土曜日。 朝からすごく天気が良くて、気分上々でお洗濯を繰り返してた。 溜まっていた洗濯モノももちろん、勢いで洗ったシーツやカーテンもパタパタとベランダで泳いでいる。 風が強いし、乾燥注意報も出ていたからか、あかりちゃんから電話がきた13時ごろには、全部綺麗に乾いてた。 『千愛理っ? 早く店来て!!』 開口一番のその大きな声。 あたしは一瞬反応が遅れて、 「え? あれ? 今日シフト入ってたっけ?」 『違う、今日は休みなんだけど、とにかく来るの!! 大変なのッ!』 「え? 注文混んじゃったの?」 『そうじゃなくてッ!』 「あかりちゃん……??」 要点を得ない、あかりちゃんにしては珍しい、こんな意味不明なやりとり。 『とにかく! きてええええええぇぇえええっッ!!!』 悲鳴を上げたあかりちゃんに、「はいいぃっ!」って返事をしたのは、 身内の"情"以前の、危機感だと思う。 ―――――― ―――― "フラワーショップあかり"に着くと、レジ台の近くに椅子が置かれて一人のスーツ姿の男の人が座っていた。 いつもは隅に追いやられている丸い石テーブルもその前に寄せられていて、もう湯気も立っていないコーヒーカップが半分中身を残した状態で放置されている。 お父さんと、同じくらい――――かな? ネイビー、辛うじてストライプ柄なんだと分かるくらいの濃いネイビーのスーツ。 中は、サラリーマン特有のYシャツとかじゃなくて、黒のタートルネック。 その襟元にさがるのは、緑色の小さな石がついた細いループタイで、黒縁の眼鏡が仕事の出来る人って感じのこの人にとても良く似合っていた。 「あなたが千愛理さんですか?」 その人は、あたしを視止めるとスッと立ちあがり確認する。 レジの前のいつもの椅子に座っていたあかりちゃんが肩を竦めて苦笑いして、だからあたしも、仕方なく頷いた。 「はい。佐倉千愛理です」 「そうですか。お会いできて光栄です、千愛理さん。私は桝井と申します」 「……はあ」 握手を求められて、あたしも思わず手を出した。 桝井さんに、ギュッと力を込めて手を握られ、あたしは首を傾げざるを得ない。 大人の人が、あたしのような子供なんかに意思を以て行動をする事に、なんだか胸がドキドキする。 「あかりちゃん……?」 あたしが怪訝に眉を顰めると、あかりちゃんが困ったような顔をした。 「実は、ね、千愛理」 「私が話しましょう」 桝井さんが手をあげた。 1枚の名刺を差し出される。 R・C 不動産企画部 整備課 課長 桝井洋一 それが、この男性の肩書き。 「単刀直入に申し上げます」 「あ―――、はい」 あまりにも真摯な眼差しを向けられて、あたしは身を構えて返事をした。 「佐倉千愛理さん」 緊張で、あたしの喉がゴクリと鳴った。 「――――――実はあなたに、弊社が営む関連店舗でのフラワーアレンジを担当していただきたいんです」 「……え?」 一瞬、桝井さんが何を言ってるのか判らなかった。 店舗のフラワーアレンジ? それって、専属で、お店を飾るためのアレンジをするって事だよね? 「あの……あたし、高校生ですよ?」 返せたのは、そんな言葉で。 「もちろん、知っています」 桝井さんは躊躇も無く頷く。 「それに、契約内容は、学生生活に支障がない程度で進めさせていただきます」 え……? 「まずは月1〜2程度で、都内店舗の担当をしてみてはいただけませんでしょうか? そこで様子を見ながら、千愛理さんに合った体制を整えて行きます」 えっと……? 「お給料の形態は、保護者であるお父様とお話をしてからと考えておりますが、千愛理さんからも希望があれば十分に、」 「あのッ!?」 あたしは思わず声を荒げた。 桝井さんが驚いた顔であたしを見ている。 あかりちゃんは、あたしが何を言い出すか分かっているみたいで、微かに「うんうん」と頷いていた。 「あたし、高校生ですよ?」 繰り返しになっちゃった。 でも、 「おかしく、ないですか? そんな、あたしの都合にばかり合わせた契約内容が前提なんて、普通じゃないと思うんですけど……」 「……私、不審ですか?」 「……すっごく、怪しいと思います」 桝井さんの後ろで、あかりちゃんが「うんうん!」と今度は大きく頷いていた。 「――――プ」 ぷ? 吹き出したかと持ったら、 「あはははッ!」 桝井さんは腹を抱えて笑いだした。 「あ、あの……?」 あかりちゃんが恐々と声をかける。 「ああ、すみません。いや、なんだか、いや、ツボっちゃって」 …… 呆気に取られていたあたしとあかりちゃんを余所に一頻笑った後、桝井さんはコホンと1つ咳払いをした。 笑いまくって、心底すっきりしたという表情が、とても印象的だった。 「失礼しました。なんだか久しぶりに清々しく笑いました」 「「……はあ」」 あかりちゃんと2人同時に、そんなため息に近い声を返す。 桝井さんの口許が緩んだのを見て、また笑いだすんじゃないかと期待してしまった。 「弊社の役員が、2週間程前にディナー用の小さなアレンジメントをこちらで購入したようでして」 桝井さんは困ったように笑う。 「甚くお気に入りの様子でした」 2週間前? 役員をするようなタイプのお客様って、いらしてたっけ? どのアレンジをしたお客様だろう? お客様のお顔は直ぐに忘れてしまっても、お花の種類や盛りのバリエーションで記憶を探る。 「以前から気になっていたんです。あの方は"花"を知り尽くしている方で、それを知っている私達は店舗内のアレンジにはいつも力を入れていましたが、日本の店舗では、新しい商品に目を輝かせるような評価が、ただの一度も、フラワーアレンジに対して向けられていない……。その事が、部署の達成感を色褪せさせていた」 「……」 「有名な華道家に頼んでも、世界的に有名なコーディネーターに頼んでも、結果はすべて同じでした。あの方の瞳は、一度だって感激に見開かれていない。R・Cの社員は家族同然なんです。日本の店舗で、彼女を一度も満足させていないという現実は私達にとって陰りでしかない……」 桝井さんは、ふと、 あたしに向けて顔を綻ばせた。 「そんな時、あなたの話を聞きました。月に一度、社員の声を役員に届けるWebディスカッション会議があって、それが3日前。 "1番のお気に入りだった本店のフラワーアレンジメントと何が違うか分からない。どんなアレンジなら気に入っていただけるんですか?" 当の本人は毎回欠席なので、ほとんどは社長に向けられた質問でしたが、その社長がこうお応えになりました。 "どんなアレンジが気に入るのかは判らないけれど、最近気に入っていたアレンジメントは誰がやったものかなら答えられる" それから2日後の昨日、彼女と一緒にこの店を訪れた方からの情報であなたの事を知り得たわけです」 "彼女" 一緒に訪れた方と……、 "2人連れ" ――――あ。 「……イプノーズ」 あの空気の綺麗な、黒髪の女性さん。 華月流の師範さん! ブラックカードの人! 「思い出したようですね」 桝井さんがにっこりと笑った。 「これで、千愛理さんにたどり着くまでの経緯はご理解いただけたと思います。これは、もしかすると私達不動産企画部の意地でもあるかもしれません。あなたにはそれに付き合ってもらって、もしかすると、何の成果も得られず、あなたを傷付けるだけに終わる可能性もある。それでも」 桝井さんは深く、頭を下げた。 「利用する気持ちで、我々に付き合ってもらえないでしょうか!?」 「―――――」 チラ、とあかりちゃんを見る。 堪えるように、口元が緩んでいる。 あたしはコクリと頷いた。 「桝井さん。頭、上げてください」 「!」 「あたし」 顔をあげた桝井さんに、あたしははっきりと告げた。 「やってみたいです!」 "利用するつもりで……" 決心をしたのは、桝井さんのその言葉。 あたしには、時間が無い。 のんびり、実績を積むなんて余裕は無い。 イけるうちに、どんどん前に進まなきゃだめなんだから。 もう一度あかりちゃんを見ると、もう笑いは無かった。 真っすぐにあたしを見て、改めて決意をした心を見透かしたように、深く、ゆっくりと頷いてくれた。 |