「佐倉の事、頼んでいい?」 そう言った藤倉貢の存在に、顔には出さなかったけれどザワリと胸底が揺れた。 「おいで、千愛理」 そう言って握った千愛理の手はとても冷たくて、食堂に着くまでには僕の熱は全て奪われそうだった。 尻目に様子を見てみると、周りからの視線を気にしながら、ただただ、僕に引っ張られている感じ。 まるで、 震える小型犬の、初めての散歩だ。 学食に着くと、入り口の食券販売機の前で立ち止まった。 前に清宮を訪ねた時は必要なかったからスルーしたけれど、食事をするなら購入しないといけない。 あらかじめ折り畳んでポケットに持っていた1万円を挿入し、 「なに食べる?」 「え? あ、」 慌ててスカートのポケットから財布を取り出そうとする千愛理。 でも、僕が彼女の右手をしっかり掴んだままだから、取り出した財布からお金を取り出せずに、困ったように見上げてくる。 僕は一つため息をついて、 「――――この前のお金」 そのキーワードを伝えると、千愛理は「ああ」と目を細めて微笑んだ。 「それじゃあ、オムライス」 「――――」 ボタンを押すと、食券が出てきた。 続けて、シーザーサラダに、ビーフストロガノフ、ブレンドコーヒーを押す。 「あ、ホットカフェモカ」 僕の勢いにつらえたのか、千愛理が唐突に伝えてきた。 タッチの差で間に合わなかったらしく、カフェモカの券は出ないまま、お釣りが返されてくる。 「あ……遅かった、みたいだね」 ふふ、と笑った千愛理に、僕も思わず「うん」と笑い返す。 「持ってて」 「え?」 出てきた札を千愛理の左手に持たせて、そこから1000円だけ抜いて、販売機に挿れ直す。 今度こそ、カフェモカの券が発行された。 出てきた小銭をまとめてポケットに入れると、千愛理が持っていたお札も渡してくる。 僕は黙って受け取って、それも同じポケットに仕舞った。 右手で食券を集めて、繋いだままだった千愛理の右手を引いて歩き出す。 今後は、僕に引っ張られている感じじゃなくて、ちゃんと彼女の意思で歩いてついてきた。 "愛玩する"という捉え方のシフトチェンジは正解だったかもしれない。 躾を一つクリアした気がして、心なしか楽しくなった。 中に入るとウェイターが近寄ってきて食券を受け取る。 空いていた一番奥のソファ席に座る事を告げると、ウェイターは頷いて食券に何かを書き込み、厨房へと入って行く。 千愛理を壁側のソファに誘導して座らせ、その手が離れる瞬間、最初に掴んだ千愛理の手の冷たさよりも、ヒヤリとした感触が皮膚を走った。 千愛理に熱を奪われて温んでいた僕の手が、次第に発熱していくのには時間はかからない。 掴んでいる内に溶け合って同じになった体温は、セックスして繋がった時と同じような官能がある事を、初めて知った。 考えてみれば、ベッド以外で異性と関わるのは、ケリ以外では……、 「……あの、本宮君」 おずおずと、千愛理が口を開いた。 「やっぱり、みんな、変、だよね?」 伏し目をしながら、辺りを視線を周囲に巡らせる千愛理。 「何が?」 「なんだか、凄く見られてる気がして……」 「――――そう?」 少しだけ肩越しに様子を見てみる。 確かに、"僕達"の動向を確かめるような、窺うような視線。 「多分、本宮君と一緒にいるからだと思うんだけど……、それにしてもいつもより」 完全に困惑した様子の千愛理。 「ふ」 僕は思わず吹き出してしまった。 「え?」 千愛理が目を丸くする。 「右手、貸して、千愛理」 テーブルの上で僕が左手を差し出すと、首を傾げながらも手を伸ばしてくる。 その指先をしっかりと掴まえると、千愛理の眼が更に大きく見開いた。 「本宮、君?」 「多分……、僕達が本当に付き合っているのかどうか、噂してるんだよ」 「……え?」 掴まえた千愛理の指を、親指でゆっくり撫でる。 「花菱の子会社には、僕の本宮グループが深く関わっている企業も多くてね」 以前、清宮美奈子に教えてもらった集団をスマホで写真に撮り、その画像から大輝に依頼して素性を調査させ、有効だと確認できた生徒に"やんわり"と圧力をかけてみた。 ――――佐倉千愛理は僕の大事な人だから、軽い気持ちで手を出すと、損をすると思うよ―――― そんな、付加と共に。 だから―――、 「嫌がらせは、多分無くなるんじゃないかな」 「……どうして?」 「なに?」 「えっと―――、嫌がらせを止めてもらうのに、どうして、あの、つ、付き合っ」 そこで、舌を噛んだらしい千愛理は、キュと目を瞑って「ッ」と小さく啼いた。 薄桃色の唇の間から、小さな赤い斑点ができた舌先が覗く。 ……少し、動揺した。 「―――それは、ギブ&テイク」 千愛理の指を掴んでいた手に若干、力が入る。 「え?」 「千愛理は嫌がらせの無い平穏な学園生活。僕は、女の子達にセマられない静かな学園生活」 まるでビジネスの場での交渉のように、しっかりと言葉を綴る。 そして、テーブルに肘をつく体勢で、掴んでいた千愛理の指先を僕の口許に運び、キスをした。 「!?」 見る見る真っ赤になっていく千愛理の顔。 同じタイミングで,遠巻きに見物していた周囲からも吐息の波が沸きおこる。 「も、もとみ――」 「僕」 千愛理の言葉を遮って、僕はジッと千愛理を見つめた。 「特定の"Steady"をつくるのは初めてなんだ」 「――――え?」 この時浮かべた微笑みは、僕の人生の中でもベスト5には入ると思う。 「だから、千愛理が僕の、――――初カノだね」 |