声をかけてきたミナコさん達に連れられて来たのは部活舎だった。 渡り廊下から舎に入ると、先導するようにカエデさんが右に進んで行くから、あたしも無言で従った。 すぐに左に曲がると、"生徒会室"という古びたプレートが下がったドアで行き止まりになっていて、あたしはそれを背に3人に向き合う状況になる。 この校舎は、今は入室稼働率はほとんど無いって聞いたことあるし、昼休み中だから尚更、人の気配なんか全然しない。 っていうか、この場所が完全に死角だし、こんなトコロでお話なんて、やっぱりいい内容は想像できない……よね。 「あの……」 しばらく続いた沈黙に耐えられなくて、あたしから声を出してみた。 「何か、ご用ですか?」 あたしの質問に、 「そうね―――、どういえばあなたでもお話が通じるか考えていたのだけれど」 と、ミナコさんが口を開く。 「どうお伝えすればあなたに優しく伝わるかしらと思って」 するとサヤカさんがクスリと笑った。 「ミナコ様、お優しいから。あなたでも分かるようにお話くださるって。よかったわね」 「はあ」 あたしは、頷くしかない。 どうせなら、話がまとまってから声かけてくれたら良かったのに――――。 「まあ、言いたい事は1つですわ。あなた、あまり調子に乗らないことよ」 え? 予想もしなかった切り出しに、あたしは目が点になっていたと思う。 そんなあたしを他所に、3人は感慨深そうな表情で次々とまくし立てた。 「薔薇の中の雛菊なんて、本宮様も上手くおっしゃったわね」 「ああ、佐倉さん。この事、誤解なさらないで? 身の程を知りなさいという警告なの」 「時々、本宮様があなたを見ているのは雑草が珍しいからなのよ。現に薔薇の方がお好きだっておっしゃってらしたし」 何を言われても、「はあ……」しか返せないあたし。 だって、内容に脈絡が無さすぎて、なんて答えていいのかすらも分からない。 「可愛らしいだなんて、調子に乗らないことよ」 「はあ、……え?」 あたしは一瞬、頭の中が真っ白になった。 ―――――可愛らしい? 「あなた! さっきから"はあはあ"ばかりですけど、私たちを馬鹿にしてらっしゃるの!?」 「えっ!? いえ、違います。ただ―――、」 さっきの流れから想像すると、本宮君との会話の中にあったって事だよね? "可愛らしい"って、そういう話になって、それが3人を怒らせたって事? 本宮君の、あの刺し込んでくるような視線を思い出す―――。 身体がゾワゾワして、やっぱり、なんかイヤだ……。 「さすがに、花菱の名を貶めただけの方のご息女ですわね」 「――――え?」 今度は、真っ白じゃなくて思考が完全に停止した。 「あなたのお母様の事よ。名家に生まれながら、学生の浅はかな恋に身を溺れさせ、跡継ぎという立場も忘れて家を出られるなんて」 「なあに? その顔。社交界では有名な話でどなたも知っている事よ」 「それでもこの学園に入れたのは、花菱のお祖父様からのお血筋のおかげでしょう? あなたのお父様の正体が見えたって皆噂してますわよ」 パパの、正体――――――!? 足の先から震えが上ってきた。 全身から、目の前の3人を厳しく拒否したい感情がわいてきた。 怒りというのは、こんな風に人を揺るがすんだって、初めて身をもって体感した。 「パパの正体って、どういう意味ですか?」 どうにか絞り出した言葉。 自分の声なのに、まるで他人のものみたいに、聞きなれない低いトーン。 そんなあたしの心に向かって、ミナコさんは高飛車な態度で言葉の鞭を振るう。 「あなたのお父様は、もともと花菱の財産目当てだっんでしょ? 香澄様が亡くなった今、あなたを使って取得できる財産を計算」 最後まで聞けなかった。 あたしは右手を引いて、ミナコさんの左頬を力いっぱい打った。 「きゃっ!!」 か弱く揺れるミナコさんの身体。 「……ママの事を言うのは構わない」 ママはいつも謝罪の念を持っていた。 跡取りという義務を放棄したこと、お祖父ちゃんを傷つけたこと、親戚やグループ社員の期待を裏切ったこと、いつもいつも、それを忘れてはいけないって戒めて暮らしていた。 寂しそうに笑ってた。 幸せそうなママに少しだけ見えた翳り。 だから、"あの世界"からしたら、それだけの事をしたんだって、ママのことは言われても仕方ないって、悔しいけれど、あたしだって分かってる。 でも、 「でもパパは! パパの事は! 一言だって悪く言わせない!」 そんなママを理解してずっと支えていたパパの事を、 ママが死んでから、ずっとあたしを支えてくれたパパの事を、絶対にそんなこと、言わせない! 悔しい、 悔しい……! 優しいパパの笑顔が記憶を過ぎる。 あたしの頭を撫でるパパの掌の重さが思い出される。 パパとママが見つめあったときの笑顔が、次々と浮かんでくる。 ―――――花菱の財産目当て 悔しいよ、ママ。 パパがそんなこと言われてるなんて、泣きそうなくらい、悔しいよ――――! 掌が、ジンジンと熱かった。 気を抜いたら、号泣しそうだった。 「あなた、こんな事を、そんな口を効いて、ただで」 もう、やめてよ―――――、 「―――――もうやめたら?」 鼓膜を擽る少し低めの声が、辺りに響いた。 あたし達がやってきた方から姿を現したのは本宮君で、 「……―――本宮様!」 一瞬驚いたような顔をしたミナコさんも、その彼に、縋るような甘えた声音で駆け寄った。 「酷いんですの。わたくし、お母様にもぶたれた事ないのに……」 「可愛そうに……」 本宮君の指が、ミナコさんの赤くなった頬を優しく撫でる。 ツキンと胸が痛んで、あたしは咄嗟に横を向いた。 これ以上、彼の顔を見たくないと思ったからだった。 やっぱり、本宮君は苦手だ―――――。 「―――――こんなに綺麗なバラなのに、蕾を開くと腐った蜜しかないなんて」 え? 「「「!?」」」 あたしと同じくらい、ううん。 あたし以上に、"3人の姫"は本宮君の台詞に呆然としていた。 「僕は、甘い蜜しか舐めないんだ。―――――それじゃあ、ごきげんよう」 あくまでも"天使の笑顔"でそう言いながら、あたしの腰を押してくる。 歩け、という事らしい。 取り敢えず、この場を立ち去りたいのは山々だったから、あたしは黙って従った。 歩いている間はずっと無言。 あたしの右側を歩く本宮君は、時々短いため息をついていた。 気が付くと、部活舎裏の雑木林。 「―――で?」 本宮君が徐に口を開く。 「え?」 あたしはワケも分からず聞き返した。 本宮君が眉間に皺を寄せる。 「どうするの? 泣くの? それとも戻るの?」 「え……と」 いつも教室で見せているような天使的な表情が一切ない。 綺麗な顔は、何を考えているのか想像ができないほどに無表情で、口調も、比べるほどに聞いたことはないけれど、いつもと全然違う気がする。 何も答えられずにいたあたしに、また、本宮君の溜息。 「―――ここまで連れ出したし、別に泣くまでは付き合わなくてもいいよね?」 「……」 「―――なに?」 不機嫌そうな顔になった。 「――――泣き、ませんから」 「そう。それじゃあ、僕はここで」 本宮君は迷いもなくあたしに背中を向けて歩き出す。 冷たい風が、あたしと本宮君の間に吹き抜けた。 煽られて舞散る葉っぱをいくつか視止めたあと――――、 「あ、お礼……」 あの場から救い出してくれた事へのお礼を言い忘れたのに気づいたのは、本宮君の姿が見えなくなってからだった。 |