小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
INFLUENCE


 いつもと、変わらない朝だった。

 教室の窓から見上げる空は低くて、冬の独特の寂しい色をしている。
 今日は曇りだから微かな青も覗いていなくて、

 「あのホテルのイルミネーション、今夜が点灯式だそうですわ」

 「今年も楽しみですね」


 周りから聞こえてくる朝の喧騒も、なんとなく季節を表してくる。

 「佐倉、健斗の奴、クリスマスまでには帰るのかな?」

 椅子に横向きに座っていた藤倉君があたしの机に頬杖をつきながらそう言ってきた。

 「うーん、どうだろう?」

 もう1ヶ月以上も空席になっている健ちゃんの席を見ていると、教室の入り口から本宮君が入ってくるのが視界の端に見えた。
 その姿に焦点を合わせる。

 ……あれ?

 いつもならまずあたしに顔を向けて、周りに見せつけるように微笑んでいた本宮君が、今日は何か考えるような表情で伏し目がちに席につく。
 クラスメイトから挨拶をされて、いつもの美少年顔で応えてはいるけれど―――――。


 「ってかあいつ、進級できんの?」

 「……確かに」

 健ちゃん、クリスマスまでに帰って来てほしいな……。

 『幼馴染とかはやめてよね』

 千早ちゃんの言葉を思い出す。
 でも、幼馴染がダメって事は無いよね……?

 きっと、他に頼れる人が居ない事を知っているから、軽い意地悪でああ言ったんだと思う。

 毎年恒例の、お祖父ちゃん――――つまりは、花菱家主催のクリスマスパーティ。
 去年まで、招待状はパパに届いてたから、あたしが同伴して参加してた。
 けれど今年からは、パパのとは別にあたしにも招待状が届けられて……、

 お使いでやってきたお祖父ちゃんの秘書さんによると、社交界デビューって事らしい。

 あたしは一般家庭の子なんだから、とパパと出席する旨を伝えると、案の定、お祖父ちゃんには通用しなかった。
 パパの困ったような、何か考えるような、複雑な表情がずっと胸に引っかかってる。



 健ちゃん以外なんて……、

 「佐倉、どうした?」

 藤倉君の不思議そうな声で我に返る。

 「うん。クリスマスパーティ、健ちゃん、エスコートしてくれないかなあって」

 「クリスマスパーティ?」

 「うん、お祖父ちゃんトコの」

 「ああ、花菱の」

 「そう」

 「……」

 無言になった藤倉君に、あたしは顔をあげる。

 「藤倉君?」

 きょとんとしている藤倉君に、あたしは首を傾げた。

 「どうしたの?」

 「いや、どうしたの? は、佐倉だろ?」

 「え?」

 「それ、健斗じゃなくて、本宮だろ? 頼む相手」

 「……」

 「本宮、ダメだって?」


 ………………・・、

 …………、

 ……エ、



 「えっ!?」

 「えっ、って、なんで考えもしなかった的な反応してんの? どう考えても彼氏が先だろ」

 「え、あ」

 そっか。
 藤倉君は、あたし達が付き合っているフリをしてるって知らないから――――。

 っていうか、そうだよね。

 うん。


 ……健ちゃんにはこっそり頼もう。

 あ、でもそっか。
 千早ちゃんにも変だって気付かれるかな?

 「本宮ならしっかりエスコートしてくれんじゃん?」

 爽やかに笑顔で言う藤倉君。

 「うん……」


 確かに―――。

 タキシード着て、女の人をエスコートする姿は、想像するだけでも王子様――――。

 なんだかドキドキしてきて、

 「う〜」

 頭を抱え込む。
 最近、一瞬でも本宮君の事を考えると、しばらく他の事が考えられなくなってしまう。

 ダメ。
 ディスプレイの事だって、パーティの事だって、色々考えなくちゃいけないのに……。

 それでも、


 「本宮様は乗馬はなさるんですか?」

 「小さい頃に一度経験したきりかな」

 「課外授業に乗馬があるの。本宮君にはぜひカサブランカを駆って欲しいわ」

 「かう?」

 「ああ、"かる"というのは、馬に乗る動作を現しますの」

 「ふふ、こう書くのよ」

 女子の1人が、空中に指先で文字を書いている。

 「へえ。……ああ、ちょっとごめんね」

 スマホが震えたのか、本宮君はポケットからそれを取り出して操作を始めた。
 こんな風に、彼を取り巻くやり取りが、なぜか敏感に耳に入ってくる。
 その度に、よくわからない感情が自分の中に生まれているみたいで、居心地が悪くてゾワゾワした。


 「……はあ」

 小さくため息をついて、本宮君から目を逸らそうとした、その時、

 「……?」

 思わず顔をあげて、何故かあたしは本宮君を再び見た。
 引き寄せられるように視線が上がったという言い方が正しいのかもしれない。

 あたしに見られている事にも気付かないまま、一瞬だけ、眉根を中央に寄せた本宮君。
 けれど次の瞬間にはいつもの王子様笑顔を浮かべていて、

 「ごめん。急用の連絡みたいだ。席を外すね」


 席を立ちあがり、教室を出て行く。


 ―――――本宮君?


 もうすぐ、SHRが始まるのに―――――。

 気づいたら、あたしも席を立っていた。
 なんとなく、本宮君を追った方がいいような気がして、考えるよりも先に体は動いていた。

 あたしが教室を出た頃には、本宮君は廊下の先を曲がっていて、

 「屋上かな?」

 見えなくなった姿に追いつこうと速足になる。
 階段を上って最上階に着くと、屋上のドアはストッパーが引っかかって少し開いていた。

 「――――と? そん――――ね?」


 風に乗って聞こえてくる声。

 「これは――――――よ、―――――な説明は――――――ね?」


 声が、荒いでいる気がする。
 お仕事で何かあったのかな?

 あたしはドアをもう少しだけ開けて、ゆっくりと屋上に出た。
 冷たい冬の風が直に当たった。


 「―――分かった。もういい」

 はっきりと聞こえてきた本宮君の言葉。
 きっぱりとした、拒絶を示す言葉。

 あたしの目に映る本宮君の表情は、怒りが吹き出すのを耐えているような、今にも泣き出しそうな、なんだか、

 「本宮君……」

 あたしの胸が痛くなるほどに、切ないモノだった。


 「!」

 本宮君が驚いた様子で振り返る。
 全く気付いていなかったんだと、いつもは敏感な本宮君のそんな状態にあたしの方が驚いた。

 「――――千愛理」

 咄嗟に表情を作り、いつものトーンで名前を呼んだ本宮君。
 それを見て、あたしは今度は泣きたくなった。


 「千愛理、どうしたの? 授業始まるよ」

 「本宮君こそ……大丈夫?」

 「なにが?」

 「なにがって……」

 吸い寄せられるように本宮君に一歩近づいて、あたしはその薄茶の目を覗き込んだ。

 「本宮君、なんだか辛そうだから……」

 ピクリ、と震える本宮君の瞼。

 何が、本宮君のそのラインに触れたんだろう。
 この時、あたしは本宮君の空気が変わる音を聞いたような気がした。



 「――――へえ?」

 今まで、聞いたことも無いような声音。
 感情の籠らないそんな言葉を息のように吐いて、冷たくあたしを見下ろす本宮君。


 「……本宮君?」

 あたしは、気圧されるように、一歩下がった。
 けれど直ぐに一歩詰められて、また2人距離が同じになる。

 一歩逃げて、一歩詰められて、

 それを繰り返している内に、あたしの背中には壁が当たり、もう逃げ場が無くなってしまった。
 合わさった視線は、一度も逸らす事が出来ずにいた。

 「――――ほんと、君って……」

 あたしの顎に本宮君の指がかかり、別の手が、あたしの制服のタイにかかる。


 「もと、」

 「そうだね」

 名前が呼ばれるのを遮るようにそう言って、本宮君は流麗に笑った。

 とても美しくて、とても冷たい、王様の――――笑み。
 瞳の中のヒマワリが、クルリと一回転して閉じられたような気がした。

 「確かに、辛いかも」

 あたしの脚の間に、本宮君の膝が入ってくる。
 腰で腰を壁に押し付けられて、完全に身動きが取れなくなってしまった。

 「本宮、く……?」

 何……?

 何が起こってるの?


 あたしがパニックになって状況についていこうと必死に考えている間に、掴まったタイが何度か左右に揺らされて、


 プチン、

 露われたシャツの一番上のボタンが、その手によって器用に外された。


 「で? 千愛理はどうやって慰めてくれるの?」


 プチン、

 また、次のボタンが外される。


 「――――え?」


 『どうやって慰めてくれるの?』

 本宮君の言葉が何度も頭の中をリフレインした。


 「ねぇ、千愛理」


 鎖骨から、開かれたシャツから覗く胸元まで、本宮君の指先がゆっくりと滑る。


 「あ」

 身を捩りたくなるような感覚。
 それでも、しっかりと押さえられたあたしの身体は全然動けない。

 「この前、あの浮浪者が甘いものを欲しがった時みたいに、千愛理はそれを施してくれるんだよね?」

 「……?」


 顎に触れていた本宮君の親指が、あたしの唇にそっと触れる。


 「僕が今求めている"甘いもの"、―――――何かわかる?」


 返事を促すような本宮君の眼に、あたしは小刻みに首を振った。


 怖いのに、目が、離せない―――――。

 「セックス」


 ―――――え?

 「しようよ。今ここで」


 近づいてくる本宮君の顔。
 薄茶の長い睫が至近距離になって、


 キス、される……ッ


 思わず、唇を内側に噛みしめて、ぎゅっと目を閉じた。


 あれ……?


 ふと、本宮君の気配が正面から逸れたような気がして、


 (良かった――――)


 ホッと安心したのも束の間、彼のその囁きは、突然耳元から齎される。


 「千愛理」

 彼の声が、鼓膜にくすぐったい。

 「僕を慰めたいんでしょ?」


 え……?

 「これが、僕が今欲しい"甘いもの"」

 ちょっと、まって、

 「も、」

 とみやくん、

 とは、声にできなかった。


 「――――君が僕に与えたい、"甘いもの"だよ」


 その言葉が終わると同時に、

 「……や、」


 あたしの耳たぶに違和感が走った。

 「ん、……」

 意図しなかった声があたしの喉から漏れる。
 耳の輪郭をなぞるように、生暖かい感触がゆっくりと動いている。

 え?

 舐めてるの?

 「待って、本宮く」

 強く押さえつけられて動けないままのあたしを他所に、本宮君の舌があたしの耳を濡らしていく。

 「や」


 「千愛理」

 本宮君の吐息のようなその声に、躰が熱くなるのが分かった。
 耳たぶが彼の口内に吸われ、舌先が蠢く度に、指先まで、痺れが走る。

 まるで生きているエネルギーも一緒に吸い取られているみたいで、逃げ出したいのに、彼の力には敵わなくて、あたしはただ本宮君の膝に支えられて立っているだけ。
 怖いくらいに、本宮君があたしの全てを支配している。


 「やだ……」

 耳の中に、舌が入ってきた。
 脳内に響くその水の音が、ザラザラとあたしのどこかを刺激する。


 「本宮くん……お願い……」


 怖い、

 お願い、


 「やめて……」


 本宮君、

 おねがい、


 怖いよ、



 心臓が、爆発しそう―――――。








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