小説:クロムの蕾


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GREENISH BLUE
INFLUENCE


 「……はぁ」

 ステープレスで綴じられた数枚の紙をパラパラと捲って、けれど集中できるわけも無く、やっぱり何度目かのため息をついてしまう。
 R・Cの桝井さんが持ってきた、ディスプレイに使用できると言う備品リストには、大なり小なりのアイテムがたくさん掲載されていて、見れば見るほどアレンジのコンセプトに迷いが出た。

 次のアイテムを見る度に、その前に出たアイデアが、焦燥に駆られて自然に打ち消されていく。


 それはつまり、本当に情けないけれど、

 想像して構想したものに、"自信"が無いということ―――――。


 「はあ……」

 こんなに大好きなお花の事なのに、全然楽しくなくて、良い兆候じゃない事くらい自分でも判る。
 大きな大きなため息が出るのを止められない。

 「どうしよう……」

 泣き言を呟いて、フラワーショップ『あかり』の店内をぼんやりと見回した。

 お店の周辺は半分住宅地で、半分は近くにあるビジネスタウンをターゲットにした商業地。

 どちらかというと住宅地の方に密接しているこの店は、平日の昼間と違い、イベントが無い週末の夕方は比較的ゆっくりとしているのが特徴で、金曜日の今日も、あたしが学校から帰るのを待っていたあかりちゃんが入れ替わるように配達に出かけてから1時間、ほとんどこのレジの近くから動いていない。

 「……」

 思わず右の耳たぶに触れる。
 もう何度目だろう。

 (本宮君……)

 アレンジの準備に集中できないもう1つの理由―――――。

 ……というより、これがほとんどの原因なのかもしれない。


 『千愛理』


 思い出すだけで体に痺れを齎してくる本宮君の声。
 その痺れに共鳴するように、本宮君に触れられた場所にまた熱が戻ってきたのが分かる。


 あたしの頬に、

 唇に、

 耳に、

 胸元に、


 焦らすように触れてきた彼の指先。


 『千愛理』


 額に、

 頬に、

 耳に、


 彼の綺麗な形をした唇が這わされて、


 『千愛理』

 彼の舌が耳を刺激したあの瞬間の、混乱しそうなほどの脳内の煌めき。

 冷たかったヘーゼルの瞳とは反対の、思い出すだけで、あたしの内側を熱くする彼の行動。


 泣きそうなくらい、胸を掻き乱してくる―――――。


 「……ッ」

 本宮君を思うと、どうしてか、こんなにも胸が痛い……。


 あたし、本当にどうしたんだろう―――――。

 自分の事なのに、全然わからないよ……。


 泣きそう――――。




 〜〜〜♪♪


 「!」

 18時の音楽が鳴り始めてハッとする。
 顔を上げると、壁の仕掛け時計から音楽隊が出てきてクルクルと踊っていた。
 店の外を見ると、既に薄闇が支配し始めている。

 「そろそろ表の鉢、片そうかな……」

 細く息を吐いて、立ちあがりかけた時だった。
 開け放たれていた店のドアを潜って入ってきた1人のお客様。

 「あ」

 その人を見て、あたしは思わず声をあげた。

 毛先がクルリとカールした黒髪。
 黒のパンツスーツでとてもスタイリッシュなのに、インナーのシフォンブラウスが可愛くポイントされていて、重厚感があるアンティーク調の手首のヴァングルと耳元の大きなピアスが、目も眩むようなエレガントさを魅せている。

 あたしみたいな女子高生でも、思わず憧れてしまう、大人の女性――――。


 「あ」

 次にそう呟いたのは彼女で、

 「―――――こんにちは、コーディネーターさん」

 ちょっとだけ、迷ったような目をしながらそう言って微笑んだ。


 「あ、えっと、」

 桝井さんが名前を言っていたような気がするけど、突然の事でまったく思い出せない……。


 「――――いらっしゃいませ」

 あたしも慌ててペコリと頭を下げる。


 (あれ……?)

 彼女に後ろに続いてお店に入ってきた男の人を見て、あたしは首を傾げた。

 (前に一緒だった人とは別の人……だよね?)

 前の男の人は、お揃いのような黒髪と黒い瞳で、優しい雰囲気のにこやかな人だった。
 でも今度の人は、濃いブラウンの髪の、真面目で寡黙そうな人。
 何より違うのは、この前の人はまるで恋人のように寄り添っていたけれど、今日の人は一歩離れたところからジッと見守っている感じだ。

 「――――あの、今日は……?」

 あたしが目線を合わせて笑顔で尋ねると、

 「そうね……」

 彼女はまた、迷うように瞳を動かした。

 「……どうしようかしら」

 「――――」

 この間とは、ちょっと雰囲気が違っていた。
 綺麗な空気感は変わらないけれど、ちょっとだけ弱っているような、元気が無いような……。

 まるで、お水が切れて、ほんの少し萎れかかったお花のよう―――――。


 ――――ああ、そっか。


 「あの、座りますか?」

 「え?」


 あたしの突然の提案に、彼女は驚いたように声をあげた。
 そんな彼女には構わず、あたしはガタガタとレジの後ろからもう1つの丸椅子を運び出してくる。
 ちょうど、たくさんのグリーンやお花に囲まれる位置に、その椅子をおいた。


 「どうぞ!」

 「…………え?」

 両手で椅子を示したあたしを、きょとんと見つめ返してくる。

 「あの……お花浴?」

 疑問形で口にしたあたしに、彼女がますます首を傾げる。
 そうですよね。
 あたしもいまいち、説明できる自信ありません。

 「森林浴とか、海水浴とかいうじゃないですか? えっと、リフレッシュ! お花の生気にあたって、なんていうか、……その……」

 「……元気、無いように見える……?」

 ふふ、と力なく笑って、彼女は言った。
 あたしは何となく申し訳ない気持ちになる。

 「すみません……」

 「ああ、違うのよ、―――そうじゃなくて」


 彼女は一旦言葉を切った。

 あたしが「?」と顔をあげると、彼女の瞳が真っすぐにあたしに向けられていて、

 「――――――ありがとう」


 少しだけ泣きそうに見えた微笑みが、なんだか誰かを思い出させた。

 あれ……?

 あたし、どうしたんだろう。

 なんだか、ドキドキしてきた。


 「あ……あの、なにか」

 飲みますか? という苦し紛れの質問は、最後まで出来なかった。


 「――――ねぇ、名前教えてくれるかしら?」

 椅子に腰かけながら尋ねてくる彼女の、あたしの目を奪うほどに優雅な所作。


 「佐倉……千愛理です」

 「サクラ、チエリ。――――チェリーちゃんね」

 「え!?」


 チェリーちゃん、……チェリーちゃんって―――……、


 「ふふ」


 悪戯っぽく笑う彼女に、あたしの頬は真っ赤になっていると思う。
 なんだかとっても恥ずかしいんですけど……。

 「私の事は、――――香織って呼んで」

 「香織、さん?」

 私が聞き返すと、彼女、香織さんはコクリと頷いた。


 あれ……?

 でも、桝井さんが呼んでた名前は、もっと違ってたような……。


 (あ、そうだ!)

 香織さんのお陰で、アレンジのお仕事をもらえた事、お礼言わなくちゃ。



 「あの、」

 口を開こうとしたけれど、

 「私、」

 それとほとんど同時に、香織さんが伏し目がちに言葉を綴り始めた。

 「今日は朝からとても落ち込んじゃって、――――どこに行こうかなって迷っているうちに、この前アレンジしてもらったあなたのお花を思い出したの……」

 「―――――え?」


 あたしは思わず目を見開いた。

 「あたしの……ですか?」

 香織さんがゆっくりと頷く。


 「あなたのアレンジってとても不思議。優しくて、思いやりに溢れてて」

 「……」

 「思い出したら」

 「……」

 「思わず、ここに足が向いちゃった」


 萎れている事を隠そうとする綺麗な微笑に、なんだか、あたしの胸も痛くなり、そして熱くなる。



 「そう言ってもらえると……、すごく嬉しいです」

 心臓が、喜びに震えているのが分かる。

 「ふふ。息子も、あのアレンジを見た瞬間に感じてたみたい。いつもと違う、"優しい"って」

 「え、お子さんがいるんですか?」


 衝撃の事実。
 良い意味で、"お母さん"だとは思わなかった。

 驚きを含んだあたしの質問に、


 「ええ」

 と、香織さんは目を細めてにっこりと笑う。


 あ、

 (ちょっと元気が蘇ったかも)

 「でも、いつも、心配かけてばかりなんだけどね……」


 あ、

 (――――また萎れちゃった)

 その息子さんと、喧嘩でも、したのかな……?



 「……」

 俯いて、どこかぼんやりと見つめている香織さん。
 今は誰を、何を想っているんだろう。
 癒し系だった空気が、切ない色に変わったかと思うと、また弱々しく凋んでいく。


 うーん。

 なんていうか―――――、香織さんって、凄く正直な人だと思う。


 「……――――いいな、心配できて」

 素直に湧き出た感想を言って笑みをこぼすと、「え?」と香織さんが聞き返した。
 あたしは笑顔に結んでいた唇を解く。

 「あたし、もうママが亡くなってて、もう心配なんか、してあげられないから、――――だから、香織さんの事心配できる息子さんが、とても羨ましいです」

 「……チェリーちゃん」

 「ママの受け売りなんですけど、身近な人に心配かけまいとして頑張って生く事は大事だけど、時には自分のためだけに目の前に在るものをみて、自分の為だけに判断して行く事も、人生において人間関係をアジャストできる秘訣だって……」

 小さい頃は、ママが残してくれたこの言葉の意味が、よく分からなかったけれど、

 「パパが、あたしが何かを決める時に言うんです。千愛理が思うように決めなさいって。悩んで悩んで、でもママが言うように自分のために答を出すと、それが例えパパが望んでいなかった答だとしても、パパは満足気に頷いてくれるんです」


 「……」

 「きっと、そういう事なんだと思います」



 大好きな人が決めた事なら、哀しくても、悔しくても、最後は信じて、認めたいと望む。


 「……私が、何かに迷っていると思ったの――――?」

 「え? ……あれ? 何でだろう? 突然ママの言葉を思い出しちゃって。すみません、全然見当違いな話ですよね。しかも大人の方に……生意気でした」

 恥ずかしさに顔が沸騰しそうになる。
 あたしったら、何であんな事を言っちゃったんだろう――――?
 かなり狼狽していたあたしに、香織さんがふと苦笑を見せた。


 「私―――あの子にとっては、多分酷い母親なの」

 「……え?」

 「あの子が愛してくれるほどに、愛情を返せていない母親なの」

 「……」

 「あの子はきっと、ずっと片想いだと思ってる」

 「あの……、誤解、なんですよね?」

 「分からないわ……」

 「え……?」

 「あの子のためなら、きっと命は投げだせる。でも……普段愛を語る時、1番かと尋ねられれば即答出来ない。そんな私の本性を、あの子はきっと読み取っているの」


 命は投げだせるけれど、1番に愛しているわけじゃない――――?


 「難しい……、です」

 小さく返したあたしに、香織さんはハッとしたように口を押さえた。

 「いやだ、私、どうしてあなたにこんな話をしているのかしら」

 慌てた様子で早口になっている。

 「ごめんなさい。高校生のチェリーちゃんに、こんな人生相談みたいな事」

 「あ、……いえ」

 「あなたの雰囲気がそうさせるのかな。なんだか、チェリーちゃんって、懐が大きそう」

 「懐……ですか?」

 「ええ。ふふ」

 「あの……」

 なんて言っていいか分からずに苦笑したあたしに、


 「……ねぇ、チェリーちゃん、そのエプロンの下って高校の制服よね?」

 「え? ああ、はい」

 「それって」

 香織さんが身を乗り出してきた時だった。



 「すみませ〜ん」

 店の外から大きな呼び声。


 「あ、はーい」

 あたしも大きく返事をする。
 ガラスの向こうに、2人組の女性が鉢植えを見比べているのが見えた。

 「あの……」

 申し訳なく香織さんを見ると、にっこりと笑ってくれる。

 「行って。私はもう帰るわ。また近いうちに顔を出すから。今度はちゃんとお客さんとして」

 軽いウィンクにあたしも思わず笑顔になる。


 「香織さん、またいつでも"お花浴"に来てくださいね」

 「ありがとう」

 「それじゃあ、失礼します」

 そうしてあたしが慌ただしく外へ出て行くのを、香織さんの連れの男の人がジッと見つめていた。
 チョコレート色の瞳が、すごく透明で、信じられそうな人だと思った。
 ペコリと一礼すると、軽く頭を下げてくれて―――――。

 桝井さんといい、前の人といい、この人といい、香織さんの周りには、素敵な男の人が多そうだなと何となく考える。


 まあ、香織さんが素敵だもん。
 当然と言えば当然だよね。
 納得がいく結論に、

 「いらっしゃいませ」

 とお待たせしたお客様にかける声のトーンが上がってしまう。


 あたしが外で接客を始めた頃には、香織さんは小さく手を振りながら男の人とお店を出て行った。

 入って来た時とは随分顔色が違うように見えて、お花浴が少しは効いたのかなと思うと嬉しくなる。


 (あ! そういえば、アレンジのお仕事のお礼、まだ言ってない)


 気付いて振り返った時にはもう、香織さん達の姿はどこにも見えなかった。








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