小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
PROCESSED


 放課後。

 いつもの時間にトーマが迎えにやってくる。

 車での送り迎えなんてこの学園では珍しくなくて、どちらかと言うと、乗降用で造られたロータリーを廻る間が御家自慢の時らしい。


 くだらない。


 「本宮様、ごきげんよう」

 「ありがとう。また明日」

 「ごきげんよう、本宮様」

 「うん、また明日」

 声をかけられれば微笑みを返す。


 車内に隔離されるまでその繰り返しだ。

 毎日毎日、その繰り返し。


 「ねぇ、トーマ」

 走り出したベンツを操るトーマに、僕は遠慮もなく声をかける。

 「大学まで卒業した僕がさ、この学園に通う意味、ある?」

 すると、バックミラーの中で彼は笑った。


 「皆無ですね」

 「だよね」

 「――――でも」


 言葉を切ったトーマに、僕は「ん?」と目で合図して続きを促した。
 目尻を下げて、遠慮がちに口を開く。

 「今日は、いつもより気分が良さそうですよ?」

 「……」


 鋭いな――――。

 沙織先生を抱いた余韻が、自分の中にまだ残っているのを自覚していた。
 コトは学校の中。

 シャワーが浴びれるわけじゃないから、二人が混ざった時の香りが、体のあちこちに残っている。


 「クリスマス帰省は必要無さそうですね」

 「うん」

 別に隠す必要もないから、素直に頷いた。

 久しぶりの女性の身体は、暖かくて、柔らかくて、
 ケリと離れた事によりぽっかり空いていたらしい心の隙間を、たっぷりと埋める事が出来た。


 特に、沙織先生だったから良かったんだ。

 いいタイミングであの部屋に行けたと思う。

 今日で無ければ、"男と女"として相対する時なんて永遠に来なかったように思う。


 「ルビ。このままマンションでいいですか?」

 「うん」


 返事をしたのと、ソレを車窓に見つけたのは同時だった。


 「――――トーマ、停めて」


 言いながら窓を開けた。


 道向こうの小さな公園。
 白邦学園の白いブレザーを着た女の子が、錆びたジャングルジムの傍で浮浪者らしき男に行く道をふさがれていた。


 「――――千愛理?」

 思わず僕の唇から漏れたその名前。

 トーマが振り返る。


 「お知り合いですか?」

 「うん、クラスの」

 「あ、ルビ!」


 トーマの声を背後に訊きながら、僕はドアを開けて車を飛び出し、徐行してくる車の間をすり抜けて道を渡った。

 その間にも、千愛理は困惑の顔で何かを必死にその男に伝えている。 
 公園に入ると、ようやくその声が聞こえてきた。


 「あの、本当にもう持っていないんです。ごめんなさい」

 薄汚れた男に向かって真摯に頭をさげる千愛理。


 「あ……あ……」

 男は手を伸ばし、千愛理の手首を掴もうとしているように見えた。

 持っていたカバンをギュッと抱きしめて、千愛理の身体が固まったのが分かる。


 僕は財布から1万円を取りだした。
 千愛理と男の間に割って入り、

 「はい、これでもう彼女に用はないでしょ」

 伸ばした男の手に一万円札を握らせる。
 少し驚いた顔をした後、男は何度も頭を下げながらその場を去って行った。


 「本宮……君?」


 震えているような千愛理のか細い声が僕を呼ぶ。
 それに応えるように、盛大なため息を訊かせてやった。

 「もう持ってないって、まさか、幾らかあげたの?」

 「あ……、違うの」

 千愛理は首を振った。

 「飴をあげただけ」

 「は?」

 「だから、飴」

 「……なんで?」

 「あの人、ゴミ箱からジュースの缶を探して飲んでいたから、甘いものが欲しいのかと思って」


 千愛理の背後に見える水飲み場。
 喉が渇いていたのとは違う渇きに、応えてやったってワケか。


 「君、バカ?」

 僕は思わず口にしていた。


 「……え?」

 千愛理が目を見開いて僕を見上げている。

 苛々する。

 この、無知で無防備な感じに――――。


 「何を考えたか知らないけど、女の子が1人の時にする行動じゃないよね」

 厳しい口調で告げると、さすがに彼女も空気を読んだらしく、鞄を抱く指先がみるみる白く変色した。


 風に揺れるふわふわの髪。
 同じように揺れる、瞳の奥。

 しまったと思った。

 嫌な気分が胸にせり上がる。


 泣く、かも―――――?


 「でも……水や食事ならともかく……甘いものなら持ってたし」

 そこまで言って、千愛理は顔をあげて僕を真っすぐに見つめてきた。


 「そうしたいって思ったの」

 「!?」

 思わず突き動かされてしまいそうな、強い意思の眼。

 変な感覚が僕を走る。



 僕の、

 奥が、

 見られている―――。



 千愛理の視線が、まるで可視となって僕に侵入してくるようだった。


 「!」

 慌てて目を逸らす。



 ――――


 今のは……?



 確かめたくて、もう一度千愛理の目を見つめ直した。

 既に、教室に居る時と変わらない彼女の眼に戻っている。


 さっき―――?


 ……違う。

 気のせいだ。


 「本宮君。助けてくれてありがとう。あの……あたし今、お金、持ってなくて」

 「―――別に要らない」

 「でも、あたしのせいだし、もうすぐバイト代入るから、その時まで待ってもらって、」

 困ったように言い続ける少女に、


 「そんなに言うなら」


 と僕は笑った。


 「身体で払ってくれてもいいよ?」



 「――――え?」



 千愛理が動きをピタリと止めた。


 本当は、1度触れてみたいと思ってた。
 千愛理の髪の先に指を絡めてみる。

 手触りは、悪くない――――。


 「……どうする?」


 視線を送る。

 千愛理の眼の奥に流し込む。
 僅かに開かれた唇が少し震えていた。
 僕の視線から、僕の意思を感じている事には間違いないと思う。


 さっきのような感覚は返ってこない。

 (やっぱり、気のせいだったのか―――?)


 目の前の千愛理は、全力で困惑している様子だった。
 感じているものが官能とは、もしかすると知らないのかもしれない。

 見る見るうちに、千愛理の顔が燃え上がるように真っ赤になった。


 「お……驚いた」


 絞り出すような、そんな声。


 「本宮君でもそんな冗談言うんだね」

 「――――え?」


 「あの、本当にありがとう。また明日、学校でね」


 僕に一礼して、千愛理は公園の外へと駆け出して行った。
 左右に跳ねるプリーツスカートが、あっという間に角を曲がって見えなくなる。


 取り残される形になった僕の傍にきて、トーマが笑った。

 「珍しいですね。あんなに放出されたルビのフェロモンにかからない女性は」


 その口調に、逆撫でされた気分になった。
 ムッと応えてしまう。


 「まだ"女性"じゃないからだよ」


 そんな僕の態度が楽しいんだろう。
 クスクスと笑いながら「なるほど、確かに」と頷いた。


 「行こう」

 トーマを促して歩き出す。



 「それにしても、あの子、どこかで……?」


 耳に届いたトーマの独り言には、敢えて反応もせずにやり過ごした。









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