小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
INFLUENCE


 「契約内容に、"向こう1年間の女性スキャンダル"を契約内容不履行となるような項目を盛り込みたい」

 足を組み、一人掛けソファから悠然とそう言い放った僕の姿は、きっといつにも増して彼女の眼には小生意気に映っているんだと思う。

 「――――ふうん、で? 理由は?」

 赤い唇が、綺麗な弓型の笑みを象ってはいるけれど、コーヒーカップを持つ指先がプルプル震えて、瞼が痙攣して、不機嫌さが募ってきているのが見てわかる。


 「エリカ、怖い」

 ひじ掛けに頬杖をついて、僕は籠った声でため息と共にそう告げた。
 まあ、実際に怖がっているわけはなく、からかい半分が本音のセリフ。
 ケリの学生時代からの親友で、僕も小さな頃から知っていて家族と称っても過言じゃない。
 実際、年中家に居なかった父親である"あいつ"よりも、エリカと一緒にいた時間の方が長いと思う。

 「あ〜の〜ねぇ」

 ピキ、とエリカのこめかみに血管が浮いた、みたいだ。


 「あなたの大事なケリがちょっ〜〜〜〜ッとデートに誘われたくらいでいちいちイチイチ契約書き直してたら、協議するこっちの身がもたないわよ!」

 甲高い声で叫びながら、エリカは重厚なテーブルの上に契約書を放り投げた。


 ホテルのスイートルーム。

 偶然にもケリと過ごした同じ部屋が空いていて、"Stella"の名前で抑える事ができた。

 プレゼンルームに変えられる部屋が、入室してすぐの左側の位置にあり、ジョニー企画との契約会議はそこで実施する予定だ。

 時間前にはホテルスタッフが来てレイアウト変更をする手筈になっている。


 「ルビ――――」

 ホテルに着いてから連絡を取り、苦笑いで駆けつけていたトーマが、沸騰するエリカを見かねて僕の足元に跪いた。

 「僕にも分かるように説明してください」

 いつもはアットホームなトーマの視線が、真摯に答えを求めている。

 「……」

 まるで、僕が子供のような気分になってきた。

 まあ、実際そう自己嫌悪に落ちそうな事をしているんだと思う。
 ケリを取られて激しい地団太を踏む僕。

 天城アキラに、一矢報いたいと考えている浅はかで愚かな僕―――――。


 「――――あいつを、ケリに近づけたくない」

 「それで?」

 「契約内容に、"向こう1年間の女性スキャンダル"を契約不履行と定義づける項目を盛り込みたい」


 子供騙しの一文。

 でもこれを加えた内容でサインが取れれば、確実にケリから天城アキラを遠ざける事ができる。


 そう――――。

 女性スキャンダルを肖像の侵害としていれておけば、その違約金やらリスクやらに萎縮して、最低1年は、絶対にケリには近寄らない筈だ。


 「―――あのねぇ、ルビ」

 半ば呆れたような息をつきながら、エリカは仁王立ちで僕を迎え撃つ態勢だ。

 「まず、それも困るわよ。うちは大半のユーザーが女性だから、女性スキャンダルは確かに注視すべき事だけど、天城アキラに関しては広報部でも問題ないと判断しているわ。ある程度の色気は必要なの! 彼が選ばれたのも、そういうフェロモンが一番票を集めたからでしょう? それなのにそのチャームポイントを封印してどうするのよ。女を扱ってこそあの色気が出て初めてコンセプトに合った看板にもなれるのよ? そんなことしたら本末転倒もいいとこだわ!」


 (……分かってるよ)

 口には出さないけれど、僕はますます不貞腐れた顔をしたんだと思う。


 「ルビ。珍しく我儘を言っていますね」

 嬉しそうにクスクスと笑うトーマ。

 「ケリに見せたいくらいです」

 屈託の無い笑顔で見上げられ、子供っぽい態度を取っている自分がますます浮き彫りになった。


 こういう雰囲気が、一番苦手だ。
 大人である事を会社を運営しながら強いられてきたのに、恥ずかしいのか、擽ったいのか……。

 エリカやウェインといると、僕があまり好きじゃないこうした僕自身の一面が、自制が効かないほどに顔を出す。

 居心地、悪すぎ――――。


 「だいたいねぇ、ケリがそうそう誘惑されるはずもないでしょうよ。一度くらいK'sケーズで接触されたからってなんでそんなに警戒する必要があるの!?」

 腕組みをして、ソファに座る僕に高みから言い放ったエリカ。

 「いい? これは社長のあなたへじゃない。親友としての意見よ。公私混同が過ぎてるわ。あなたらしくもない!」


 思わず舌を打ちそうになる。

 ああ、もう、


 「あいつ、」


 珍しく強い口調になった僕を、トーマとエリカがジッと見つめてきた。

 「あいつ?」

 「……天城アキラッ」

 「うん。彼が?」

 「僕が知らないうちにケリに近づいて」


 ため息を挟む。


 「―――手を出した」


 予想通りの沈黙。



 「「――――――えっ!?」」



 重なった2人の声。
 そして、再びの沈黙の後―――――、

 「うそっ!? ほんとにっ!? 凄いじゃない! 天城アキラ!」

 目が覚めたように騒ぎ出すエリカ。

 絶対"こう"くると思ってた。

 けれどそれを制するように、

 「でもそれは!」

 僕はもう一度声を張り上げる。


 「僕をスカウトするための撒餌で、しかもその事がケリにバレたらしい」

 エリカが瞬きを繰り返す。

 「……それ、いつの話なの?」

 「今朝」

 僕が応えるとエリカはそれきり黙ってしまった。



 考えを切り替えるように僕はゆっくりと足を組みかえる。

 「あいつは、ケリと何かを天秤にかけるという、僕がもっとも嫌悪する行為をやってのけてくれたワケ。僕が言ってる意味、わかるよね?」


 「―――でも」

 エリカが再び口を開く。


 「ウェインが、許したのよね?」

 食い入るように僕を見る。

 「だって、そうじゃなきゃ、アキラがケリに近づけるわけないものね?」


 エリカが何を言いたいかは分かってる。
 そして見守るトーマも、何を考えているか手に取るように分かってしまう。

 「"天城アキラを見て、自分が判断した"、ウェインはそう言ってた」

 僕の呟きに、2人の眼が見開かれた。
 また訪れた沈黙だったけど、今度はそれぞれの思惑が蠢く意図的な時間だった。


 「……ねぇ、それじゃあ、賭けをしましょうよ」

 エリカの提案に、トーマが眉間を寄せる。

 「"Stella"の看板と"ケリ"、2つのご馳走が目の前にぶら下がった時、天城アキラが一体どういう判断をするのか――――」


 「茶番だ」

 僕は笑った。


 ケリが優先されない現実を目の当たりにするのは悔しい気がするけれど、俳優として、これだけの地位を築いて守ってきたんだ。

 絶対に、世界への切符は欲しい筈だし、なにより、


 ――――天城アキラはバカじゃない。


 必ず目の前にある手堅い利権を選択する。

 ケリが泣くのは気が引けるけど、僕が慰めればいいわけだし、タイミング良くエリカもいる。

 たった一夜の事を乗り切るサポーターとしては、悪くない布陣だと思う。


 (ごめんね、ケリ)


 ケリの泣き顔への罪悪感でいっぱいだったこの時の僕は、天城アキラの事を1mmも想定できていなかった――――。








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