小説:クロムの蕾


<クロムの蕾 目次へ>


GREENISH BLUE
INFLUENCE


 お昼のチャイムが鳴ると、

 「千愛理」

 そんな優しい呼びかけと共に、本宮君があたしの傍にやってくる。

 まだ席に座ったままのあたしが返事をしようと顔をあげると、本宮君の指がそっとあたしの髪に触れてきた。

 「今日はお弁当?」

 「あ、うん」

 「じゃあ、いつものトコ、行こっか」

 触れていたあたしの髪から手を離したかと思うと、今度は机の上に放置されていたあたしの指を絡め取る。
 少し強めに引っ張られて、立ち上がるように促され、

 「あ、―――うん」

 あたしはランチバッグを手に立ちあがった。

 「また屋上? あそこそろそろ寒くない?」

 前の席の藤倉君がニヤニヤしながら尋ねてくる。


 うん。

 結構寒いです。


 でも――――、


 「確かに寒いけど、人が少ないし、ゆっくりできるから、ね?」

 本宮君が微笑みながらそう言って、あたしに相槌を求めてくる。

 「あ……、うん」

 曖昧なあたしの反応に、


 キラン。
 王様の優しいヘーゼルの瞳の奥に落雷が走る。

 た……多分、イラついてる……。


 『何やってんの? この僕がこんなに甘く演出してるのに、台無しにするような態度は本当に止めて欲しいんだけど』

 多分、こんな感じ?


 でもね、

 ごめんなさい、本宮君。

 あたし、本当に免疫無いから。

 はっきり言って、こんなふうにエスコートされて、ちゃんと立っていられる自分に感動しているくらい。

 もう1週間以上も経つのに、全然慣れません。
 クラスメイト、――――主に女子の視線がチラチラ向けられてくる。

 「……」

 あれ? この刺すような視線には少し慣れたかも。

 あたしってば、結構大物……?



 「千愛理、行こう?」

 ふわりと笑う本宮君。
 繋いだあたしの手を、なにか話す度に、彼の親指がするりと撫でてくる。
 こういうところ、本当に本宮君は、女の子の扱いに慣れていると思う。

 「あ、……うん」

 ドキドキと反応する鼓動に負けないように返事を絞り出した。

 「いってらっしゃーい」

 やっぱりニヤニヤする藤倉君に、苦笑いで軽く手を振り返して、あたし達は教室を出た。

 絡まれていた指は、少し廊下を歩いている内にいつの間にか恋人繋ぎになっていて、話をしながら、時々口許にもっていってはあたしの手の甲にキスをする。
 すれ違う生徒達がやっぱりチラチラあたし達を見てきて、そんな本宮君の甘々な仕草に頬を染めたり、あたしの事は激しく睨んできたり……。

 ―――――もう、よくわかんない……。

 こんなにも短い時間で、静かなあたしの学園生活は、まったく別の色に変わってた。


 屋上に出ると、日に日に冷たくなる風があたし達を迎えてくれた。
 さすがの白邦学園で、屋上はまるでホテルの空中庭園のような造りになっている。
 春や夏といった過ごし易い季節は、花壇を背中にしたベンチが点在するこの屋上でお弁当を食べる生徒は意外にも多くて、それでも今はもう11月も半ばだから、数えられるほどのグループしか座っていない。

 風に煽られてドアが大きな音を立てて閉まる。
 何度か通ううちに見知った顔が、今日も幾つかあたし達の方を見ていた。


 「おいで、千愛理」

 「――――うん」

 いつもの定位置のベンチが今日も空いている。
 暗黙の了解、みたいなのがあって、大体みんな同じベンチに陣取っている事が多い。

 ベンチに腰掛けて早速お弁当を広げていると、

 「寒くない?」

 本宮君が口癖のように聞いてきて、

 「うん。大丈夫」

 あたしの返事を聞くと、またふわりと笑って、持っていた袋からサンドイッチを取り出した。
 ベンチの間は結構距離が空いているから、座ってしまえばあまり気になる事は無い。
 二日前と同じようなサンドイッチを口にした本宮君を少しの間見つめて、

 「……本宮君。よかったら、今日は少し多めに詰めてきたから」

 用意してきたお箸を差し出して、あたしは言った。



 「―――――え?」

 教室で見るのとは違う、外光が反射する彼のトパーズの瞳は、本当に宝石のように中が波打つ。
 万華鏡のように、明るいヒマワリがキラキラと回る。

 「あの、本宮君、ずっとサンドイッチだから、ちょっと気になってて……余計なお世話かなとは思ったんだけど、ほら、作る時はパパのお弁当も一緒だから、結構作りすぎて、余ったりしてたから、ちょうどいいかな―――って」

 早口で綴るあたしを、本宮君は足を組んで呆れ顔で見ていた。

 「ねえ、――――もしかして昨日も作ってきてた?」

 「え? あ、――――うん」

 視線を合わせていると、誤魔化す事が出来なくて、正直に頷いてしまう。
 持ってきてたけど、本宮君は午後からお仕事でしたってオチ。

 「"振り"なのに、そこまで労力使う?」

 「……え?」

 本宮君が吐きだした息に、胸が少しだけツキンとした。

 「あ――――えっと……」


 どうしたんだろう? あたし。
 なんだか、挙動不審になってしまう。

 「ほら、本宮君もいろいろ演出とかしてくれてるし……」

 話をする時のボディタッチとか、寒くない? って聞いてくれるセリフとか。
 だからあたしも――――、
 なんてシドロモドロ繰り返している内に、本宮君はあたしの手からお箸を奪った。

 「今度からは……」

 そんな本宮君の言葉に、いったいどんなセリフが続くのか、大分緊張してたんだと思う。


 「作る時はメールして。食べれない時は返信する」

 放たれた彼の言葉に、どうしてか、

 (あれ……?)

 あたしはジワッと泣きそうになって―――――。

 (うそうそ、ちょっと待って)


 焦ったその時、一段と強く吹いた冷たい風が頬に当たって、その熱を逃がしてくれたから、


 あたしは、力を抜くように、全身でそっと息をついた。



 ――――――

 ――――

 なんだか、惑わされていると思う。

 みんなの前では天使で、王子様の本宮君。
 あたしの前だと、かなり不機嫌な王様態度の本宮君。

 そんな彼が演じる"甘い彼氏"は、あたしにとってはまったく未知の領域で、髪を撫でられる度、頬に触れられる度、指を絡め取られる度、

 これは演技、これは演技――――。

 どんなに言い聞かせても、あたしだって女の子ですから、こんなお姫様的な扱いを受けたら、ドキドキだってしてしまう。


 「はあ……」

 入荷した昨日の内に、水切りと水上げを済ませていた赤い薔薇の棘を切りながら、あたしは深いため息をついた。

 その時、


 「お、乙女のため息」

 「きゃ」

 突然の男の人の声に体が飛び跳ねた。
 自分の鼓動に鼓膜を占領された状態で顔を上げると、焦げ茶色のコートを着た桝井さんが立っていて、

 「……桝井さん!」

 「はは。ごめんごめん、驚かせてしまったかな?」

 申し訳なさそうな桝井さんに、あたしは慌てて首を振る。

 「いえ、あたしがボーっとしてたんです。入って来た事に気付かないなんて、店番失格です」

 「ちょうど別件で通りかかったから、連絡も無しに悪いなとは思ったんだけどね」

 「?」

 持っていたビジネスケースを探りだした桝井さん。

 「これ」

 桝井さんはクリアファイルを差し出した。

 「少し、時間いいかな?」

 店内を見回して尋ねてくる。

 「はい。あ、でも、お客様が来たら中断してもらえると……」

 「それはもちろん」

 「あ、どうぞ」

 話をしながら手を拭っていたあたしは、処理が終わっていない薔薇をバケツに戻して、レジ横の椅子を引っ張ってきて桝井さんに勧めた。

 「ありがとう。早速だけど、例のアレンジね」

 「あ、はい」

 あたしは今度は別の意味で全身を跳ねさせる。

 「今週の土曜から日曜にかけてアレンジをしてほしい」

 土曜から、日曜?


 「え?」

 「あ、もちろん時間帯は法定内でね。つまり、土曜の"Stella"閉店後から、日曜の開店前までに仕上げて欲しいんだ」

 「あのッ、どうして、そんなに長い時間が見積もられてるのか、よく」

 わからないんですけど……、

 セリフの途中で桝井さんに書類を見せられ、あたしは言葉を失った。


 「――――これ……」

 手にした写真に、震えが止まらなくなる。

 見た事がある店舗だった。
 ジュエリーブランド"Stella"が初めて日本進出した記念すべき1号店。

 入り口の右横に広がるディスプレイスペースは有名で、いつも豪華で人目を惹くフラワーアレンジがされていた。

 それだけじゃない。

 宝石のディスプレイもアレンジに含まれていて、つまり、凄く難易度の高い仕事。
 間違いなく、あたしの手には余る規模――――。


 「桝井さん……」

 体中の震えを伝えるように、桝井さんを呼ぶ声も、掠れていた。


 「佐倉千愛理さん」

 桝井さんが、真っすぐにあたしを見てきた。
 パパと話した時は、「千愛理ちゃん」と呼んでいたのに、敢えてその呼び方を選択された意図に、緊張が走る。

 「私は狡い大人だからね。敢えて言うよ。君は契約をしたんだ。今さらそれを反故にはできない」

 「!」

 「ただ、これだけは言える。私は出来ない君を弄んでいるわけじゃない。からかっているわけでもない」

 「……」

 「君の世界でいいんだ。何も考えず、君の感じたままに、やってみて欲しい」

 「無理、です……。だって、これ、好きでアレンジするだけでまとまる大きさじゃない」

 「美術品も、家具も、そこのリストNoで言ってくれればすぐに用意できる。ディスプレイする宝石の選別も、君の世界に合うものを自由に選んで問題ない」

 「桝井さ……」

 「"Stella"のイメージだとか、傾向だとか、そんな事は気にしなくていいから、君が、その時に表現したい世界を、君流のアレンジで伝えてくれればいい」

 「……」

 「君は君の目的のために、これを仕事としてやり遂げる必要はあるだろう?」


 桝井さんの言葉にハッとする。


 あたしの、目的のため――――。

 そうだ。
 あたしは、躊躇してなんか、いられない。

 もっと遠回りをするはずだった実績という揺るがないブランドを手にできるチャンス。
 それが、重なったいろいろな縁の結果、あたしの所に舞い降りてきたんだ。

 改めて顔を上げたあたしの眼に、桝井さんは厳しかった表情をゆるりと変えた。


 「予算とかも、全てファイルに入ってる。目を通して、疑問点があればすぐに連絡して」

 「―――――はい」

 今度こそしっかりと、クリアファイルを受け取る。

 もう、逃げられない。

 うん。

 いい。

 もう大丈夫。


 やるだけやろう。

 そして、"あたし自身"を見極めてみよう。

 もし失敗したとしても、このチャンスでそうなるのには、きっと意味もあるはずだもん。


 ママ。

 あたし頑張るよ。


 桝井さんが帰った後、薔薇の棘取りを再開しながら、あたしは祈るようにママに誓う。
 大好きなお花に関わる事がこんなにプレッシャーになったのは、もちろん初めての事だった。








著作権について、下部に明記しておりマス。



イチ香(カ)の書いた物語の著作権は、イチ香(カ)にありマス。ウェブ上に公開しておりマスが、権利は放棄しておりマセン。詳しくは「こちら」をお読みくだサイ。