小説:クロムの蕾


<クロムの蕾 目次へ>


GREENISH BLUE
ENCOUNTER


 日本の高校は水槽の世界だと思う。

 綺麗な校舎、それを守るように囲う高い壁、グラウンド。
 仕切られた敷地の中に、同じ制服をきた雄と雌がひらひらと泳ぐ。

 水が淀まないように親と教師のパイプが組まれ、偏差値、友情など、様々な形をした生きるための生業が、餌のように分配される。

 それを競って食べるモノ、おこぼれをもらうモノ、端の方で特別にあてがわれたりするモノなど、同じ服を着ているのに、最終的に何かが変わっていく縮図の世界。

 そこまで考えて、僕は反省の意味を込めた溜め息をついた。

 冷静に考えると、アメリカの学校も縮図という結果なら大差ないんだ。
 あまりにも平和だからといって、こんなふうに侮蔑めいた想像をかきたてられてしまうのは、自分がまだ子供だからだと思う。

 そして、こんなふうに哲学的にくだらなく、自分を珍しく省みるようなバカバカしい思考経路に陥る時点で、僕はもうこの生活に飽き飽きしているのだと言う事。

 まだこの学園に入って、30分も経っていないのに―――――。


 学園長の話は、微笑みで固めた僕の顔が引きつりそうなほどに長く、やってきた学年主任とやらは特例という立場への周囲からの風当たりについて、注意事項の申し付けと、付け焼刃のカウンセリングをする始末。

 終盤に僕を迎えに来てくれた担任の木島沙織先生がこんなに美人じゃなかったら、幾らケリの要望とは言え、ひと悶着起こしてでも辞めたい衝動に駆られていたかもしれない。

 「緊張しないでね。みんな良い子達ばかりよ」

 僕を先導して歩く沙織先生は、肩越しに振り返って綺麗に笑った。

 パーマをかけた黒髪が肩のあたりでふわりと揺れる。
 出席簿を持った右手の薬指にはプラチナの指輪。

 「先生、それ、マリッジリングですか?」

 「え? ああ、そうよ」

 紅い唇が二コリと笑う。

 「新婚?」

 「まさか。もう4年目」

 「へえ、若くして結婚されたんですね」

 「大学卒業した後だから、普通じゃないかしら?」

 26歳か――――。

 「さ。このクラスよ」

 軽く合図をした程度で、沙織先生は躊躇なくドアを開けた。
 襖のような横引きの教室のドアが珍しく映る。

 「みなさん、今日は転校生を紹介します。本宮君、入って」

 先生に促され、僕は教室内に足を踏み入れた。



 ……・


 見渡した教室内にいるクラスメイトの顔を見て、僕は正直に言うと、驚愕した。

 僕の最終学歴はロスの大学。
 学友はみんな年上で、だからだろうか?

 ほとんどの生徒が、中学生くらいにしか見えない―――。
 僕が知っているロスの高校生は、はっきり言って沙織先生の方が近い気がした。

 ハーフの僕でさえも、ロスでは童顔に見られてたからね……。

 この衝撃は、カルチャーショックという事で、捨て置くことにする。


 「本宮ルビです。どうぞよろしく」


 名前を言うと、僕が2年前に経済界を騒がせた人物だと認識した生徒が多数だったようだ。

 さすが白邦学園の生徒と言うべきなんだろう。


 ケリの祖父である本宮伸次郎が僕の元にやってきたのは3年前のことだった。
 当時、起業した初代から4代目にあたる伸次郎さんは79歳。
 どんなに精力的に執務をこなしていても、年齢を考慮されて跡継ぎ問題は当然のように浮上し、そのオファーは、血筋を重んじてきた伝統に倣って順番良く繰り返される。

 先ずはケリの父親、つまり僕の祖父だが、元々、跡を継がないと家を出ていた彼は、現在好きな分野で事業を起こして楽しく生活をしている状態で、大きすぎるコングロマリットの相続を当然のように拒否。
 次にその直系であるケリの兄、つまり僕の伯父にあたる斗織さんは戦場カメラマンとかで世界中を飛び回っているらしく、やっと消息を掴めた先で完全放棄の一筆を書いて寄こしたらしい。
 残ったケリが身に余ると頑なに断り続ける中、投資会社R・Cを中心に横へ下へと事業拡大を成功させていた"ひ孫"の僕にターゲットは落ち着いてしまう。

 最初は本宮グループには興味も無く、ただ単に、時々ロスまでやってくる"曾祖父"と茶飲み友達をしている中、あの人が語るこれまでの企業戦略や生き残れてきた歴史の背景を聞いている内に僕の持っているR・Cとは全く違う会社の形態に興味を持ってしまった。

 幸か不幸か、大学で出会い、既にR・Cの優秀なブレーンだった友人たちも結構乗り気で、"どこまで大きくなれるか"そして"どこまでそれを支えられるか"というある種無責任とも取れる野望の元、力を貸してくれると言う。



 熟慮した結果、本宮コーポレーションを元とした本宮グループの全てを相続する代わり、今後一切、その経営について旧ブレーン達が口を挟まない事を条件に出した。
 これには多少二の足を踏むかと思っていたのに、伸次郎さんは豪快に笑い、それに倣うように旧ブレーン達も潔く隠居を始めた。

 そういう人達だから、この時代を戦ってこれたのだと感心するほど見事な引き際で、旧ブレーンと新ブレーンの確執を造らないための条件だったから後悔はしていないけれど、別のフィールドで一緒に仕事をしていみたいと素直に思う。

 そして、現在も、僕が想像してた以上に基盤が頑丈だった本宮グループは、ルネや大輝を含む僕の優秀なブレーン達によって今も順調に躍進を続けている。

 ちなみに、82歳になった伸次郎さんは今でも元気いっぱいで、つい最近も愛人が1人増えたらしい。

 『直系が増えた時の事を考慮しておかなければなりませんね』

 と、大輝が珍しく苦笑して言い出した事は、まだ記憶に新しい。



 ――――本宮、……本宮コーポレーションの会長
 ――――弱冠14歳でグループごと会社を引き継いだって話題になってたあの? 家に連絡しなくちゃ
 ――――業績あげてるのよね、パパが言ってた。先代よりもやり手だって
 ――――親しくなれたら、うちにも色々と……
 ――――こんなに素敵だなんて……お父様にお願いしなくちゃ……


 クラスの中の喧騒が、微かに僕の耳に届く。
 届かなくても、唇の動きである程度の内容は想像がつく。

 短慮で、幼稚で、個性の無いジュニア達の言葉。
 彼らが、未来の経済界に出陣してくるのかと思うとため息が出た。


 けれど仕方ない――――。


 白邦学園を卒業する事は、日本に来る前からのケリの希望だった。

 承諾したからには、僕も彼女が望むとおりに卒業しようと思うから、少しでも快適に過ごせる要素を自分で探して工夫するしかないよね―――。




 僕はクラスを見渡した。

 校内を楽に過ごせる方法の糸口を探して―――――、


 何人かの生徒とほんの一瞬ずつ眼が合った。

 けれど僕の視線は滑らかに進み、


 「――――!」


 初めて、アンテナに引っかかる。
 窓側の列の、一番後ろ。

 明るい茶色の髪がふわふわと肩上で揺れる、1人の女子。
 薄茶の瞳が驚いたように開かれて、けれど僕から目を逸らさない。


 僕とぶつかり合った目線に何かを感じているのが分かる。
 この感覚を、共有しているのが分かる。

 (へえ……、僕の視姦を感じているんだ)


 意外に思いながらも見つめ続けていると、彼女は気まずそうな顔を一瞬見せて、それから俯いた。
 これまでに見てきた"嬉しそうな女の顔"じゃなく、困惑に歪む表情。

 それを視界の隅に確認しつつ、僕も何食わぬ顔で、沙織先生に示された廊下側の席へ向かう。


 僕の視姦を感知した。

 その事実には少し興味はそそられたけれど、"相手"にするにはどうかと思う。
 同い年のはずなのに、僕にはまだ子供にしか見えなかった。


 それが、佐倉千愛理との出会いだった。



 ――――――
 ――――

 「本宮様は休日は何をしてらっしゃるの?」

 「あら、サヤカさん。愚問ですわよ。グループのお仕事に従事してらしてお忙しいですわよね?」

 「ミナコ様の言うとおりですわ。ねぇ、本宮様」

 「カエデさん、その手をお放しになってくださいな。本宮様に触れるのはルール違反ですわよ」


 授業の合間の休憩時間。
 華やかな女の子が3人、高らかな声音で僕を囲んで笑みの応酬中。

 転校当日から数日は、廊下側に座る僕を女子徒達が興味津々と鈴生りに眺めてきて、水族館の魚になった気分だったけれど、1週間が経った今、限定的な一部の女子生徒からはようやく人間扱いされて話しかけられるようになってきた。

 その限定的な一部というのが今ここにいる同じクラスの女生徒3人と、お昼休憩にやってくる別クラスや別学年の女子数人。

 周囲の噂話や様子を鑑みて要約すると、女子生徒間で必然的に篩い掛けが行われたらしく、家柄や容姿で勝ち残れたのが"彼女たち"というわけ。


 ――――ため息が出る。

 でも、

 「そうだね。仕事じゃないけど、日本にきてからあまり出かけた事はないかな。デートする相手がいないしね」

 僕は優しく微笑んで答える。

 「「「そう、なんですのね……」」」

 頬を染めながら俯いた彼女たちの中に、僕に特定の相手がいないという情報がインプットされた。

 この波紋がどういう影響を与えるか、これからの楽しみに1つになる。

 ふと――――、

 僕の視界に立ちはだかる彼女達の隙間から、自席へと歩む"彼女"の姿が目に入った。

 歩くたびに、ふわりふわりと柔らかそうな髪が肩の上に舞う。

 陽に焼けたスポーツマン風の男子と話しながら跳ねるように椅子に座る動作はまるで"ハウス"した小型犬みたいで、たとえば、トイプードルかポメラニアンかマルチーズ。

 アフガン・ハウンドが好みの僕としては、まったくターゲットに入らないはずなのに、僕の視姦に反応した子だからその気はなくても自然と目で追ってしまう自分がいる。

 あと5年くらいしないと、僕のスコープには入りそうにないんだけどね――――。



 「随分と可愛らしい人だよね」

 僕の呟きに、3人は「え?」と視線を追って振り向いた。


 「……佐倉さん……ですか?」

 困ったような顔をする、黒髪ロングの方の子。
 その彼女を囲んだ、右側の巻き毛の子と左側のショートの子が顔を見合わせ、苦笑する。

 僕は頬杖をついて笑って見せた。

 「君たちが大輪のバラだとすると、彼女は雛菊のようだから」

 「――――お好きですか? 雛菊」

 黒髪ロングの子がにっこりと笑って尋ねてきた。
 こういう生粋のお嬢様的な腹黒いカンジの子は嫌いじゃない。


 「僕は―――、バラの方が好みかな」

 この言葉に、3人とも納得したように微笑み返してくる。
 3人とも、それぞれにとても綺麗だけど、残念ながら僕の相手としては適わない。

 僕が組み伏せたいのは、僕の目線に反応する"女性"。
 僕を"愛人"と見れる"女性"。


 今のところ、それに適いそうなのは……、

 プラチナの指輪が、僕の脳裏をキラリと掠める。


 無理かな―――。


 「授業、始まるよ」

 チャイムが鳴ったのを切っ掛けに、僕は「またね」と言って教科書を揃え始めて見せた。

 彼女達は従順に挨拶をして離れていく。

 そろそろ、暖かさが恋しいかも―――――。


 ケリと離れて暮らす事による精神的な寂しさとは別に、渇望的な寂しさが身体的に募り始めていたのを、ほんの少しだけ、感じていた。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。