小説:クロムの蕾


<クロムの蕾 目次へ>


GREENISH BLUE
PROCESSED


 僕が学食に入ると、まるで侵入した異物を物珍しく見るような目線があちこちから送られてきた。
 拒むような雰囲気ではなく、驚きに溢れた反応で、僕としては気にするほどのものじゃないけれど、かなり不躾な視線には違いない。

 学園の案内をされた初日以来、初めて足を踏み入れたそこは、僕が知るロスの大学の開放的なカフェテリアとは全く違う印象で、食品サンプルで紹介されたメニューは1000円以上、内装はホテルのレストラン風。
 テラスに出られるらしいステップダウンするフロアには木目のテーブルと椅子で、そこ以外には高級なソファとテーブルセットが配置されていた。

 天井は高く、小さなシャンデリアが幾つも並んでいる。
 フロアの仕切りに置かれた大きな石像も印象的だ。

 まるでどこかの迎賓館のような趣があるのに、そこを利用するのは、同じ制服を着た生徒達。
 生かされている水槽の中の、魚達。
 これこそ、異質なものを見る眼で、僕は眺め返していたと思う。


 その中から――――、

 (いた)

 少し前まで、教室の僕を取り囲んで独占していた彼女達。
 歩み寄る僕を捉えて、うち一人がもう一人に耳打ちした。

 「ミナコ様」

 そう、そんな名前だったかな。

 「少しいいかな?」

 僕がニコリと笑って尋ねると、彼女は僅かに眉を顰めて、それでも割と早く態勢を整えた。

 「どうぞ、本宮様」

 唇の端が少しだけあがる。
 それを合図に、僕はちょうど彼女の向かいになる位置のソファに腰掛けた。

 「どのようなご用件ですの?」

 「佐倉千愛理の事なんだけど」


 僕が言うと、周りの二人が「まあ」と声を上げた。

 耳障りだ。
 不機嫌にそう思った時、

 「―――静かになさって」

 向かいの彼女は尻目にそう命じた後、伏せ目のまま僕を促した。

 「それで?」

 ―――ふうん。

 「彼女、これまでも時々誰かの手を煩わせているようなんだけど、君なら詳細を知っているかと思ってね」

 「―――知って、どうなさるんですか?」

 「さあ」

 「……」

 彼女は、しばらく無言のまま食後のコーヒーで唇を潤し、そのカップを置いてから、改めて真っすぐに僕を見た。



 「この学園には、―――花菱の"姫"がいらっしゃるんです」

 「花菱の"姫"?」

 「この前……」

 間をおいて、長い黒髪を肩から払う。

 「この前、少し聞いていらっしゃったと思いますけど、佐倉さんのお母様は花菱財閥の現会長の一人娘で、その香澄様が亡くなられてからは、会長の実弟のご長女の旦那様が実質的な跡取りとしてグループの社長をしていらっしゃいます。"姫"とは、そのご夫婦のご息女の事ですわ」

 つまり、千愛理の又従姉妹。

 「……その"姫"が?」

 「というよりは、その取り巻きが」

 敢えてその言葉を使い、彼女はクスリと笑った。
 チラリと視線を遠くにやって、その意味深さに目を向けると4〜5人の女の子のグループ。
 その中に、少しだけ千愛理と面立ちが似た少女が居て―――、

 「―――お役に立てまして?」

 その言葉を合図に、僕は席を立つ。

 「ありがとう」

 「どういたしまして」

 「―――君を少し見直したよ。僕に言われても、もう嬉しくもないだろうけど」

 「わたしくはあなたにとって愚かだったかもしれませんが、薔薇には棘がある事を学習させていただいて感謝いたしますわ」

 ふふ、と笑った彼女の笑顔は、聡明に見えた。
 僕も釣られて笑ってしまう。
 今の彼女なら、蜜も甘美そうだ。

 「それじゃあまた。――――清宮美奈子さん」

 僕が名前を呼ぶと、大きな黒目が更に丸くなって呆れ顔になっていたが、次第に、ため息のように零れてきた笑顔は、朝露に濡れる大輪の薔薇のように瑞々しかった。

 ――――――
 ――――

 学食を出て、そのまま乗降用スペースに向かう。
 手に持っていたスマホで今撮ったばかりの画像をチェックしている内に、トーマが運転する迎えの車が現れた。

 「お帰りなさい」

 そう言って速足で回りこんできて、後部席のドアを開けてくれるトーマ。

 「あ、――――うん」


 スマホから目を離して、漆黒の彼の眼差しを見る。
 正直、どう返していいのか判らない。
 ウェインも同じようにソツはないけれど、決定的に違うのはこういう肉親的な挨拶。

 (慣れないよね……)

 苦痛ではないけれど、苦笑は出る。



 こうして暖かい雰囲気でケリの傍に居たのかと思うと、およそ事務的なウェインとの会話は、もしかしてケリのストレスにならないかと少し心配になった。
 シートに座り、モバイルPCを起動した頃には車は学園を出ていて、

 「どうしますか?」

 行き先を尋ねてきたトーマに一言だけ返す。


 「R・C」

 「わかりました」

 彼が頷くのを気配で感じながら、僕はスマホからクラウドにあげた写真をPCに取り込んでメールに添付した。
 わざと手間をかけるのは、社内のグループワークウェアに送る前にウィルスチェックが必要だからだ。

 手順を踏んで準備を整え、そして、電話をかける。


 『―――ルビ?』

 2コール内での応答。
 秘書ではなく、本人の声だった。

 【やあ、大輝】

 『―――君が前触れも無く連絡してくるなんて、あまり歓迎できないな』

 言葉尻に、言葉とは裏腹の笑みが見える。

 【そうなの?】

 僕の切り返しに、優秀な弁護士であり、僕の名のもとに統べるコングロマリットの法務部ジェネラルカウンセルである大輝はクスリと笑う。

 『さて。僕に解決できる問題だといいんだけど』


 およそ謙遜とは聞き難いそのセリフに、

 【it's easy for you (大輝ならすぐだよ)】


 僕は囁いて、PCの画面から送信ボタンをクリックした。




 R・Cの日本支社に到着したのは12時50分。

 今日は"Stella"のイメージキャラクターの決定会議がロス時間の20時から予定されていて、つまり日本時間の13時、今から約10分後に開始される。
 エレベーターホールに行くためのセキュリティ通過には社員証が必要で、R・Cは15階。
 1フロアで日本の根幹を担っている。

 "stella"を始めとする子会社の日本展開をサポートするための本部だから部署自体は少なくて、主に活動いているのは、ロスの本社から分割移管してきた推進部と不動産部、総務に人事、そして営業くらい。

 ちなみに、R・Cはルビ・コーポレーションの略。
 子供の頃にセミナーで実験的に作った会社がここまで大きくなるとは予想していなかったから、考えるのが面倒だったというその結果の、この名前。
 起業当時から働いているメンバーは、新入社員が入る度にその由来をネタに使って小さな笑いを取っている。

 ケリのボディガードを長年務めているトーマも特別兼用カードを持っていて、ケリが役員を務めるR・Cと"Stella"には自由に出入りする事ができるけれど、

 「僕はここでお待ちします」

 会議室の前まで来ると、トーマが微笑みながらそう言った。
 僕も笑って頷く。

 「休憩室にいていいよ。場所はわかる?」

 「はい」

 そこならTVもあるし、ペイフリーのバリスタコーナーもあるから暇はしないはずだ。

 「終わったら連絡するから」

 「はい」

 僕が会議室に入るまで動かないだろうトーマを背後に、僕はドアを開けた。

 ――――途端、


 「「「「「社長」」」」」

 主に30代で占められているR・Cのラインメンバー。
 R・Cのスタイルである大きめの円卓から一斉に5人が立ち上がり、暖かい笑みを向けてきた。
 Webディスカッションで顔を合わせる機会も多くて、少人数精鋭で運営してきた会社だから、ほとんど顔見知りで家族のような関係。
 彼らを含めたR・Cの存在そのものが、僕の誇りと言っていい。

 「既に各会議室の皆さんログイン済みです。遅延はありません」

 この中では一番R・Cに在籍が長い不動産部の桝井さんがこの会議のリーダー牽引者らしく進捗を告げてくる。

 「うん」

 応えながら、僕のために空けられている一番奥の席へと座った。


 「更新した資料に目を通されますか?」

 「いいよ。絞った3人の候補から最終決定だけでしょ? 決定事由だけ聞いて、みんなに異存がなければ僕はいいから」

 「承知しました」

 僕の隣でノートPCの画面上に開いていたPPTファイルを最小化して、Web会議室の画面にしてくれる。


 「―――あの」

 不意に、桝井さんが恐縮した様子で切り出した。


 「さきのディスカッションでいただいた情報を元に、新しいフラワーコーディネーターと契約をしました」

 「……、ああ!」


 間をおいて思い出す。
 ケリが気に入った花屋の話か。

 「トーマから連絡いったんだ?」

 「はい」

 「そう。―――掘り出せた?」


 桝井さんの顔を見て悪戯っぽく尋ねてみる。
 彼がこういう顔をしている時は、ほぼ成功を確信している時だ。

 「まだ、判りません。今度、"Stella"日本支店の正面スペースに携わってもらう予定です」

 「――――初めてにしては大きすぎない?」

 僕が厳しい目で尋ねると、桝井さんは表情を引き締めて真一文字に口を結んだ。
 少し何かを考えるように目を泳がし、そして、


 「彼女は、――――イける気がします」

 真っすぐ返された桝井さんの自信が覗ける目に、僕は嬉しく頷く。

 「OK。僕も見に行くから、メールでスケジュール連絡して」

 「はい」

 桝井さんが返答したタイミングで、僕の正面に位置していたプロジェクターにロスと共有するファイルが映し出される。

 「時間になりました。照明を落とします」

 第三者の声がして、ブラインドが下ろされていた会議室は薄暗く暗転した。









著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。