小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
INFLUENCE


 本宮君が屋上から出て行ていくと、あたしの周りの温度が急激に下がっていったような感じがした。

 彼がいた時とあまりにも温度差がありすぎて、心のどこかが、吹いてくる風と同じくらいに冷たくなっていくような感覚を覚える。


 ――――わかんない。

 なんだろう、この、ぎゅっとする寂しい感じ……。
 さっきの怖さとは違う苦しみで、涙がジワジワと熱を放ちながら湧き出てくる。


 ダメ。

 泣いちゃダメだ。



 そのとき、

 「あ」

 耳に飛び込んできたのは、学園内に響き渡る鐘の音。
 予鈴だ。

 「次の授業が始まっちゃう」

 教室、戻らなくちゃ……。

 背中にあった壁を頼りに、力の入らない足で踏ん張って立ち上がり、どうにか歩き出す。
 本宮君、教室に戻ったのかな……?

 「……」


 ううん。

 かかってきた電話に、ホテルはどこか尋ねてた。

 その前に、


 『エリカ』

 女の子の名前だった。

 『僕が行くよ』

 多分、その子に会いに行ったんだ、と……思う。



 "セックス"

 あんな単語を、目の前で言われるのは初めてで、
 そう言えば公園で助けてもらった時も、

 『体で払ってくれてもいいよ?』

 冗談かと思ってたけど、やっぱり本宮君は、そういう事に、慣れている気がする。
 でも、あたしと付き合っている振りをするという話をした時――――、

 『特定の"Steady"をつくるのは初めて』

 確かにそう言ってた。
 じゃあ、彼女じゃない子と、そういう事、してたって事……?


 また、寂しいような苦しいような、名前の付けにくい切ない感情が湧きあがる。

 色んな事が頭の中をグルグル回る。

 全身から力が抜けたみたい。
 体の、いったい何が機能しているのか、熱くなった呼吸と、大きな鼓動だけがそれを現している。


 (怖かった―――――)

 いつもと全然違っていた本宮君。

 王子様でもなく、王様でもなく、

 全く知らない男の子だった―――――。


 されていた事を思い出すと恥ずかしくて、思い返す度に熱が這い上がってきてなかなか冷めてくれない。

 耳に残る彼の声が、

 『千愛理』

 あたしの名前を囁く本宮君の声が、

 何度も何度も、記憶からリフレインされる。



 怖かった……けど、

 あんなに痛そうな目をして……・、いったい、何があったんだろう……?

 止めどないたくさんの事があたしの思考を占領して、ぼんやりと、教室に向かって廊下を歩いている時だった。

 「佐倉さん?」

 正面から呼びかけられて顔を上げる。

 そこに居たのは、

 「沙織先生―――――」

 さぼってしまった朝のSHRを終えてきたらしい、担任の木島沙織先生だった。

 「本宮君と一緒じゃなかったの?」

 「え? あ」

 動揺して、挙動不審になる。

 「す、すみません」

 頭を下げたあたしに、沙織先生がふふ、と笑った。

 「ラブラブなのはいいけど、さぼりは感心しな……」

 言葉が途切れた。

 「?」

 顔を上げようとすると、突然、グイッと腕を掴まれる。

 「沙織先生?」

 「ちょっと来て」

 「えッ!?」

 カツカツと鳴るヒールの後を引っ張られるようにしてついていき、あたしは近くにあった進路指導室に入れられた。

 やばいかも。
 SHRさぼった事、結構怒ってたんだ。
 にっこりしてるから気付かなかった。

 「佐倉さん」

 「……はい」

 観念して、あたしは真っすぐに沙織先生を見た。

 鋭く睨まれるかな、なんて考えていたあたしを迎えたのは、予想に反して目を細めている沙織先生で、赤い色の綺麗な唇は、綺麗なラインで悪戯っぽい笑みを作っていた。

 優しいオレンジのネイルが塗られた手が出席簿を机において、それからスッとあたしの胸元に伸びてくる。

 「あなたみたいな子にも、容赦ないのね」

 「―――――え? あッ」

 あたしの顔は、一気に赤くなったと思う。

 沙織先生の指は、あたしのシャツのボタンを留めようとしてくれている。

 「うそ……」

 すっかり忘れてた。



 「すみませんッ」
 慌てて身を寄けようとしたけれど、

 「いいのよ。かして」

 沙織先生は、外されていたあたしのシャツのボタンを留めてくれた後、次は緩んでいたタイにも手をかけてくれる。

 「すみません……」

 恥ずかしくて目が開けられない。

 「私と会えてよかったわね。このまま教室に行ってたら、また噂の的だったわ」

 「……はい」

 先生方にまで、やっぱり届くんだ、噂――――。

 「すみま、」

 「佐倉さん。しでかしてるのは本宮君でしょ? はい、出来た」

 笑いながらそう言って、沙織先生がポンとタイに結び目を軽く叩く。
 その明るさに、あたしも思わず苦笑した。

 「ありがとうございました」

 「どういたしまして」

 先生は再び出席簿を手に取った。

 「さ、本鈴が鳴るわよ。教室に戻りなさい」

 「はい」

 促されてドアを開けようとして、あたしは振り返った。
 沙織先生が少しだけ首を傾げて、「どうしたの?」と聞いてくる。

 「あの、さっきの、どういう意味ですか?」

 「え?」

 「"あなたみたいな子にも、容赦ない"って、さっき先生、そう言ってたから……」

 先生の眼が、少し見開かれた。

 「―――ああ、だってほら」

 言葉を選ぶように、ゆっくりと紡がれるそのセリフ。

 「彼、アメリカ育ちでしょう? 偏見かもしれないけど、あの容姿だし、そういう経験はやっぱり豊富そうじゃない? 佐倉さんは……」

 肩を擽ったそうに揺らして、先生は笑う。

 「たぶん、初めてでしょう? それでも、手が早いんだなと思って。しかも学校内で。――――付き合って、確かまだ2週間くらいよね?」

 自分で話を振って、すごく後悔中……。


 「すみません。これ、……先生と生徒の会話じゃありませんよね」

 「気にしないで? 私、ガールズトークは大好きなのよ。まさか生徒とする機会があるとは思わなかったけど」

 カールした黒髪を揺らして笑う先生はとっても綺麗で、あたしも思わず調子に乗ってしまった。

 「そう、ですよね……。――――あの、先生、最近すごく綺麗になりましたよね? あ、もともと綺麗だったんですけど、なんていうか、磨きかかかったっていうか……見てて、同性のあたしでも、なんだかドキドキするんです。旦那様に愛されてるのかなあって、すごく羨ましくなっちゃいます」

 「……」

 あれ?

 今までの会話の雰囲気からして、軽い口調で何かしらの反応があると思っていたのに―――――。

 沙織先生は、微かな笑みのまま、切なそうに目を細めて、真っすぐにあたしを見つめてた。

 「――――先生?」

 あたしの呼び掛けに、先生が「あ」と僅かに唇を動かし、そして、更に微笑みを重ねた。
 出席簿を抱き抱える先生が、いつもと違って見えたような気がした。


 「……あなたも、きっと直ぐに、まるで花開くように綺麗になるわ――――」

 小さくて、良く聞き取れなかった沙織先生のセリフ。


 「――――え?」

 あたしの聞き返しに、沙織先生は笑顔だけを返してくる。

 「あの……」

 「なんでもないわ。早く教室に戻りなさい」

 「あ、……はい」

 何となくそれ以上の会話が出てこなくて、本鈴が鳴ったのを合図に、あたしと沙織先生はその指導室を後にした。








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