよね』

 クスクスと笑いながらケリが言っていた事を思い出す。

 『見た目はあの気高い毛並みのように孤高的に美しいけれど、内側は野性的で厳しい愛情に満ち溢れている人――――。静かに燃え灯るような大輝とは、確かにソリは合わないかもね。私から言わせれば、2人とも同じ獰猛な肉食獣なんだけど』


 精力的に本宮コーポレーションをはじめとしたコングロマリット企業本宮グループを動かすルネと、
 その企業を守るために見えない剣を扱って戦う、法務部ジェネラルカウンセルの篠場大輝。

 2人は、大学時代から僕を挟んで火花を散らしていた。

 まあ、どちらかと言うと、ルネがギャーギャー吼えて、大輝がブリザードで吹き返すという温度差のある応酬だったけれど――――。


 【……ルネ、完全に私情入ってるよね】

 僕が意地悪く笑ったのを見て、ルネは何かを悟ったのか、その灰色の瞳を細めた。


 【ルビ。オレ様は本気だよ。あいつとやり取りできるブレーンが欲しい。だめなら―――――】


 オンライン会議室からブチっとログオフする直前に、すっかりヘソを曲げたトラは僕に大きな爆弾を落としていった。



 ――――――
 ――――


 「――――――カウンセリング?」

 呼ばれてリビングに出てきた僕をつつくように聞きだしたルネとの会話の内容に、ケリは不思議そうに返してきた。

 日本に来てから2ヶ月ほど滞在しているホテルのスイートルーム。
 今夜は、2人で過ごす最後の夜だ。

 テーブルの上は、ケリが借りたマンションで作ってきたという日本食が並んでいた。

 その間を彩る盛り花がやけに目に入る。
 和洋折衷を感じさせる色合いと視触に訴える質感。

 いつものケリの趣向とは少し違うアレンジのような気がした。


 ケリの横に座っているトーマが微かに笑いを漏らす。

 「産業医の判断はかなりの権限がありますからね」

 「どういう事?」

 お箸を持って首を傾げるケリに、僕も「いただきます」と手を揃えた後で応えた。

 「今、本社にいる産業医は62歳の女医なんだよね」

 「?」

 ますます怪訝な顔をするケリに、トーマが困ったように説明を足した。

 「あー、ケリ、つまりルネさんは、その女医に頼んで長期休暇を取得するぞ、とルビを脅しているんです」

 「――――え?」


 僕は、こういう事にはまったくカンがないケリに少し呆れながらも、丁寧に説明を追加してやった。
 他の人なら冷たく一蹴するところだけど、相手がケリなら仕方ない。

 「つまりルネは、"セックスしてでもその女医に思うとおりの診断書を書かせて、法的に会社を長期で休んでやる"って僕を脅してるの」


 言って、肉じゃがを口に入れる。

 久しぶりに食べたケリの手料理。
 ここしばらくはホテルの食事やコンビニ弁当やファストフードが多かったから、懐かしい味にほんのり気持ちが温かくなった。


 「ルネったら、よっぽど大輝が苦手なのね。―――――美味しい?」

 最後の言葉は、僕への感想を尋ねているものだと気づいて僕は頷いた。

 「うん」

 ケリがあまりにも真っすぐに見つめてくるから、僕は意識を逸らすように気になっていた事を口にした。

 「今日のアレンジは少し趣向が変わってるね」

 「――――そう? どんな風に?」

 頬杖をつきながら訊き返したケリに、僕は3つのアレンジを代わる代わる見て応える。

 「いつもは凛として綺麗な造りが多いけど、今日のは、優しい―――かな」


 見ていると、ふと穏やかになってしまう、そんな色合いと質感のアレンジだと思った。
 これまでにケリのアレンジでは感じた事が無い印象で、最初に目にした時から気になっていた。


 「ふふふ」

 ケリが笑いを漏らす。

 「違うって分かってもらえて嬉しいけれど、複雑な気分ね」

 「―――?」

 咀嚼していたエビのフリッターらしきもの、多分"天麩羅"を飲みこんで目線をあげた。

 「……ケリじゃないの?」

 「今日は料理に力いれすぎちゃって、お花までは時間が足りなかったの。それで、来る途中で立ち寄ったショップで造ってもらったんだけど、いいセンスしてるでしょ? まだ高校生の女の子がアレンジしたのよ」

 楽しそうなケリの表情に、その"高校生"によほど興味を引かれたのだと分かる。

 「へえ」

 と返事はしたけれど、ケリじゃないと分かった時点で僕からは一切興味は無くなった。
 アレンジの趣向が気になったのは、それをしたのがケリだという前提があったからで、そうでないのなら他人が優しくアレンジしようがどうでもいい事だ。


 「……今夜で、最後ね」

 少しの沈黙の後、ケリがそう呟いたから、僕はツキンと胸を刺された。

 彼女の顔を見ると、今にも泣き出しそうに歪んでいる。
 僕は一息漏らして言った。

 「最後なんて言い方はどうかしてるよ。住む所が違うだけで、同じ街だし、マンションも車で10分くらいでしょ?」

 「それでも……離れて住むのは初めてだわ」

 ケリの漆黒の瞳から、涙がぽろりと落ちる。
 唇が震えているのは、咽び泣くのを我慢しているからだと思うと、苦しくて仕方なかった。

 「―――僕はいつだってやめていいよ。言いだしたのはケリで、僕は説得されただけだしね」


 突然、2週間前に切りだされたケリからの別離宣言。

 『別々に生きていけるようにならないと、私はもっとルビに甘えてしまう』

 それでもいいと思っていた息子の心、母親知らず。

 『ルビ……。私、このままじゃ、あなたの優しさに縋って生きて、ただそれだけの母親になってしまう。今まで、母親らしい事、何もできなかったけれど、せめて、自分の心がもっとしっかり立てるようにならないと……、そうでないと、この先、あなたと関わって生きて行く事に自信が持てないの。だから、お願いよ、ルビ、これだけは認めて欲しい』

 初めて親としての命令らしきものを行使されて、僕はお互いのボディガードの交換を条件に仕方なくそれを受諾した。

 本当は、半分だって納得していない。
 承知したのは、僕の陰湿な考えが最終的にそれを決断させただけの事。


 ―――1人になって、やっぱり僕が居ないとダメなんだって実感すればいいんだ。


 そして、ボロボロになって、ケリが光を求めた時、僕が迎えに行けばいい。

 そのためのボディガード交換。
 今夜からケリにつく事になるウェインには、全てを逐一報告させる。

 ケリとウェインが長年の友人であるという歴史は気になるけれど、トーマはケリが完全に個人で雇っている人間だから、もし依頼したとしても、僕にあげてくる報告内容の信憑性が全然違う。


 【泣かないで、ケリ】


 僕は食事を中断して立ちあがり、いつの間にか気を利かせて席をはずしていたらしいトーマが座っていたケリの隣に腰掛ける。
 かけた言葉が英語になっているのにも気づかないほどに、ケリを慰めるのに夢中だった。

 頬に流れた涙の跡を指で拭い、その額にキスをする。

 【ルビ……】

 【離れていても、僕の心はいつだってケリと一緒だよ。忘れないで。僕はケリの守り石】

 【……ん】

 【愛してる】

 【私も、愛してるわ、ルビ――――】


 予想はしていたけれど、ケリが決意した別離の夜、彼女の涙が止まる事はなかった。








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