小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
PROCESSED


 「ごきげんよう」
 「ごきげんよう」

 上品な朝の挨拶が方々で繰り返される教室の一角で、

 「おはよ、佐倉」
 「おはよ、藤倉君」

 席について鞄を横のフックにかけながら、前に座っていた藤倉君にあたしはいつも通りの挨拶をする。

 「もう寒いね」

 「11月入っ、・・ふあ、・、たしな」

 途中、欠伸をしながら話す藤倉君。
 スポーツマン特有の爽やかなイメージから、少しだけポイントがずれて可愛かったりする。
 あたしは思わず笑ってしまった。

 「ふふ。また遅くまでゲームしてたんでしょ?」

 「健斗が戻るまでに制覇しとくんだよ」

 「健ちゃんに借りたヤツ?」

 「そう。もうすぐ大会もあるからさ、体力あるうちに攻略しとかないと」

 「サッカー?」

 「うん」

 頷いて、また欠伸をする藤倉君。
 考えてみれば、1年でエースストライカー。

 「クラブでも選抜された事あるし、結構……凄い人と話してるよね、あたし」

 「へえ、佐倉にもそういう感覚あるんだ?」

 意外そうに目を見開く藤倉君に、あたしは首を傾げた。

 「え? どういう意味?」

 「んんー、佐倉ってさ」

 言いながら、藤倉君があたしの机に頬杖をついた時だった。



 「おはよう」


 ドクン。


 「―――え?」

 まだ聞き慣れない、少し低めの甘い声。
 頭の中をざわりと撫でるような、不思議な感覚を齎すその、声。

 ゆっくりと、声のした方を振り向くと、ふんわりとした天使の笑顔で本宮君が立っていて、外光を浴びてヘーゼルの瞳が尚更キラキラとして見える。
 朝一番でも、まったく隙がない眩しい美少年。

 「お、……はよ」

 どれだけ緊張してるんだろう、あたし。
 情けない事に、ドキドキが喉に上がってきて苦しくて、挨拶すらしどろもどろ。

 そこに、

 「おはよう、本宮」

 あたしをフォローするように、藤倉君が入ってくれた。
 本宮君が、微かに困ったような表情を見せる。


 「―――おはよう、……えっと」

 あ、そっか。

 名前、

 「オレは藤倉貢。佐倉とは同じ中学だったんだ」

 察した藤倉君が自己紹介をする。

 「よろしくな」



 さすがスポーツマン。
 右手を差し出す動作が、自然に爽やかです。

 「こちらこそ」

 本宮君もにっこりと応えた。

 目の前で交わされた握手を少しの間ぼんやりと見守っていると、藤倉君が本宮君の席がある方に目線を向ける。

 「珍しいな。本宮が自席を離れるなんて」

 「そうかな」

 「そうだろ? いつも女の子に囲まれてて動けないじゃん」

 物怖じしない彼にはっきりと言われて、本宮君は苦笑した。

 「良い子達、なんだけどね」

 あたしも思わず視線を向けてみると、ミナコさん達の代わりに最近馴染んできた新しい3人の取り巻きと、窓の向こうや廊下には、他クラスの女の子達が待機してる。


 「!」

 あたしは、本能的に危機を感じてすぐに目を逸らした。

 こちらに、――――というよりも、多分、あたしに向けてる視線が、怖い、――――かも?

 俯いたあたしの挙動不審に気付いたのか、藤倉君がぷぷ、と笑う。


 「あ〜、そうだね、佐倉はあっち見ない方がいいかも」


 や、やっぱり?


 心臓が止まりそうなくらいの冷たい目線。
 彼女達の視線で、刺殺されそう――――。

 「で? どうしたの本宮。佐倉に用事?」

 「うん。ち――、……佐倉さん、これ」

 「あ」

 本宮君が制服のポケットから出した封筒を見て、あたしは顔を上げた。
 真っすぐにあたしを見つめてくるヘーゼルの瞳に捕まってしまう。


 「僕、要らないって言ったと思うんだけど、うまく伝わってなかったかなって」

 「……」


 目を細めて、優しく諭しているように見えるし、聞こえるんだけど……。


 "僕、要らないって言ったよね? なんでこんな事してんの?"


 綺麗なその目の奥に、そんな直訳が秘められている気がするのは……、

 ―――気のせいじゃない。


 本宮君の手にあるその白い封筒。
 この前、公園であたしを庇うためにあの男の人に渡してくれたのと同じ金額が入ってる。

 一昨日の放課後、机に残ってたノートに挟んで返したんだけど、重なった目線からビシビシと伝わってくる本宮君の苛立ち。

 もしかして、
 ううん、結構、機嫌、

 悪い――――かも。


 「あの……ごめんなさい。でも、あたしのせいだし、あたしも、返さないと気が済まないっていうか……」


 そうだよ。
 あたしの言い分だってあるし。

 目の前で1万円も出されてるんだよ?
 知らないふりとか、絶対無理。

 負けずと、睨み返してみる。


 「……」

 本宮君が、僅かに頬をピクリとさせた。


 あ、

 雰囲気が変わった。

 本宮君の眼差しに、今までと違う色が映った気がする。

 ―――でもやっぱり、あんまりいい意味じゃない気がするのは、


 ……・あたしの気のせい、だといいな……。


 「携帯かしてもらえる?」

 「――――え?」

 「携帯」

 完璧な微笑みで、あたしの目の前に意外と大きな掌を差し出してくる。

 「え、あ、」

 あたしが慌てて制服のポケットから携帯を出すと、

 「ロック解除してもらってもいいかな?」

 透かさず満面の笑みで指示が来て、あたしも思わず従ってしまう。

 「あ、はい」

 解除した途端、あたしの手から奪われた携帯。


 「え?」

 呆気に取られて、為す術も無く事態をぼんやりと見つめていると、自分のスマホを右手、あたしの携帯を左手に持った本宮君はそれぞれを器用に操作してた。

 多分……やっているのは赤外線通信。
 しばらくすると、操作が完了したのか、あたしの方へ携帯を戻してくる。

 「佐倉さんも頑固そうだし、僕も一度出したものを受け取るのはちょっとね……。だから、いっそのこと二人で使わない?」

 「――――え?」


 「時間が合う時でいいよ。それまでは僕が預かっておくから。ね?」

 「あ……、うん……」

 「それじゃ、メールするね」


 と、尻目にあたしを見ながら席へ戻って行く本宮君。
 その彼の向こうには、殺気を隠さない鈴生りの女の子達。


 「へえ、本宮とデートするんだ?」

 「えっ!?」


 突然耳に入った藤倉君の言葉に、あたしは予感した悪夢を一瞬で吹き飛ばした。


 「デ、デート!?」

 「だって、今のってそういう事だろ?」

 「え?」

 時間が合う時をメールで連絡して、外で会って、一緒にお金を使える事をする。

 ――――うーん、



 言われてみたら、デートと呼べるシチュエーションに見えなくもないかも。

 でも……、


 「違うよ」


 あたしははっきりと藤倉君に言える。
 藤倉君の目が、少し驚いたように見開かれた。


 「多分本宮君は、清算したいだけなんだと思う。関わった事で生じた、プラスやマイナスを」


 そう。

 本宮君は、あたしの事、きっと煩わしいと思ってる。
 この前、ミナコさん達の前から連れ出してもらった時もそうだし、公園で助けてもらった時もそう。

 「―――そうか?」

 首を傾げた藤倉君に、あたしは改めて頷いて見せた。


 「そうだよ」

 その証拠に――――、


 チラリと、顔を黒板に向けると、視界の隅に入ってくる本宮君の姿。

 女の子に囲まれて、相変わらず甘く優しい笑みを零している。
 女の子の見つめ方とか、女の子への触れ方とか、本当に絵本の中に描かれた王子様のようで―――、

 そんな彼を見て、女の子達はきっと乙女心が煌めくんだと思う。

 でも、あたしと二人の時は、本宮君は優しい王子様じゃない。


 うん。

 どちらかというと、

 アレって、


 『身体で払ってくれてもいいけど?』


 ――――"王様"


 うん。


 "王様"……。


 ミナコさん達に向けたあの言葉。

 『僕は甘い蜜しか舐めないんだ』

 君たちは甘い蜜を持っていないと告げたうえで、……敢えて強い言い方をすれば"とどめを刺した"、本宮君。

 それまでは優しかったのに、その行動を嫌悪して眼中になくなったら本宮君の振舞いは、王子様じゃなくなった。
 あの時から、ミナコさん達に王子様でいる必要を感じなくなったんだ。


 あたしにも同じ。

 本宮君はあたしには、

 ――――というよりも、"あたしには最初から"、


 冷静な琥珀の眼で、高みからの王様的な態度だった―――――。

 だから、藤倉君の言うように、デートとか、そんな甘い言葉に替えられる展開じゃないのは、

 うん。

 ――――間違いないんだ。


 その時、そわそわと自分の心に巣食っていたのが、その事実を寂しいと感じる想いだったなんて、

 気がつくのは、もう少し先の事……









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