小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
INFLUENCE


 なぜ、あんな弱音のような事を口にしてしまったんだろう。

 確かに、日本人独特の頭を下げるという動作に戸惑いは持っていたけれど、業務に支障が出るほどに不愉快な印象があったわけじゃない。
 中世ヨーロッパにも会釈の歴史はあるし、社交界では女性に対して頭をさげてダンスを申し込む礼儀もある。
 フランクなアメリカのスタイルを基本に考えると、ビジネスの場では対等に見えないもどかしさが感じられるからで、恐らくは、僕に日本人の血が入っている事により、ただの民族性として客観的に受け止められない結果があっただけだ。

 ――――本当にありがとう。

 凛とした微笑みで、潔く頭を下げてそう言った彼女の存在感に、少し、圧倒されていた――――

 戸惑って、あっという間に浸食されて、僕らしくなく、胸に溜まっていた微かな事が言葉になってしまった。


 彼女は、僕が知る"本宮ルビ"には、相性が良くない気がする。




 「あぁ、ルビく、ッ」

 ソファに座った僕の上に、後ろから抱え込むようにして座らせた沙織先生の身体を、逃がさないようにしっかりと固定する。
 細い身体を自分で上下させるその律動を助けるように、鷲掴んだ彼女の胸を形を崩すほどに弾ませる。
 目の前にある彼女の背中の広範囲に何度も舌を行き来させ、キスの音を響かせる毎に、沙織先生の声の高さも変わった。

 女性の身体はまるで楽器だ。

 理性と、官能と、羞恥と快感。
 複雑に入り混じる旋律が、高く、低く、震えるように、響くように、声帯から吐息を出させる。

 「ッ、は……っ」

 呑みこむ息さえも、僕を包み込む熱の温度をあげていく。

 「ああッ」

 痙攣するように背筋がピンと伸び、僕の事も搾り取って道連れにしそうなほどの、激しいナカの収縮。

 「せん、せ」

 「はぁッ」

 足を開かせるようにして腕に抱え、繋がった部分を小刻みに突き上げて行くと、

 「ン、ああッ! ……あぅ」

 華奢な身体が大きく揺れた。
 時間が止まったかのような数秒の静止、やがて、沙織先生がグラリと前のめりに崩れ落ちそうになって、

 「、……っと」

 僕はその身体を慌てて引き寄せ、なだれ込むようにしてソファに倒れ込む。



 弾んだ息のまま、慌てて沙織先生の顔を覗き込んで手の甲を鼻の辺りにあてると、僅かに呼吸が当たった。

 ホッとしたと同時に、胸元に付けられたキスマークが目に入る。
 犯人は、もちろん僕じゃなくて、先生の夫のケイゴさん。

 ただの"シルシ"か、何かを予感しての"牽制"か―――――。


 その数が増えるほど沙織先生は満たされたように綺麗になって、僕とのセックスでは意識を飛ばす回数が増えた。
 沙織先生に隠されていた淫靡な魅力と才能が、強烈なフェロモンを放ちながらゆっくりと開花していくのが良く分かる。

 汗ばんだ彼女の額から前髪を除けていると、

 「……ルビ、君?」

 「うん?」

 うっすらと目を開けた沙織先生が、僕の顔に手を伸ばしてきた。

 「私……また?」

 「うん」

 悪戯っぽいく僕が笑うと、先生は細く長い息を吐いた。


 「恥ずかしい……。怖いくらい……セックスに夢中になる」

 「いいコトだよ。そのキスマークが証拠でしょ?」

 まだ繋がったままだった僕自身をゆっくりと沙織先生から抜くと、「あ……」と、今度は甘い息が漏れた。


 「――――ルビ君……もしかして、まだイってない……?」

 「タイミング逃しちゃったんだ」

 「……」

 意味深な笑みで僕を見つめる沙織先生。
 頬杖をつく手の薬指に、相変わらず光りを放つリング。


 「―――何?」

 女の人の、こういう顔は少し危険だ。

 「ねぇ、佐倉さんと付き合ってるって、本当なの?」

 静かな眼差し。
 責めている雰囲気じゃない。

 もっと、深い意味を持っている表情。
 カールがかかった沙織先生の髪の先を、指で弄ぶ。


 「――――どうしたの、先生。……ヤキモチ?」

 僕が意地悪く口角を上げると、

 「ふふ。事実確認」

 「?」

 先生の、ジェルネイルが綺麗な指先が、僕の前髪を優しく梳いた。

 「あなた、この3日間、私とのセックスでイってない」

 「……――――それが?」

 女性に尽くしたいだけのSEXならこれまでにも何度もあって、特定の相手の場合、故意にイかない日が続くのは、別にこれまでだって特別じゃない。
 そんな根拠で気を抜いていた僕に、沙織先生がクスリと笑った。


 「ううん。ただ―――――、」



 ―――――タイミングが、"佐倉さんと付き合ってる"って噂を聞いてからだなあと思っただけ――――――




 ――――――
 ――――


 『本宮社長、オンラインすべて繋がりました。始めてもよろしいでしょうか?』

 PCに付けたスピーカーからそんな呼びかけが入る。
 画面を見ると、向こうの秘書がWebカメラの向こうで返事を待っている様子だった。

 「お願いします」

 簡潔に応えて、その間だけONにしていたマイクを再びOFFに戻す。

 ちょうど14時。
 僕の返事を皮きりに、PCの画面の中で本宮グループのヘッドクォーター会議が始まった。
 分割された画面の1つにはロスに居るルネの映像もある。

 向こうはちょうど21時で、チャットを開いたら【本当なら女の子と飲みに行く時間だよ】なんて愚痴を言われそうで、会議以外は全てオフラインにした。

 これから1時間、僕の仕事はただの傍聴。
 名目通り、会議の画像と音声をリアルタイムで共有し、協議と決定事項をただ見守るだけ。

 事前にもらった趣旨のおおよそのシナリオは最高責任者であるルネの元に作られていて、どちらかというと、決定までの議事録を取るための会議。
 これに合わせて、今日は学校も早退してきた。

 「ルビ、いいですか?」

 開け放していたドアをノックしながら、トーマが覗き込むように顔を出した。

 「うん。なに?」

 「暖かいスープだけでも運んでいいですか? 学校でも食べる時間なかったでしょう?」

 「ありがとう。もらおうかな」


 僕が頷くと、トーマはいったんキッチンへ戻り、次に姿を現した時は片手にトレイを持っていた。
 デスクまで近寄ってきて、スープカップを稼働中のノートPCから離れた場所に置く。

 「ドアは開けておいていいんですか?」

 「うん」

 応えながら、今まさに、スープを一口啜ろうとした時だった。
 机に置いてあったスマホが光って震えている。


 「―――ウェイン?」

 僕がディプレイに表示されていた名前を呼ぶと、去りかけていたトーマも足を止めた。
 スマホを手にとってタップする。

 「ウェイン、どうしたの?」

 『ルビ。今いいですか?』

 「うん」

 『実は……、K'sケーズをドラマの撮影に貸すことになって、ケリがキャストである天城アキラと接触する可能性が出できました』

 僕はドキリとした。

 「ケリが、天城アキラと?」

 ジョニー企画の事務所で会った、漆黒の髪の、魅力的な大人の男を思い出す。
 その存在感を認めながらも、"俳優だから"という理由で、僕がケリの恋人候補から無意識に却下していた天城アキラ。
 これからも、なるべくなら出会わせたくは、無い。

 『確か、"Stella"の最終候補に残っていたと記憶していたので、念のため確認を』

 「――――うん。確かに天城アキラは次年度のイメージキャラクターに決定してる。今はWeb上での仮契約のみだけど、来週にはエリカが来て本契約を結ぶ予定」

 『……今なら、会わせないように連れ帰る事もできますが……』

 ウェインの言葉に、僕は思わず、彼から見えるはずもないのに首を振った。

 「そんな事をしたら彼女の事だから、逆にどうしたのって興味持つよ。それに、キャストとロケ貸しのオーナーって、切っ掛けが無いと普通は話す事もないでしょ? 自然にすれ違って終るだろうから、余計な事はしない方がいい」

 『わかりました』

 聞こえてくる僕の言葉だけでなんとなく事情が飲めたのか、トーマが苦笑しながら部屋を出て行く。

 「ウェイン、もし――――、ううん。やっぱりいい。それじゃあ、会議中だから」

 『はい。では』

 ウェインの答えで通話を終えた。


 「……」

 PCの中で、会議は順調に進んでいる。


 ルネの横には、いつの間にか、これまで見た事も無い東洋系の女性の通訳が立っていて、新しい彼女かな? と微かに思う。


 天城アキラ――――。

 彼は、ケリに興味を持たないだろうから、多分大丈夫。
 イメージキャラクターに起用する為の事前調査で、汚れが無いかどうか歴代の"彼女"達とのゴシップもすべて確認した。

 どの"彼女"も煌びやかで美しく、性を楽しむ事を知っていそうな女性ばかりでケリとはタイプが全然違う。

 だからきっと――――、

 あの、人を射抜くような天城アキラの藍色の眼には、きっと彼女は映らない。

 万が一出会ったとしても、どんな手を使っても僕が排除すればいいだけだ。

 今度のケリの相手は、演技ができず、嘘を吐かず、ケリだけをバカみたいに愛してくれる人――――。
 ケリの事を1番に考えてくれる人じゃないと、絶対に認めない。


 「ケリ――――」

 優しくて、思いやりに溢れ、
 ほとんどの人が、普通に手に入れる事ができる安らかで穏やかな愛情を、

 今度こそ、手に入れて欲しいんだ――――。



 僕のそんな願いとは裏腹に、ケリと天城アキラが時間と身体を重ねたのは、この日の翌々日の事だった――――。








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