小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
PROCESSED


 ビルの前を走り出したベンツの後部席で、陽光に当たらないと黒にしか見えない艶やかな髪を耳にかけながら、ケリが心配そうに目線をくれた。

 「ルビィ……大丈夫?」

 彼女が僕を"ルビィ"と呼ぶ時は甘えている時で、久しぶりに会った今、思わずそんな口調になったのだと思う。

 「うん」

 僕が目を細めて応えると、

 「そう……、――――」

 しばらくの沈黙の後、


 「そのようね!」


 慈愛に満ちていたケリの眼が突然別の光を含んだのを感じて、僕は身構えた。


 「あれ? なんか怒ってる?」

 「こ・れ」

 ケリが人差指で僕の唇を乱暴に拭う。

 オータムブラウンのネイルに着いた、明るいオレンジ色の汚れ。


 ―――"知っている"色。


 「拉致さらわれてから今まで、結構タイトなスケジュールだったと思うけど、こんなこと! してる余裕はあったわけ?」

 「……ん〜」

 僕は少しの間迷ったけれど、まあロスに居た時と変わらず、正直に告げる。
 日本でしっかりと"高校生"をする約束だけど、これも一応"ちゃんとした健全な高校生"だろうしね。

 「可愛かった」

 ジョニー企画でちょっとだけ味わってきた"瞳ちゃん"の唇を思い出してクスリと笑う。
 不貞腐れたのか、ケリは足を組み直して僕に背を向けてしまった。

 「あっそ! こんなに心配して損しちゃったわ」

 「ケリ」


 僕はケリの手を取って、その汚れたオレンジの口紅を指で擦って拭ってやった。

 「心配かけてごめんね」


 呟きながらその手を口元へ運んで、ちゅ、と指先にキスを落とす。

 「爪、綺麗な色だね。この色が一番ケリに似合う。――――好き」


 囁きながら身を乗り出して、届いたケリの左頬にキスをする。


 「心配させたお詫びに、今夜はケリの好きなもの、食べさせてあげる」


 ケリがもっと僕に甘えてくる切っ掛けを、こうやって何度も作っていく。


 「―――もう!」


 ケリが、観念したと言わんばかりの可愛らしい苦笑を浮かべて、僕のクリーム色の髪を撫でてきた。
 髪に挿しこまれた指が「良い子イイ子」と語るように撫でつけてくる。


 マザ―コンプレックス、といわれればそうなのかも。

 他人がいる時の方が糖度があがり、「まるで恋人だな」とこれまでに何度も言われてきた。

 父親としては失格、夫としては最悪のあいつに縋っていたケリを見ている内に、その心震わす姿が愛しくて、たぶん僕の方にどんどん保護愛が芽生え育っていった結果なのだと思う。

 いつの間にか、彼女を1番愛しているのは僕だと言う自負もでき、甘やかす事ができるのも、僕だけだと思っている。


 彼女が1番に愛しているのは、決して"僕"では無かったけれど―――……。


 小さい頃から変わらない。
 ずっとずっと同じ距離。

 近いようで、果てしなく遠い、

 ――――そんな距離。



 『ケリの一番の騎士ナイトは僕だ』

 子供の頃から何度もそう宣誓をしたけれど、永遠の片想いだという事は良く分かっている。



 「―――パエリア、ね?」

 機嫌を直すよう努めてきたケリが、"またルビに窘められた"そんな悔しさを交えた目線で僕を見ながらリクエスト。


 「分かった。ケリのために美味しいの作るよ」

 「うん」

 頷いたケリの微笑みが、さっき街中で見た時と同じように自由に溢れていたから、良しとする。

 この彼女の満面の笑みを引き換えに、僕はいつだって1番じゃない寂しさを乗り越えてきたんだから―――――。





 材料を買い込んで料理したパエリアを秘蔵の赤ワインと楽しんだ後、程よく酔ったケリは僕の膝枕で深い眠りに落ちていた。


 このマンションは、日本に帰国してきた時にタイミング良く売りに出されたのをケリ自身が気に入って即決で購入。
 その後、越して来てまだ2週間足らずのはずなのに、初めて訪れた部屋はすっかり彼女の香りが染みついていた。

 ほろ酔いでソファの上で寝入っていたケリの頭を膝枕してやる。

 ケリの髪を何度か指で梳いていると、トーマがブランケットを持ってきて掛けてくれた。

 「ありがと」

 「今夜はすんなりと眠ったようですね」

 トーマが細く息を吐いた。

 「―――まだ泣くの?」

 僕のその質問は、今ケリの傍にいるウェインに向けて。

 察したウェインが窓側に立ったまま、深く頷く。

 「ええ。お酒が入ると特に泣きます……。でもお酒を入れないと眠れない……」



 「泣けるほどの負のループです」

 トーマも苦笑いで相槌をうった。
 彼も、身内とは違う形態の愛を同等の大きさで彼女に向けている人間の一人だ。

 「声を殺して泣くのを視るのが、また堪えます」

 ケリの寝息と共に、漂う沈黙。

 「―――きっといる」

 そんな僕の言葉に、2人が反応した。

 「絶対に見つける。ケリの心全てを絡め捕れる程の、相手を……」


 決意を口にした時、僕は何故か、昼間に出会った天城アキラを思い出した。

 長い手足、整った顔、そんな見た目じゃなくて、男っぽい存在感から零れる色気。
 艶やかな漆黒の髪と、女性を視留めて動けなくしそうなあの藍色の瞳。
 厭味の無い話し方。

 本気になれば、きっと全身で愛し抜きそうな大人の男性だと思った。

 僕も、好きになれそうな人だった。

 もう少し話をしていたら、恐らく僕は魅了されて、"試してみたい"と衝動に駆られたかもしれない。

 けれど、残念なことに、職業で予選落ち。

 "俳優"は二度と、異性として彼女に近づけさせない。



 「今日……天城アキラという俳優に会った」


 「アマギ、アキラ?」

 復唱したのはウェインだった。


 「うん。"Stella"の次のイメージキャラクターに日本から唯一エントリーしてる俳優」

 ウェインが、珍しく驚いたような顔をしていた。

 「―――連れられて行った、あの事務所で会ったんですか?」

 「うん。エントリーに添えられていた写真より、実物の方が数段良かったよ」

 トーマが、またウェインとは別の意味で驚いた顔をした。

 「貴重ですね。あなたのお眼鏡に適う相手は――――。しかもあなたがそれを語るなんて……」

 「まあ、俳優って時点で範囲外だけどね」


 冷めた目を記憶に向けた僕の言葉に、トーマがふと真顔になる。


 「――――本気で、探す気ですか?」


 ウェインも、同様の真剣さで僕を見た。

 「"探す気"のとは違うかもね。正しくは"排除"する、かな」


 そう。


 ケリに相応しいかどうかは、僕が決める。

 それ以外の奴は、出会っても、それ以降はケリの眼に入らないように画策する。

 だから、

 「ウェイン。君の役目は重要だよ」

 「承知しています」


 睨むように命じた僕に、ウェインはしっかりと頷いた。








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