小説:クロムの蕾


<クロムの蕾 目次へ>


GREENISH BLUE
PROCESSED


 どうして、"佐倉千愛理"なんだろう――――。


 考えれば考える程、わからない。

 これまで僕が相手をしてきたのは、全てこの"視"に反応した女性達ばかり。

 彼女達は僕とのセックスを愛してくれたし、"愛人"としての一線を越えようと暴走された事は1度も無く、それぞれに愛する男性もいて、ある程度の時が経つと大抵は僕の方が終わりを告げられてしまう。

 逆に言うと、ソレに反応しない女性を抱いた事はないから、"行儀がいい付き合いとあっさりとした終わり"が僕に起因しているのかどうか、定義付けはできていない。


 これはただの、僕の中のルール。
 日本で言うゲン担ぎに近いのかもしれない。

 それを遵守していれば面倒は起きない――――ってね。



 僕が"視姦"と呼ぶこの女性に対する問いかけは、別に超能力のようなものじゃない。

 引き金は、僕の容姿と、捕える瞳の色と、呪縛する網膜の模様。


 ルネ曰く、

 『セックスは本能なんだよ。オスとメスの探り合い。目が合った瞬間に判る。ああ、こいつとは合うな、あ、駄目だ、萎える、ってね。よりよい子孫を残すための本能で、野性的な勘が働く女が、お前のそういうフェロモンを察知しているんだろ。……そしたらお前、目が合った女ほとんど喰う事になるな。―――って事は最終的に、実はお前が好みで選んでるだけなんじゃないの?』


 大輝曰く、

 『脳の対処の違いだと思うよ。女性は、美しい君に見つめられる事でドーパミンを通常より多く分泌させ、活性化し、脳のシナプスの連動を音速にする。そして、脳が共感して反応するんじゃないかな。

 "優しくされたい、恋人になりたい、愛されたい"という精神的願望と、
 "セックスしたい、繋がりたい"という肉体的願望。


 君のいう"反応する女性"というのは、愛する人はいるけれど、肉体的に君と繋がってみたいという判断を、いち早く脳が決断した結果に過ぎないと思うよ。
 普通なら時間をかけて判別する事も、君の存在がトリガーになって、人生においてのセックスできる女性との出会いのローテーションがうまく高速化しているだけ。

 ――――まあ、あくまでも僕の個人的見解だけどね』



 『あ〜、やだやだ。お前に抱かれる子猫ちゃん達が哀れで仕方ないよ。やってる最中にも頭で色々考えられているのかと思うと、そのうち乾いちゃってそうで……。ルビ、お前、絶対影響受けるなよ』

 『ルビ。どこかの博愛主義者が売りにしている、野性的な快楽を求めればいいという持論を甘受してはいけないよ。一人の女性をじっくり堪能して、指先一つで細胞の隅々まで操れるようになった経験があるのとないのとでは、相手する女性の"格"に差が出るから』

 『は? 俺様の子猫ちゃん達にいちゃもんつける気か?』

 『飼い主へのクレームですよ。あなたに相手をされなくなった子猫ちゃん達がノラ猫と化して、優秀なルビのブレーン候補に"乗りまくって"いるんです。捕まる方も捕まる方ですが、元の飼い主に、捨てる時は躾を完了してからにしてほしいと思っただけですよ。まあ、過度な期待だとは知っていますから、ただの愚痴だと思って気にしないでください』

 『……!!』



 ――――……

 思わず、懐かしい記憶が蘇った。

 あの時も、結局は大輝の完勝。



 大学に通っていた頃は、僕の部屋でこんな話をしながら夜更かししてたな――――。



 ―――本能で子孫を求める女性
 ―――肉体的に繋がりたいという欲求を持つ女性


 千愛理は、どちらにも当てはまらない。
 彼女はまだまっさらで、"そういった欲望"を知らないはずだ。


 なのにどうして……


 彼女は僕に反応するんだろう。


 そして、




 何故僕は、



 「……」


 千愛理の髪を撫でた指先を見る。


 何故、僕は――――

 ―――――――



 「ルビ、着きましたよ」


 車が停止したと同時にかかる、トーマからのその声にハッとする。

 窓の外を見ると、僕のマンションの地下駐車場だった。

 膝の上で開いたまま、結局操作することがなかったモバイルPCをカチリと閉じる。

 それを鞄に詰める間に回ってきたトーマが外からドアを開けてくれて、

 「ありがと」

 「いえ」

 僅かに顎を引いたトーマが、微笑んでドアを閉めた時だった。



 「―――――――どうも」

 低い、第三者の声。


 「「!?」」


 即座に、トーマが対応して僕の前に立つ。
 背後に守られた僕は、ゆっくりと鞄を持ち直した。

 紫のラム皮調のロングコートを着て、濃いブラウンの耳を隠す程度の真っすぐな髪が印象的。

 不敵な笑みは警戒心をフルに湧き立たせる。


 「本当にボディガードがついてるんだな。おっと、排除される前に彼に身分を証明しとこうかな。どうも、ジョニー企画の遠一はじめといいます」


 途中で言葉が挟めないようにか、持った名刺をひらひらと揺らしながら、一気に述べた遠一はじめ。

 ケリの前から、そしてこのトーマとウェインの前から、スカウトの名目で堂々と僕を掻っ攫った一人だ。

 最後まで表情が読めない男で、あの樋口という統括マネージャーの部屋を出る時は思いっきり存在を無視してやった。



 「……お電話を差し上げたトーマ・カミドウです」

 僕を隠したまま、トーマが告げる。

 「スカウトの件はそのお電話で正式にお断りしたはずですが……、それよりも、どうしてここが?」


 僕が最も答が欲しかった質問を投げてくれた。
 遠一はじめはニヤリと笑う。

 「便利な世の中でね。心の呟きが文字になって見えるから、天使のような美少年がどこにいるかなんて、リアルタイムで実況中継されてるようなもんだ」


 そうか……。

 ロスでは僕は地元の子供で、有名ではあったけれど、出かけたくらいでツイートされる事は少なかったから警戒していなかった。


 「樋口さんの命令でね。どうしても君をスカウトしたいって。諦めきれないってさ」

 トーマの存在を通り過ぎて、僕の方へと話しかけてくるから仕方なく応える。

 「困ったな」

 ふわりと、笑うのを忘れない。


 「―――お前さ、それ、やめとけよ」

 遠一はじめが鼻で笑った。

 「作り笑いが気持ち悪ぃ。なんか昔の知り合いを思い出すわ」

 頭を掻きながら、今度は思い出を捲ったような遠い目。
 会って間も無いのに、僕が見た目通りのゆるりとした性格じゃない事を見抜いた事には感服するけど、


 「――――あなたがそう感じて気分が悪くなるのは、僕の問題じゃありません」

 っていうか、どうでもいい。
 そう返すと、今度は唇の片端だけを上げて僕を見た。

 「まあ、そうだな」

 本当に、くだらない事に時間を使わされたと思う。
 意味の無い時間は、惜しむ感情がその喪失を倍に思わせる。

 たかが数分が、僕の気分では1時間にも似た浪費を思った。
 ロスに朝が来るまでに、仕上げなきゃいけない資料が幾つもある。

 「トーマ、行こう」

 「はい」


 入り口に向かって歩き出した僕を、遠一はじめの視線から庇うようにしてトーマがついてくる。


 「あッ、ちょっと待てって!」


 遠一はじめの腕がグッと僕に向かって伸びてきた。


 その手首を、喰らい付くように掴まえたトーマの手。
 そのまま腕ごと背中へと捻りまわされた次の瞬間、遠一はじめの身体は、足を払われた拍子に地面へと抑えつけられていた。


 「いってぇッ! ちょ、ま、ギブギブ」

 「――――ここがロスなら、僕はあなたを殺している」


 遠一はじめの耳元で、トーマは囁くようにそう告げた。

 いつもは笑みで細められているその目が無機質に光り、優しく携える雰囲気は霧散して、残ったのは冷酷そのもの。

 ケリの傍にいた僕でさえも滅多に見る事は無かった、トーマのボディガードとしての顔。



 ライセンスを持っているからには、訓練を受け、合格し、もしかすると、その職歴の中で人を殺めた事があるかもしれない。

 「二度と、彼に近づかないでください」


 遠一はじめの目が驚きに見開かれて、しばらく、その黒水晶の瞳にはトーマだけが映っていた。


 「これは、お願いではありませんよ?」


 トーマが念を押した時、駐車場の入り口から人の声。


 「本宮さん!!」
 「本宮さん! 大丈夫ですか?」


 やってきたのは、警備会社の制服を着た2人の男だった。


 僕は軽く手をあげて見せる。

 それを合図に、トーマは遠一はじめから手を離し、警備員の一人が無線に報告を始めた。


 「本部、対象の無事を確認しました!」

 『ガガッ……了解』


 「おいおいおいおい」

 手首が痛むのか、摩るようにして起き上がりながら、周りの状況を一瞬で察した遠一はじめは、今後の展開を予測してそんな情けない声を上げる。

 警備員の1人が遠一はじめの前に立ち、もう1人が僕達の前に立った。


 「ご無事で何よりです」

 僕は、コクリと頷いて微笑んだ。

 「ありがとう。来てもらえて助かりました。度を過ぎたスカウトで……すみません。思わずスイッチを入れてしまって……。この人については警察に訴えるつもりはありませんが、そちらで対処してもらえると助かります」

 「了解しました」


 少し頬を赤らめて僕の話を聞いていた警備員に踵を返し、僕はマンションの入り口へと足を向けた。
 トーマも「では、よろしくお願いします」と一礼してから僕の後をついてくる。

 暗証番号を入力してドアを開けた時、

 「いつ呼んだんですか?」

 すっかり元の穏やかな表情に戻っていたトーマが僕に尋ねてきた。

 「車を降りた後すぐ。絶対面倒くさい奴だと思ったんだ」


 僕の返答に、トーマはクスクスと笑った。

 「ルビは、ああいうタイプは苦手そうですからね」


 「……」


 エレベーターのボタンを操作するトーマに顔を向ける。

 笑い方がいつもと違った。

 珍しく、僕に心を開いている気がする。


 「……まあね。――――でも」



 僕は意を決してそれを言った。

 「トーマは、きっとタイプだよね」

 ぴたり、とトーマの笑顔がとまった。

 向けられた怪訝な眼差しを真っすぐに見返す事で、僕が何を知っていてそれを告げているのか、その意味が次第に伝わったようだった。


 「――――――ルビ」

 動揺でその黒い瞳が揺れている。


 「別に、責めようと思って口にしたワケじゃないよ」

 「……」

 「"あいつ"のどこが良くて付き合っていたのかは知らないけど、過去の事だし、何にしても、浮気された方のケリが許してるんだから僕が言う事じゃないしね」


 「―――なぜ、今?」



 チーン。

 最上の7階にたどり着いたエレベーターの扉が開かれた。

 「そんなくだらない事で僕に負い目を感じて一緒に居られると迷惑だから」

 「!」

 「予想外に、ケリのギブアップも先みたいだし、そうすると卒業まで最長2年、腫れものを触るみたいに遠慮して傍に居られても疲れるだけだからね。―――気にしてたんでしょ?」


 僕の問いかけに、トーマは目を伏せる。
 やっぱりね。

 でも、父親である"あいつ"がバイセクである事と、トーマが"あいつ"の浮気相手の一人だった事とは、既に次元が違う問題だ。

 当事者であるケリが、信頼して傍に置いている時点で、過去は全て清算されたと部外者は受け止めるべきだと思う。

 「気にするなら、僕の言い分を受け入れる事だよ」

 「……ありがとうございます」


 口にされたお礼には応えず、僕は普段からの疑問を投げかける。


 「ねぇ、ケリの周りってゲイの人口密度、高いよね?」

 「―――確かに」


 微かに、トーマが笑って応えた。

 「彼女が、そういった事に偏見がまったく無い人間だからでしょう」

 「確かに……」

 今度は僕が応える。



 「素晴らしい人です」

 ため息のように囁くトーマの顔は、ようやく普段のものに戻っていた。









著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。